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ウマ娘以降の(中略)ひとたちにお贈りする競馬ちょっといい話その2

有史以前から人類と強い共生関係を続けてきた馬は、人とともに戦争をし、産業を育て、やがて戦争と産業のために発達したテクノロジーによって人類に見捨てられた。そんな馬が辛うじて人間文明の中で生き残ることができたのは競馬を中心としたスポーツ競技においてだった。
サラブレッドは品種として固定されて以来の三百年もの間の、すべての個体の血統とパフォーマンスが完全に保存されている唯一の動物でもある。現代のテクノロジーは実験科学という短期決戦的な方法によって飛躍的な発展を遂げたが、今もって宇宙の本質とか、生命の謎といった巨大なもの、微小なもの、長い時間を経て解明できるものに関しては観察と記録という昔ながらの博物学的研究を積み重ねる以外に方法はない。
競走馬は人間社会の中に溶け込んで、しかも走るというこの動物の最も重要な活動を残したまま生存している。

(あ、引用はすべて原文ママですが、順番は私が恣意的に並べ変えたりしています。原意が変わっているようなことはないはずですが、仮に誤解が生じた場合の責任は引用者の私にあることだけ、念のため)

大まかにいえば、馬は高等動物の中で最も古くから現在に近い状態のまま進化してきた動物であり、人は最近になって大きく変化してきた動物である。これは馬という動物を認識する上で極めて重要なことと思う。(中略)人の場合でも生き方を変えるのは挫折があってのものだ。動物の場合も同じで、馬のように常に若草や種子といった良質の食糧に恵まれ、それを確保できる能力を持ち、肉食獣から逃げることができれば、そこから何か新しい動物に生まれ変わる必要もない。
人と馬の出会いは単純なものだった。人は馬を食料として追い、馬は人から必死で逃げた。(中略)著名なソリュトレの遺跡からはさまざまな石器とともに十万頭以上もの馬の骨が出土しており、馬は旧石器時代のネアンデルタール人とクロマニヨン人の食料として最も重要なものだった。
馬の家畜化はかなり古いものであるが、犬やラクダやロバよりも新しい。ラクダやロバは馬のように人を導くことはないが、従属させるのはやさしく、特に砂漠の旅で荷物を運ばせるのに大いに役立った。犬はさほど深刻に必要とする家畜ではないが、人を導くことができるし、きっかけがあれば相手から人に馴れてくれる。それに対して馬は馴致が必要で、しかも捕獲がかなりやっかいである。あるいは最初食用にするつもりで捕獲したが、すぐに食べる必要がなく、囲いに入れておいたのかもしれない。

競馬なんて虐待以外のなにものでもない、あるいは、競走馬の多くは食肉として処理されるんや。っていうひと、多いですけど、うんまあ、そんな感じで共生してきたからな。
今の感覚で捉え直すことは必要だとして、結論に飛びつく前に一回、馬と人の歴史を考える時間があってもいいんじゃ。ぐらいのことを、そういう「言ってやった」勢の顔を見ると、思うんですよ。

Texts quoted, all from the book shown above, except as otherwise noted.


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