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インバウンド現場で見た花柳界2.0()
photo: mouton.rebelle by courtesy of flickr
幸田文「流れる」(1955)は成瀬巳喜男監督の映画化作(1956)がベラボウに持ち上げられているため原作のことが忘れられているのでは疑惑を持っている私。日本文学史上屈指の過小評価作では、とまで思っています。
花柳界を舞台にしたその「流れる」のような文芸作品はもちろん、時代小説や落語や歌舞伎に親しんできた分、平成の水準からは花柳界のことを断片的ではあっても知っているほうかな、と思いつつ、とはいえせいぜい過去に一度取材したことがあります、ぐらいがこれまでの実体験max値。
今夏たまたま海外ゲストおもてなしの一貫として、芸妓を揚げた接待をしたのが、つまり誰よりも私にとっての眼福でした。「70代のおねえさんが来るんでしょイヤだー」とか温泉芸者扱いをしてまことにすまんかった。
それよりなにより、当地の花柳界そのものが株式会社化されていて、芸妓各位は置屋のお抱えではなく旦那衆が支える会社の社員として採用されている、現に今回ビジュアル部門を担当いただいたふたりの若者は新卒入社2年目。という話に感動しました。ヘアスタイルやファッション談義を英語で出来て、お客さま大満足。会社員として気にせざるをえない経費についていうと、いまこれ読んだあなたが思い浮かべるであろう値段の半額ぐらいでしたよ。
個人的に最も大きなインパクトがあったのは、「会社員」という名刺が彼女たちに付くことによって、芸妓と娼妓の混同が避けられるシステムが自然に生まれていたこと。偶然の産物とはいえgeisha イコール (dancing girl イコール) prostitute、みたいな宿痾ともいえる誤解を正して「純然たる文化資源としての花柳界」という定義付けがなされていて、それってすごいことじゃない? ねえ、すごくない? ええ、現場で言いようがなかったのでいまここで言わせて。
いいよねえ、職業選択としての芸妓。何が良いって俺の大好きな「自由」を彼女たちが体現しているところ。応援したい。