![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/47091115/rectangle_large_type_2_7993b93f941df28fa3cd8ca0dc6870a2.jpg?width=1200)
ゲーム音痴の競馬ファン、「ウマ娘」周辺テキストをなぜか楽しめてラッキーだと思っている回
京本大我がポケGOで色違いミュウを獲った。って言ってた気がする。とJKの娘から聞いたときは大きめの声で「え!」って聞き返しましたけど(ミュウツーでした)ゲームは私の人生には基本的に存在せず、競馬は私のこれまでの人生において65%を占める計算で、え、はいそうですね、計算は苦手なほうです。
アニメもまあ見ないし、固有名詞としての『ウマ娘』は競馬周辺情報として数年前からインプットされてはいたものの、ここ数日、テキストが大挙して目に入ってくるまではまったく関心がありませんでした。
具体的にいうと、皮切りがこのnoteですね。
「そもそも競馬に全く興味のない俺」のひとのアツい語り、競馬ファン歴30余年のゲーム無関心層である私にもおおいに響き、そこでゲームをやってみよう回路はつながらず、ほかのウマ娘語りも読もう、ってなるあたりがゲーム音痴の面目(……めんもくとは)。
続けて読んだこのエントリ、当初はタイトル中の天皇賞春が天春と略された表記で上がっていて、それを言うなら春天やろがい。とガラ悪く読み始めたものの、筆力あるひとだけにまんまと惹きこまれました。
「古い競馬ファン」ポジションから見えるゲームの光景はそうか、こんな感じなんだな。ってね。
そしてこの、ゲーム媒体テキストの、良い情緒。
オグリのラストランは、乗り役の「笑っていいとも」出演時コメントを1年以上、根に持ち続けていた*私としては複雑な心境で、それもあって別の芦毛の単1点勝負だったわけですが-
ふと一緒に観戦していた父を見ると、声も出さずに目を真っ赤にしながら呆然と画面を見つめていた。記憶はないが、きっと僕も泣いていたのだろう。ふたりで顔をみあわせ、僕らは笑った。画面の中のオグリキャップはさも当然のように普段通り落ち着いていた
わかる。
アンチを公言していた友人ですら多幸感に包まれていた、あのとき。
(なお、その野郎は勝ち時計にケチをつけることでアンチらしさを保っていましたことを念のために申し添えます)
挙げた以外にも、いろいろな立場から言及されている文章を読んで、相変わらずゲームには心が動かないものの、競馬ファンの文章からはそのひとの競馬とのかかわりを、ゲームファンやアニメファンの文章からは原作たる競馬への関心の芽生えを嗅ぎ取れることを、それぞれ楽しんでいます。
◆
それで、個人的に気になっているのが、ガチ競馬ファンとして、こういう企画には反射的に嫌悪が来るはずなのに、今回そうでもないのは、何で。という点。
「2016年にプロジェクトが発表され、当初は2018年冬にリリースされる予定でしたが」云々の一節を目にしたときにも思ったのですが、5年前なら確かにこんな寛容に接することはできなかったな、と思ったんですよ。
競馬ファンにとって競走馬の思い出はとても大切なものなので、それを雑に扱われたときの嫌悪感は自分でもoh.ってなるぐらい激しいものなのですが、これって……年をとったから「まあいいか」ってなってる? だってラッタッタにも、もうあんまり腹が立たなくなってるじゃん?
というような自問自答をしばし繰り広げてみたものの、結論としては、「課金」という日本語の誤用をひろめたソシャゲ界隈全体への憎しみは8年経っても薄れていないし(マジで)、加齢による枯れのせいとは思えない。
競馬を文化とみなし、相応の敬意を払っているIP、って要素をどこかで感じ取っているから好意的なのか。
……自分の感情の話なのに、わかりません! が結論でなんとも申し訳ございません。
あ、最後にひとつ、サムネイルに撮った書籍について。
いまでは入手困難かもしれませんが、来るべき(そんなときが来るのかは知らんけど)「海外レジェンドホースがウマ娘に参画する」予習におすすめしたい。旅好きネコ好きで有名なキンツェム先輩とか、競馬場へ行く道に指定がある、闇の国からやって来たという噂のバヤルド様とか、伝説の名馬たちがいかにキャラ立ちしていたか、分かるので(クセ強い伝記文体で書かれているのを読み解いていくのもまた一興。あと、作者の山野浩一はステイゴールドの馬主のひとりでもあって以下略)。
*1989年12月21日、スーパークリーク信者だった武豊、公然とオグリキャップをdisる。1990年12月23日のラストラン前にその件で和解できていたオグリ派なんてほとんど居なかった説。