本当に死のうとした日
学生時代のある夏の日のことです。その頃、僕は両足大腿骨骨頭壊死という病気で車椅子生活を送っていました。移動授業の日で、実験室へ向かう必要がありました。その場所は塔と塔の間に位置し、渡り廊下を通っていく生徒たちは雨に濡れることもなく辿り着ける場所でした。でも、車椅子の僕にはそのルートを使うことができませんでした。
車椅子で実験室へ行くためには、外に出て舗装された道を通らなければなりません。その道は平坦ではなく、車の通行を前提とした傾斜や微妙なカーブがあり、僕には決して快適とは言えない道でした。ましてやその日はスコールのような大雨。傘を差すことができない車椅子の僕は、両手で車輪を回しながら全身で雨を受けるしかありませんでした。
膝の上には、トートバッグにぎっしり詰まった資料がありました。膝の動きに合わせてバッグが揺れるたび、今にも地面に落ちそうで、その度に神経をすり減らしながら進みました。濡れた体にバッグの重さがのしかかり、ただでさえ体力のない僕をさらに追い詰めていきます。
雨は容赦なく降り注ぎ、僕の体だけでなく心までも濡らしていきました。誰もこの状況に気づかないまま、僕はただ無言で車椅子を漕ぎ続けました。そのときの僕は、感情を殺していました。感情を殺さなければ、この状況に耐えることができなかったのです。
途中、守衛さんがこちらを見ていたのか、急いで駆け寄ってきてくれました。守衛さんは、自分の傘を持って僕の上に差し出しながら「大丈夫かい?」と声をかけてくれました。その優しい声に、僕は一瞬救われたような気がしました。そのとき、心の奥底から湧き上がってきたのは、感謝と同時に強烈な自己否定でした。
僕はその日、本気で「もう終わりにしよう」と思いました。このまま雨の中で消えられたらどれだけ楽だろうと考えました。一人きりで濡れそぼりながら車椅子を漕ぐ姿が惨めすぎて、これ以上自分を持ち堪えられる自信がなかったのです。守衛さんの声がどれだけ温かくても、周囲の無関心や、誰にも理解されない孤独が、心に深い影を落としていました。
授業が始まっても、僕の心はずっと雨の中に取り残されたままでした。濡れた服を乾かしながら、ただ窓の外を見つめていました。雨音が続く中で、僕は「ここにいる意味なんてあるんだろうか」と思い続けていました。周りの生徒たちの明るい声が、遠くの世界から聞こえるように感じられました。
あの日の雨は、僕にとってただの悪天候ではありませんでした。それは、僕を試し、僕を叩きつけ、そしてほんの少しだけ温かさを与えてくれたものでした。その一瞬の温かさに支えられて、僕はどうにか前に進むことができました。けれど、それでも心の中に刻まれた傷は消えません。その傷は今も、雨音を聞くたびに蘇ります。