椎名町「ヴィオレ」 ー色々あってママと宝塚のDVDを観たー
またとんでもない名店に出会ってしまった。
ラベリングするならば “色々あってママと宝塚のDVDを観ることになった店” だ。
OPENと書かれた札が信じられず 一旦店の前を通り過ぎてみる。生い茂った緑…中が見えない窓ガラス…素晴らしい見た目に久々にゾクゾクしてきた。明かりが点いてるってことは やはり営業しているってことだ、と一歩前に踏み出した矢先に小さな番人に出迎えられた。
扉をあけると 不意を突かれたとんでもない景色が目に飛び込んできた。今にも雪崩れ落ちそうな紙なのか何なのかが奥に積まれている。
出迎えてくれた門番が私の足元で吠えた。シーズー犬だろう、リボンが着いてるからきっと女の子だ。すると、ママと先客の2人がこちらを見ながら「あーら 尻尾振ってるわ 喜んでる。あたしたちにはもう 見向きもしないのにね。あははは」
彼女を含めこの空間にいる3人と1匹に受け入れられた空気を感じ ひとまず腰を下ろした。
先客2名は友達のようだけど お互いちょっと距離感があるとすぐさまわかった、座っている位置が対角線上だからだ。2人で来て目の前に座らないのは、冷え切りすぎた夫婦ぐらいだろう。どうやらこの2人は民謡仲間で、細ボーダーを来てキツめのパーマをかけたマダムは85歳。お連れさんの方が結構年下のようだが民謡界で言うと先輩のようだ。
「人妻に手出すぐらいの男は魅力的だよね」
85歳の細ボーダーマダムが軽快に話している。話しているというか 私も一緒にその話を聞く雰囲気だ。民謡の先生にスキャンダルがあったのだろう、民謡界で女はべらし が健在のようだ。ちなみに 85歳の爪には赤のジェルネイルがしてある。ただもんじゃない。
先客の2人が「お会計して 」と言って荷物をまとめだした。でも細ボーダーマダムのトークは止まることを知らない。もう、私も含む3名+1匹に向かって漫談が始まった。
「猫を今まで何匹も飼ってきたけど、最後の猫が病気になってさ、 治療費が100万かかると言われたのよ。そんな時は男にもらったギンギラギンを売るしかないよねぇ 田中貴金属に売りに行ったら 68万になってさ、思いの外もらえたもんだから帰りに5800円の鰻を食べて帰ったわよ。旦那と行ったときはそんな高いの食べないけどねっ」
帰り支度は整っているが先客は全然帰る様子がないので、隙を見て私はママをつかまえて珈琲をお願いし、何かつまめるものはありますか と尋ねると 「お腹すいてるの?」と小声で返され「少しだけ」と答えたら、ママは人差し指を口元に当て シーっ という仕草。何かちょうどいいつまみでもあるのだろうか。
民謡は毎週水曜がお稽古らしく 「水曜の14時すぎたらあたしたちまた居るから」と細ボーダーマダムが確実に私に向かって言ったので「じゃあまた来ちゃおっかな」と お返ししておいた。
細ボーダーの方は べしゃりで R-1 準々決勝ぐらいまでは いけるんじゃないだろうか。
もうひと方はというと、マシンガン漫才の最中に合いの手のようにシーズー犬に話しかけていたので、彼女がマリちゃんという名前だと分かるまで そんなに時間はかからなかった。
嵐のように去って行った先客たちのおかげで ママとマリちゃんと私となった店内はとても静かだ。店内は結構広く 見る角度によって整い方が全く違う。
すると ママが 珈琲とともに ケーキを持ってきて「食べる?」と一言。「さっきは他の人いたからさ」と あの2人には出す予定がなかったことを告げられ、私はいただいた抹茶ババロアケーキを食べ始めた。
ママはカウンター前に座りテレビの夕方のニュースを観ながらマリちゃんに話しかけている。マリちゃんの年齢を聞くと15歳以上、と。15年前、彼女は交番で保護され、警察から連絡を受けた獣医師が、かつてママがシーズーを飼っていたことを知っていて、交番へ行ってほしいとママに告げたそうだ。
保護された時、彼女の目は釣り上がり毛が少なくバサバサだったと冷静に語ってくれるママだが、彼女の身に悲しいことが起きていたことは確かだ。ママのもとに来ることができ 今は幸せに違いない。名前の由来は ここにきて暫くするとマリのようにポンポンと跳ねて元気になったから付けた、と教えてくれた。
ママと会話のターンが始まりお店は何年経つか聞くと ママのお母様の時から数えて60年ほど、という。さらにママは言った
「私 いくつに見える?」
なぜだ なぜそんな若い面倒臭い女が言うような無駄質問をしてくるのだママ…
ない頭で考える。
先ほどの先客が85歳だったから…
きっとそれより上… ってことで ここは…
一か八かで…
「80…ぐらいですか?」
「71歳」
しまったぁぁぁぁ
私としたことがミスったぁぁぁぁ
どうしよう どうしよう どうしよう
ケーキももらっておいて…
ここは思い切って60とか答えておくんだったぁぁぁ
一通り慌てて、まずは素直に 申し訳ございません と謝った。いいんですよいいんですよ とママ。そこからの私の巻き返しと言ったら昨今稀にみる勢いで、ママの肌艶のよさとかを褒めに褒めた。
なんとかその後もママと私の会話は続き、ママは筋金入りの宝塚ファンだということがわかった。オシが卒業したばかりだというので 大きめのリアクションをとっていると 色々と見せてくれた。明日海りお、という男役だ。
ここでもまた私は「あす…か…?」と読み間違えるミスを犯したが チラシはどんどん出てくる。ご本人から招待券が送られてきたり、楽屋に行ったり、差し入れのお礼の電話がご本人からかかってきたり… ママに入ってるのは なかなかのごっつい筋金のようだ。
「観る?」 ついにママが宝塚の公演DVDを再生しだした。私は座っていた位置から真逆の席に移動しママの推しの 明日海りおさんのDVDを見始めた。
私は宝塚を観に行ったことも、映像でも観たこともない。まさか初めて観る宝塚が 喫茶店で再生されたものになるとは… 何が起こるかわからないのが 喫茶店探訪の醍醐味だ。
始まった。が、真上に 久々に見る蠅取り紙がぶらさがっていてそっちが気になって仕方ない。
DVDプレイヤーの画面を覗き込むと明日海りおさんは確かに美しかった。ママが真横にいるので「群を抜いてますねぇ」「お顔立ちが整いすぎてませんか?」と ありったけのワードを並べた。ママの年齢を上に言ってしまった贖罪の一環だ。
明日海りおさんは 芸能活動をされるようで 天海祐希さんの事務所。今後の活躍を期待しよう。一方でママには気に食わない演者もいて、その人が映るとボロクソに言う。それを聞いてるだけでちょっとおもろい。
宝塚の世界はファンの序列も厳しいとは聞いていたが、ママも若い頃 ママに嫉妬するファンたちに囲まれたことがあるらしい。
よく内容がわからぬまま 衣装の素晴らしさと サンバのメイクとの違いを主に観ていた。ママがトイレに席をたつと、マリちゃんは 後脚をぬいーんと伸ばしてちゃんと待つ。
20代のころにお母様から跡を継ぎ 50年近くこの店を切り盛りするママは、とてもやせていて タバコを吹かしながら度々マリちゃんと会話をする。芯の通った人、という印象だ。
ママに何かやってるの と問われてサンバの話をしたら「今度娘とレストランに行ってショーを観たいわ」と言ってくれた。けむくじゃらな娘さんは 夕飯も食べ終わって店内をウロウロしていた。
初探訪の滞在はトータル2時間。
心が、脳が揺さぶられる 探訪であった。
その後、週一で通い、ママお手製の料理を食べに行っている。
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