視点をちょっとズラしてみるだけで 心の工夫 例えばバイトの辞め方
今朝、目が覚めてピカチュウの時計を見たら5時ちょうどだったので、エイっと起床して顔洗って着替えて洗濯機回した。
そしてスマホ見たら4時過ぎだった。
5時だと思ったけど4時だったんだ。見間違い。
1時間の余裕ができたのでラッキー。
朝のだいたい6時頃に大型バイクのエンジン音が聞こえます。アイドリング何分かして出発していく。静かだからよく聞こえる。なんとなく嫌だな、と思っていたけれど、これを目覚まし代わりにすればいいんじゃないかと思ってから嫌じゃなくなった。
この心境の変化なんだと思う。ささいなことのようだけど、広く他の分野にも活用できそうだ。
自分の進行を邪魔されると思うか、自分の進行を支援してくれると思うか。
ポジティブシンキングが良いということなんだろうか。
ちょっと違うような気がする。
楽観的であれ。これはこれでいいと思うんだけど、自分はそれほど楽観的ではない。どちらかというと悲観的。思考はネガティブなことに傾いていく。
最悪を想定して最善を尽くそう!なんてことをつねづね思っている。
ポジティブシンキングになろうよ、なんてことはできそうもなくて、そうではなくて、ちょっとポジションをズラそうよ、と考えてるんだろう。
そして損得勘定なんだろう。
それだけではないかもしれないが、自分がHappyになるように、物事の受け取り方をズラしていく。微調整していく。
ある出来事が起こったときに、その出来事によって自分がどんな感情になるのか。その流れを観察する。とっさに観察できなくて、感情の波にほんろうされてしまうことはもちろんあるんだけど。
いつもほんろうされるばかりではなく、ときには落ち着き、ときには感情を保留にし先延ばしにして観察する。
これはHappyじゃないや。そう思ったら、それに気が付けたら、じゃあちょっとズレてみよう。
わかりにくいかもしれませんね。申し訳ない。
実際の状況を想定してみると、例えばアルバイトを辞めたい少年がいたとする。少女でもいいんだけど。
バイト先の人になんて言おう。辞めるって言ってもしばらくはシフトに入らないといけないとしたら、その期間が針の筵(はりのむしろ…針でできた敷物の上に居るような感覚。みんなからの視線が痛い。居心地悪すぎてつらい。)に居るようでいたたまれない。なんて思うでしょう。
それってHappyじゃないから、ちょっとズラしてみる。
Happyにバイトを辞める。バイト仲間からも応援されるような辞め方ってどんなんだろう。
例えば、将来の夢が保育園幼稚園の先生になる少女だとしたら、こんなのはどうだろう。
「子育てサークルのスタッフに欠員がでて、そこでバイトできることになったので、そちらで働きたいです。こちらのアルバイトは辞めさせてもらうことになるので、せっかくいろいろと教えてくださった皆様には申し訳ないのですが、夢だった子どもと関わる仕事が経験できるチャンスなんです。すいませんが、今回のシフトで退職させていただきくお願いいたします。」
そして実際にボランティアでもいいし、月イチであってもいいし、そういう活動をやる。身を投じてみる。
他にも考えられると思う。いろいろとズレかたはあるだろう。
落ち込んでてもいいことないので、自分がHappyになるように工夫して、自分と出来事の関係を調整していくのが得策だろう。
調整。アジャスト。工夫。想像力。
検討を祈る。