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喫茶ナイマゼの由来に関するちょっと長めの話【前編】

みなさんこんにちは。
残暑も徐々に弱ってきて、朝晩の散歩が楽しい頃合いになってきましたね。

季節の変わり目で寒暖差と湿気に悩まされ、
体調が翻弄されてしまうのは好ましくないのですが、

「季節もまた自分自身の調子をコントロールできず四苦八苦してるのかな」
「自分をうまく保てず、他者を苦しめてしまう瞬間って本当に辛いよな」

なんて季節の辛さに思いを馳せてると、やりきれなさを感じつつも少しだけ優しくなれる気がします。

朝晩の心地よさ、夕暮れ時の空、そういう好きになれるところをよく堪能して、この秋分の季節を愛でることにします。

喫茶ナイマゼの由来を書き残したいと思います

さて、今日は「喫茶ナイマゼ」という店名の由来について少し長めに書きます。

屋号を掲げてお店をやっていると「なんでナイマゼなん?」と由来を聞いてもらえることも多くあります。
ただ、営業中だと手を止めてゆっくりはお話できる機会はそう多くないし、プライベートで聞いてもらった場合もそう長々と自語りすることは躊躇してしまう。
だから喫茶ナイマゼの由来を100%人に話したことってほとんどない気がするんですよね。

あまり語らないままに置いておくと、徐々に改変されてきてしまったり、変わるくらいならまだよいのですが、自分でも忘れてしまうなんていう怖さも。
それはちょっと悲しいですね。

ということで、自分自身最初の想いを忘れないため、忘れても戻れるため。
気になってくださったあなたがほんっとうに暇なときに、ゆるっとナイマゼのルーツに触れられるために。

少し恥ずかしいですが、ナイマゼの由来について長めに触れさせてください。

喜びも悲しみもコーヒーカップの脇に置く


ないまぜ

という日本語に聞き馴染みはありますでしょうか。

嬉しい気持ちも悲しい気持ちもないまぜにして、夜道を歩いた。

例えば、こんなふうに使われたりします。

僕が好きな喫茶店にいるときって、いろいろな感情をないまぜにして、そのソファーに座ってることが多いんですよね。

ときどきにぷか〜と過ごす六曜社さん

些細な悩みごとが積み重なったり、なんとなく1人でいたくないなって思ったり、今日はお酒飲んでいい気分だなって思ったり。

頭の中で渦巻き続けるいろいろな気持ちを一旦脇に置いて「ぷか〜」って過ごすために喫茶店に行くんです。

悩みが解決して頭がスッキリしたらいいに違いないのですが、考えすぎになりがちな自分にとってそれは頑張ったとてなかなか難しくて、、
スッキリしたいと思うほどにどんどんとこんがらがっていったりします。
海で溺れてる人が足掻くほどにどんどん沈んでいくのと近いものがありますね。

だからたとえ解決しなかったとしても、そのごちゃついた感情を一旦コーヒーカップの脇にでも置いて、「ぷか〜」と過ごせるその時間はとても大切なのです。

必ずしも“悩み"みたいなマイナスな感情でなくても、置いておきたい感情はあります。感情というより"状態”をおいておきたかったり?

自分は浮き沈みがあるタイプなので、浮いた分だけ沈んだりするんです。
だからハイな状態っていうのも怖くて、、
そんな状態も横に置いておきたくなりますね。

嬉しい気持ちも、悲しい気持ちも、寂しい気持ちも、怒る気持ちも、はつらつとした気持ちも、荒涼とした気持ちも

全部そこに存在していることを受け入れた上で、ないまぜなままにコーヒーカップの脇に下ろして、ぷか〜と過ごしてもらえるような、喫茶でありたいと想っています。

細く長く手触り感のある関係性をここで


ないまぜは "綯い交ぜ” と漢字で書くこともできます。

【綯う】

すてきな漢字ですよね。

「綯う」は、糸をより合わせて縄や紐をつくる

という意味があります。
【縄を綯う】というふうに使われますね。

そして「綯い交ぜる」というと以下のような意味を持ちます。

様々な色糸をごちゃ混ぜにより合わせて、綯うこと

別々の存在として、全く別の時間を過ごしている皆さんと、「喫茶ナイマゼ」で同じ空間を共有し、細く長く、手触り感があって確かな関係性を形作れたらいいな、なんてことを願っています。

「ないまぜ」のお話、ここまで読んでくださりありがとうございました。
喫茶ナイマゼの由来にはもう少しだけ続きがあります。

なぜ「喫茶」なのか
なぜ「ナイマゼ」はひらがなでも漢字でもなくカタカナなのか

よければお付き合いいただきたいのですが、長くなってしまったので今日はここまで。続きは後編で。

今日もすてきな一日になりますように。

喫茶ナイマゼ
前田

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