『俺の家の話』の話 第二十九試合
親が余命宣告を受けた上に痴呆が始まる、そんな重い話でも話題の俺の家の話。
プロレス、能、介護とテーマが沢山ありますが、あくまでも家族の話が軸なんですよね。
介護認定の下りとか切なかったですね。
人間国宝にまでなった方なら尚の事自身が痴呆だなんて認めたくないでしょうし。
野菜の名前を言えなくなる人間国宝の父親を見る子供たちの顔。
実に深いドラマです。
私の周りでは「夜の人間国宝」って言葉が大流行ですが…
さて話は変わりますがお見舞いに行ったら知らない間に病室が変わってる、そんな事もたまにあるんですね。
あれは何年前かの夏。
仲間のレスラー達と沖縄に行って帰って来た日。
羽田に着いた私は折角なので品川の母親の病院に向かったのです…
ドンドンドン!ドンドンドン!「おい!おっ母!いるかい!」
面会の手続きを済ませてナースステーションに挨拶をすると「あ、木曽さん洗濯物取りに行くって言ってましたよ」と。
いつもの病室に入るとベッドには誰もおらず待つ事しばし。
やがて紙袋に洗濯物ではなく雑誌を沢山入れたおばあちゃんがフラリとやって来ると私に「こんにちわ~」と言いながら会釈してベッドにそれを置いて出て行った。
あ、病室変わったのか!ナースさんに聞かなきゃ。
と思ったその時「ちょっと!そっちは男性の部屋でしょ。お部屋はこっち!」とナースさんの声と共にさっきのおばあちゃんが帰って来た。
再び微笑みながら私に会釈する彼女。
「いい子じゃない、さっきの子!お嫁さんに向いてるわよ」
え?
「韓国の子なんでしょ、まぁ近いから直ぐ会えるしいいじゃない」
彼女の中では私がさっき婚約者を連れてここにいたのだ。
直ぐに部屋を出たかったががそれも失礼なのかな?とも思い話を続ける。
うん…
それが私の絞り出せたせめてもの言葉だった。
「最近ね、目が霞んでさ、見えにくいのよ」
「泥棒がいるからさ、荷物とか置いておけないの」
「あ、千円貸してくれない?泥棒に盗まれたのよ!」
やめてくれ!と思わず怒鳴りそうになったがグッと堪えて話を変える。
最近家族は来てるんですか?
「あ、来てるわよ。長女は横浜に住んでてね、先週来たかな?あ、次女はどこそこに住んでてね、あれ?今日三時に来るって言ってたのに来てないわね。ちょっと見て来てくれる?宴会場にいるって言ってたから」
私は宴会場に行く振りをしてトイレに行った。
病院のどこに宴会場がある?
認めたくない事実は残酷にもそのすぐ目の前にあった。
宴会場に誰もいなかったよ。
自分でも信じられないくらい棒読みのセリフを伝え、勇気を出して聞いてみた。
息子さんは?息子は来てるの?
「あ、あの子はね、大久保に住んでててね…」
何年前の話だ。あと韓国じゃなくて台湾だし婚約はしてない。
「プロレスのレフェリーをしてるのよ」
それ俺だよ。
「え?」
だからプロレスのレフェリーって俺の事だよ!
静かな病室に思わず怒号を垂れ流す。
「あら!そうなの!じゃどこかで会ってるかもしれないわね、名前は木曽大介っていうの!」
とても嬉しそうにその女性、私の母親は間接的にではあるが私に残酷な事実を伝えた。
そう言えばちょっと前に姉から「最近ちょっとおかしくて…」とLINE来てたな。
なんだよそういう事かよ。
こんな事起きるんだな、現実に。
子供が親の痴呆を疑い認めなきゃいけない瞬間。
後の会話はあまり覚えてないのだが、しばらく適当に話していたら突然彼女が言ったのだ。
「大介、少しはまともになれたの?プロレスなんてやって怪我してないの?」
今まで何回聞いたか分からない小言。
彼女は突然母親に戻った。
今でも私は私じゃなくなったり、韓国人のフィアンセがいたり、プロレスのレフェリーを紹介されたりしながら私が私に戻ったりする。
きっと私は記憶の海を浮かんだり沈んだりしながら生きて行くのだろう。
いつか永遠に沈むのかもしれない。
生命より先に記憶が。
でもずっと私の日が続いたりもする。
それが終らなければ良いなと思うのはきっと贅沢なお願いなのだろう…
既に病室の電気は消えている。
私は彼女が寝たのを確認するとそっと読書灯を消す。
「消さないでおくれよ、夜中に目が覚めて真っ暗だと生きてるのか死んでるのか分からないんだよ!」
おいおい、そんな事言うなよ。
私はまた読書灯を灯してじっと待つ。
やがて寝息が聞こえて来てそのまましばらく待って灯りを消すと…
「だから消さないでおくれって!」
分かってるよ!
ついイラっとしてキツい言い方をしてしまったが結局このやり取りを何度も繰り返す。
また灯りを消すと母親が「あ~あ」と。
なんだよ、まだ起きてたのかよ!いいよ、また電気点けるよ!
「いや、もういいよ」
おい、やめてくれよ!目が覚めた時に電気が消えてると嫌なんだろ?生きてるか死んでるか分からないんだろ?諦めるのかよ!
「もう夜が明けた」
そんな俺の家の話の話…
じゃなくてこれはほぼ俺の家の話だった!