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にっきそ 7/23

7/23(日)
メキシコを思わせる様な前奏からいつものテーマに変わり、ガウンを纏って花道を颯爽と歩いて来た。
いつもの様にやや俯き、いつものメンバーを従えていつもの様にコーナーに座りいつも通りコールを受ける。
やがてガウンを脱ぎスッと顔を上げ対戦相手がやって来る花道を見る。
その顔は…いつもと違っていた。
どこか透き通った、スッキリした様な表情だった。

今から13年前の10月21日、蕨のアイスリボン道場でその大会は開催された。
平日のアイスリボン道場での開催は恐らく初めての試みだったと思う。
発表された観衆は34人だった。
私はデビューしてまだ4ヶ月。
本興行では1,2試合のレフェリングをさせてもらいつつ経験を積む、そんな時期だった。
ただ若手選手の経験を積ませる為に開催されていたこの若手通信では前半戦全てに出させて頂いていた。
しかしこの日は松井さんが大阪出張で初めて全試合を一人でレフェリング。
もちろんセミやメインを裁くのは初めてだった。

全ての試合が終わり頃合いを見て先輩達にアドバイスを求める。
「今日大丈夫でしたでしょうか?」
その先輩は遠くを見ながら吐き捨てる様に言った。
「全然ダメだな!」
返す言葉も無かった。
松井さんがいない不安、全試合任されたプレッシャー、慣れない5mのリング。
1mしか変わらないはずのその空間が、まるで身動きが取れないとても狭いスペースに感じる。
ステップで選手を躱せばロープに当たり、選手の動きを予測して移動したつもりが逆に邪魔をしてしまう。
一つミスのミスにより自分に言い聞かせて無理やり築いた小さな自信は惨酷にも音を立てる様に崩れ落ちた。
不安が不安を呼びどんどん動きや声が小さくなる。
本当にダメだった。

試合が始まった。
大歓声と掲げられたタオル、いつもと違う熱狂が渦巻くリングをゆっくり動いていたその先輩は、あの時と同じトーンで吐き捨てる様に言った。
「デスペラードのファンばっかだな!」
佐々木さんらしいな。
私は思わず微笑んでしまった。

若手通信には新日本プロレス、健介オフィスなど他団体からも多くの選手が参戦していた。
若手同士の対抗戦という事で試合だけでなく会場そのものが殺伐とした雰囲気に包まれ、私は怖かった。
新日本からは高橋広夢選手、三上恭祐選手、キング・ファレ選手。
デビューしたての私はもちろん会話なんて出来ないし、とにかく異様な雰囲気にただただ脅えるだけだった。
しかし団体や年齢、選手とレフェリーと立場こそ違えど同じ時期を若手として過ごしていた我々。
恐らく同じ様な思いを抱えながらプロレスに生きていたのではないか。
悔しさ、不安、理不尽な思い、そしてたまに味わう達成感。
何年経っても、立場が変わってもあの頃の思いはどこかで心の奥底をくすぐるものだ。

怪しく真紅に咲き誇るバラの花束を持って入場して来たならず者は佐々木さんと対峙した。
試合直前、観客の期待と大歓声と一緒に二人だけしか知らない歴史が両国国技館を纏う。
やがて花束を渡しその時間を惜しむようにスッと離れるその刹那。
ならず者の言葉が耳を突き刺さった。
「やっとシングルが出来ますね!」
本人たちだけが分かるその言葉の重みとここまでの時間。
何故かお客さんの歓声が遠くに聞こえる様な気がした。

試合開始が刻一刻と迫る。
青コーナーの佐々木さんのボディチェックを終えデスペラードさんの元へ。
腕をチェックし足をチェックしようとかがんだ瞬間に聞かれた。
「何年ぶり?」
『え、はい、12年ぶりです』
2011年12月22日、新木場1stRING。
大会開始前にこの日を持って休止が発表された若手通信。
思えば3ヶ月デビューが早かったその先輩のレフェリーが出来たのはこの日が最後だった。
そこで止まったはずの時計の針が突然動き出す。
誰も知らないこの糸が先輩二人の思いと運命と、そしてプロレスによって紡がれた瞬間だった。

1月に事故に遭った時に思った。
当たり前の事なんて何にもない。
今ある事が突然消えてしまう事もある。
何気なくやっている動作が突然出来なくなる可能性だってある。
ここまで仕事を続けられたのは当然ではない。
大きな怪我もせず病気にもかからず13年間リングに上がり続ける事が出来た。
事務所スタッフとして毎日出勤し、時に夜通しトラックを運転し。
信じられない様なミスをした事だってある。
周りの仲間や先輩がいなかったら辞めていたかもしれない。
実際に一度退職を申し出た事もある。
その時に高木さんが止めてくれなかったら今どうしていたか。

数多の偶然が重なって必然となりこの日を迎えた。
デビュー前からずっとお世話になっている佐々木さん。
右も左も分からない私に様々な事を教えてくれた。
そして12年の時を超えリングで出来た再会。
実は少し前に某所でお会いして「いつかまたお仕事出来たら良いですねぇ」なんて話したばかりだった。
100人に満たない新木場のリングで藻掻いていた若者たちはちょっとだけ歳を取り、両国国技館のセミファイナルで自由に飛び回った。

夢のような時間はあっという間に終わってしまった。
でもまだまだ余韻に浸っている。
今日は僕もテキーラを飲もう。
瓶の中にサボテンが入った、あのテキーラを。

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