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散らない薔薇の最後

12年前の何気ない出会い

「木曽さん、申し訳ないんですけど今日ちょっと芸能人の方がいらしてまして。TVのプロモーションでエキシビションマッチがあるんですけどご協力頂けないでしょうか?」
『はい、勿論です!よろしくお願いします!』
しばらくすると背の高い細身の女性が一人やって来た。
「よろしくお願いいたします!」
悪役レスラーのメイクからとても丁寧な挨拶。
『あ、DDTプロレスレフェリーの木曽です。よろしくお願いします!』
その美貌に圧倒されたのと得意の人見知りが発動し棒読みで返す。
それが赤井さんとの出会いだった。
2011年6月1日、イサミレッスル武闘館。

プロレスを題材としたTBS系ドラマ「マッスルガール!」のプロモーションだった。
ドラマ内での赤井さんと志田光選手のユニット「薫と向日葵fromマッスルガール!」として配信限定でリリースした「マッスルガールRAP」も披露。
リリース日に合わせてエキシビションマッチを行ったというわけだ。
このラップもK DUB SHINEさんとDJ OASISさんのプロデュース。
力の入れようがよく分かる。
赤井さんはその日ドラマ内の悪役レスラー「ビッグデビル」として参戦。
志田選手とのタッグで真琴選手&藤本つかさ選手と対戦。
10分時間切れの熱闘を繰り広げた。
当時から女子プロレス界のトップ戦線で戦っていた選手相手に負けない華やかさ。
いつの間にかお客さんの目はビッグデビルに釘付けになった。
ドラマのプロモーションなのでそうなるのは当然なのだが、抜群のスタイルと長い手足から繰り出される華麗な技はお客さんの目を虜にした。
しかも終了後に引き分けだった事に対して「めっちゃ悔しい」と言っていてその負けん気に驚かされた。
『この子本気でプロレスやればいいのに』なんて思った事をよく覚えている。

噛み合い出す運命の歯車

それからしばらくしたある日。
事務所で仕事をしていると後ろから何やら話し声が。
どうやら高木さんがまた誰かをスカウトしようとしているらしい。
たまたま事務所にいた何人のレスラーと話す声が聞こえてきた。
「背も大きいし…」
「お父さんがボクサーって血筋も良いんだろうし…」
「高梨はその時アイスリボン出てなかったの?」
「いや、僕見てないんですよ…」
!!!
間違いない。
思わず席を立って話の輪の中に入る。
『すいません、もしかしてそれって…』
「あ!木曽君レフェリーしたって言ってなかったっけ?」
『やっぱそうですよね、赤井沙希さんですよね?プロレスやるんですか?絶対良いですよ!華やかさのレベルが違います!』

プロレスラー赤井沙希誕生

それからしばらくして赤井さんは僕らの仲間になった。
2013年8月18日両国国技館。
この年の両国ピーターパンは2日連続で開催され、DDTが大きく勝負に出た大事な大会だった。
高梨さん&チェリーさんと組み福田さん&志田選手&世Ⅳ虎選手と対戦。
ビッグデビルより更に大きく、華麗にそして何より強くなって赤井沙希というプロレスラーが誕生した。
文句無しのデビュー戦。
しかし僕らはこの時は知らなかったのだ。
赤井さんの中に眠るプロレスラーとしての炎の火種の強さを。
ちなみにこの前日の大会ではアイドルやウルトラセブン、オールナイトニッポンGOLDパーソナリティ争奪マッチ、DRESS CAMPプレゼンツマッチなど様々なコラボが行われていた。
その中でファッションショーがあり赤井さんはゲストモデルとして参加したのだが。
そのリハを観ていた菊タロー選手が思わず言っていた。
「俺らが知ってる美人とはレベルが違うな…」

赤井さんを語る上でその美しさは当然欠かせないのだが。
レスラーとして活躍した原因の一つは気の強さなんじゃないかと思っている。
先述したエキシビションの感想が「悔しかった」って時点でレスラーになる素質は十分だったと思う。
トップで活躍する選手三人の中で10分闘い抜いた感想で「悔しい」なんてなかなか出ないのではなかろうか。
他にも練習を始めて直ぐの頃、なかなか出来ない動きがあった。
周りも「まだ出来なくて当然、仕方ないですよ」って感じで接していたのだが赤井さんは思わず悔し泣きしたそうだ。
また、これは試合中の話で有名な話なのだが…
プロレス第二戦となった府立第二体育館での試合で坂口さんと組み彰人さん&紫雷美央選手と対戦。
コーナーで控えていた赤井さんが試合中突然リング内に入ると私の静止を振り切りスタスタと美央選手の元へ。
ん?とみんなが思わず見ていると…
突然のビンタ!
なんでも試合中にビンタされてムカついたからやり返したそうで。
本人は覚えてないと言っていたとかいないとか(笑)
この時点で立派なレスラーですよ!

リング外の赤井さん

ちなみに普段の赤井さんはお茶目というかやや天然っぽいところもあって。
下らない事でケラケラ笑ったり、突然謎の人物を演じてみんなを笑わせたり。
赤井さんの周りは常に笑いが絶えない。
かと思ったらめちゃくちゃしっかりされていて。
赤井さんから学んだことはとても多く。
プロレス以外の現場で赤井さんと一緒だった時にスタッフ一人一人に丁寧に「よろしくお願いいたします」と挨拶をしているのを見てハッと気付かされたり。
遠征の帰りに空港で一緒になった時に荷物預けるのに並んでいたら「お連れ様でしたら一緒に預けられますよ」と言われ。
荷物を預けたものの赤井さんの綺麗なスーツケースと私のボロボロの安物のスーツケースが並んで流れて行くのを見て『私も大人なんだからちゃんとしないと!』と考え直させてもらったり。
その後リモアのスーツケースを買ってしばらく使ってたものの若手がどかす時に広げたまま廊下を引き摺ってるのを見てもう会場に持って行くのを止めたんだけどまあそれはそれとして。
洋服とか靴とか財布とか家具とかお肌の事とか料理とか赤井さんにアドバイスしてもらったり学んだことは本当に多くて大切な財産になっている。

その一歩が作り出した大きな道

僕なんかが分かる事ではないってのは十分承知なのだが。
赤井さんがプロレスをやるって本当に大変な勇気と努力と強い気持ちが必要だったと思う。
今でこそ芸能活動をしながらプロレスって選手を多いしそれは本当に素晴らしい事で。
その道を赤井さんが歩み出しやすくしたと言っても過言ではない。
実際東京女子プロレスの上福ゆきは「赤井さんを見てやってみようと思った」と話している。
そんな赤井さんでもデビュー当時は心無い言葉も多々浴びせられた。
「モデル出身を活かして身体を大きくしない」という高木さんの考えを知らずにいつまで経っても細い、危ない…
ところが赤井さんは男子選手の中や女子選手のトップどころと闘い続けて10年、大きな怪我をせずリングを降りようとしている。

また2世タレントでもあり、かつ芸能とプロレスの二足の草鞋を履く赤井さんの背負った十字架はとてつもなく重かったのではないかと思う。
バッシングも努力も苦労も普通の人の2倍、4倍…
それを全て跳ね返しやり遂げた10年。
味わった大変さの4倍、8倍の幸せをプロレスで勝ち取ってくれている事を願うばかりである。

10年

そう、10年。
『一回だけ試合するのかな?』『ビッグマッチだけ出るのかな?』なんて勝手に思っていたが、赤井さんの心に灯ったプロレスの火種は大きくそして文字通り強く気高く美しく燃え続けた。
DDTの地方大会はもちろん東京女子、他団体にも参戦。
路上プロレスで駆け回り、ロックンロールデスマッチで踊り狂い、ドランクマッチで大トラになり、パンストを被ってみんなを驚かせ…
DDTの全てを体現して駆け抜けた10年間だったのではなかろうか。

赤井さんが常々言ってる事がある。
「赤井沙希と言う名前を使って少しでもDDTを知ってくれる人が増えれば…」
綺麗事でも何でもなく、赤井さんは常にDDTと言う名前を発信し広めて来た。
DDTの看板を誰よりも掲げて世間と戦ってきた。
結果DDTの名前は大きく世間に知られる事となった。
「赤井沙希ちゃんのいる団体でしょ?」
「あんな綺麗な子がプロレスやってるの?」
何度言われた事か。

やって来る最後の日

私はデビュー前のエキシビション、デビュー戦、DDTの数多くの試合、東京女子での試合。
数えきれないくらいの赤井さんの試合をレフェリーしてきた。
恐らくリング上で赤井沙希と過ごした時間は1番長いのではないか。
特別だった赤井さんのいる光景はいつの間にか日常になった。
それは赤井さんが重ねた努力と常に優しく気配りを続け、若手にも優しく時に厳しく接して来てくれたから。
DDTという団体を心から愛してくれたから。
いつの間にかDDTが赤井さんを頼り、赤井さんがDDTを守る、そんな一面があったのではないか。

この素晴らしき時間も間もなく終わりを告げようとしている。
プロレスラー赤井沙希を見られるのはあと1試合。
今でも信じられない。
来月も来年も試合前のリングでみんなと笑いながらストレッチしている赤井さんがいるのではないか?
チクタクチクタクが流れて花道を誰よりも美しく歩いてくる赤井さんが見られるのではないか?
でもそれは贅沢な希望。
美しく、華麗なままリングを降りる決意をした赤井さんをみんなの笑顔で送り出す。
それが僕らに出来る最後の赤井さんへの恩返し。
返し切れるか分からない、大きな大きな恩の。

あと1試合、最後まで無事にリングから降りる事を祈りつつ。
1日早いけど赤井さん本当にお疲れ様でした!
そして本当にありがとうございました!

実は引退に関して何年も前から赤井さんに言われていた事があって…

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