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安心安全から安心解放へ

言葉の心理的影響とは自分が思っている以上にズシンとくるもので、
それが引っかかったままだと呪縛なったりする。やっかいだなあ。
私だけがかもしれないが、いつごろからか「安心安全」という言葉が多用される(と見える)ことが気になり始めていた。
何をもって安心安全なのだろう?
とつっこみたくなるし
場合によっては何か闇を感じたりする時がある。
相手の身を案ずるときに使えば温かい印象も受け、間違いがない確実性がある。
私は素直じゃないのだろう。「そこ、不要じゃない?」って場面で使われるとモヤる。

・「遊ぶときは安心安全で!」(気持ちはわかるが石橋叩きすぎ)
・災害時じゃない場面で「安心安全でお過ごしください」(確かに世の中サバイバルだけどなんか身構えてしまう)
・「人生、安心安全で」(それが大事な人もいるけどなんか枠にハマった生き方?)
・「安心安全な食事を」(以下、少し農薬の話題になります)

私だけが感じていることかもしれないが、一般的に「農業(の問題と言っていいかも)」と言えばすぐに農薬の心配が先に立つ。
例えば、家庭菜園をやっていると言うと「無農薬で?」と聞かれることが多い。私も数年前までなら、誰かが家庭菜園をやっているならそう聞くことがあった。でもだんだんと考え方が変わってきた。
どうでもよくなってきたと言った方がいいかも。

家庭菜園の特権というか、やる利点のひとつとして農薬を使った野菜が苦手な方には無農薬の野菜が新鮮な状態で食べれるということ。合わせて化学肥料が苦手という場合も自分に合った肥料を使えるし、もしくは無肥料栽培もできる。


らっきょうの2年掘り 分球が進んでいた そしておいしぃ〜〜!


今年は春ウコン・秋ウコンにも挑戦

少し話題は外れてこの無肥料栽培という技術というか手法、
専門的なことを説明できないので論破できないが、
無肥料では野菜はできないと思う。あれやこれやが結果的に肥料になっているのにそれらを無視して「無肥料栽培」と呼ぶことに大きな疑問がある。


農薬を使わないことが安全なのか?そうでもないんじゃないかと考え始めてます。
農薬も”新薬”があるわけで。。。



イチゴハウスの管理バイトをしていたときに雇い主さんは農薬の”新薬”をいろいろ試していました。農協に出荷しているのでいろんな情報が入ってくる様子。イチゴはとても繊細な果物で、ハウスはすぐに病気がまわりやすいのでよくない菌を見つけたらやばくなる前にすぐに対処します。
その結果、安定した価格できれいで甘いイチゴがスーパーで買える。

戦後の農薬は「農家も出荷する作物は食べずに、別で作っていた」と言われるくらい強くて、量も定められた量以上を使っていた時期があるという証言もあるが、もちろん現代では改められている。その情報をアップデートせずに令和でも農薬やべーよ!というのはちがうかと。(以前は私も農薬は「悪」と思っていた)
もちろん感じ方は個人差があるのでケミカルが体に支障があるならその野菜たちから離れたほうがいい。けど、確実な答えが見えない部分をだれもかれもが声高々と批判している場面が多くなった。

食料自給率とか残留農薬とか、どういう調べ方をしたのか知らないまま数字の結果だけを見てインフルエンサーというか影響力がある人が発言していることが多くなりうっかりそのまま受け入れてしまいそうになる。
これは偏った見方だけど、どちらとも株価のように流動的なものじゃない?調査方法やいつどれくらい時間をかけて調査したのか開示してもらわないと、いくら大きな機関が発表しているとはいえ疑問があり納得ができない。ズレとかタイムラグもあると思う。
残留農薬で言うとどういうデータ採りをしているのかわかりませんが、例えば私が知る限り、JAに出荷する農家であっても農家の数だけ考え方が違うので、技術も同じことはなくあまり薬を使わず収穫している人もいる。その人たちの努力虚しく農薬まみれと言われるのは「はて?」となる。(NHK朝ドラ、「虎に翼」の影響)

なぜこんなにも「無」が良いものとなったんだろう。

私の畑では自然栽培ではなく、一昨年から化学肥料も少しだけ使うようになり農薬も場合によっては微量(化学性)
販売しているバタフライピー のみ化学性は使わず。

今年、春キャベツへの青虫の広がり方がすごく、虫たちの糞まみれ。水で洗い流せばいいのだろうけどなんとなく「寄生虫とかいたらどうしよう」とかいろんな理由が出てきて食べれないと判断し、ほっといてたらあっという間に、ほねかわすじえもんキャベツになった。でも秋先に苗を植えると虫の被害はほとんどないので、毎年たくさん作付けします。

無農薬で出荷されている生産者は私のように虫にやられない技術で栽培されているのだろう。けど私が実際出会った生産者で、作物がしっかりしないうちは弱めの農薬をバンバン使いながらも、出荷するときは農薬が抜けているので「無農薬野菜」と表示している方もいた。
「無農薬栽培」と「無農薬野菜」の言葉のちがい。
なるほど、嘘はついていないかも。

しかし、農林水産省のガイドラインでは「無農薬◯◯」「無化学肥料◯◯」(減◯◯含む)という表示は禁止されている。それにも関わらず当たり前のようにそれらが市場に出回っているのは生産者がそれを知らないか、知りながらも「安心安全」のイメージを売るために表示してる可能性もある。


農業の職業訓練校に通い始めて1ヶ月が過ぎた。
農業は自然科学、と私が言い切るには無理があり、説得力にかけるけど知れば知るほどそうだけど、一方で科学がすべてでもないと強く考えたりする。

知れば知るほど、のもう一つ。
農業はひとりではできない。

人はひとりでは生きていけないのと同じように、農作業はひとりではできない。家庭菜園なら可能かもしれないが、生業ではいくらスマート農業があるとはいえある程度のコミュニティがないと。
昔からそうだった。小さな小さなコミュニティで農業はあり、各々のセンスで作物があり、村があった。

学校の畑 初めて防獣ネットを設置する方法を学ぶ 作物は落花生
道具はこのリアカーで運ぶ
閉校になった中学校を使っている 体育館も現役
何かと話題の"菌ちゃん農法"を先生が取り入れてみた 
「自然農法」とうたっているが、有機農じゃない?1人ではできない畝作りのため
うちでは不採用だな
菌ちゃんが「この空芯菜をみて!」と言っているからなのか、空芯菜の種がまかれた。
きれいに育ってます。

お世話になったことがある遠くの村で農家をやっている友人がある日突然倒れる。「人食いバクテリア」という初めて聞く、わけわかんないものに襲われていた。ネットで調べたところ、どうやら今年流行の兆しがあるらしくそれは感染症ということ。疾患内容がやばすぎるのでここには書けない、がく然とした。
なぜ彼が?いろんなことがあったけど、改めて穏やかな村の生活を始めようとしていたのに。3人目の子供がもうすぐやってくるというのに。

彼が長く意識を失っている間、村の農家仲間たちが彼のハウスで作付けと管理作業を進めていた。彼の家族のケアも協力していた。そのおかげあってか、驚異の回復力を見せ、爆速広範囲で感染したにも関わらず生存した例はめずらしくていろんな先生や学生が通りがかりのついでに友人をのぞいていったらしい。
意識を取り戻したときに、彼の農ブランド名でグループLINEができていた。慣行農、有機農、農家じゃない仲間が集まりあれこれ意見を出し合いながら、みんな自分の仕事の合間に分担して作業を進めていて、ベッドの上にいた友人はいろんなことをたくさん学び、すごく貴重な機会になったと同時にすごく胸が熱くなった、と移ったリハビリ専門の病院から教えてくれた。でもリハビリいらんのじゃない?という回復力だったので、復活した今、なんとか収穫と出荷に間に合った、よかったね!
そして大好きな音楽を奏でることができて本当によかったね!

村から見えるシンボリックな山

枠を超えて、いろなんな人がその作物に関わり、食べる人に届いた時の感動。「安心安全な」ではなくて「安心安全に」自分の食卓に届く、とした方が闇を感じずに健康的ではないかな。
今年も彼が作った野菜を注文するつもり。

先日、訓練校でキャリアコンサルタントとの面談があり、
なぜ農業なのか?と聞かれた。
”なぜかひかれた”と答えてしまったが、コンサルタントとの別の対話で答えが出ていた。
現場に入って経験してみないとわからないことだけど(私の場合農業バイトの経験&家庭菜園&訓練校)農作業は一人ではできず、いろんな人が関わりながらやるもの。多くの人々を輝かせながらいろんなことから”解放”させ、または受け入れながらやっていくもの。小さなコミュニティであって、さらには村であり、地域であり、国であり、もっと大きく言えば地球なのかも。
私、ではなく、私たち

倒れた友人の件もあり、家庭菜園を始めて6年目、やっとそれに気づき、
なぜ自分が農に興味があるのか言葉にできた。
おそらく幼少期の傷にパッチするためであったことにも気づいた。
考えまくって振り絞って、では到達できなかった境地。

農にはいろんな可能性がある。


学校でたくさんの種をいただく。全部自分の畑に撒いたので、現在カオス状態。
そして春の長雨の影響なのか今年は草の勢いがやばい×100
ので
畑というより草原

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永沼敦子の来双船⛴
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