ボウガコウシン、残念な結果の理由
一緒に仕事をしている若い人から、
メッセージを頂きました。
なんで、ボウガコウシンが
うまくいかなかったか、
理由が気になります。
原因は、これこれですか?
という。確かに気になりますよね。
実際には、
うまくいかないときの理由は、
ケースバイケースで、
いくつかの要因が
複合的に作用しているのでは?
と思います。
ですが、スタンダードな理由として、
これが考えられると思います。
根株に、糖の蓄積が
(ほとんど)なかった。
更新がうまくいかなかったとき、
株が古くなっていたから、
という説明を
聞いたことがないでしょうか?
先日書いた、全滅の現場でも、
そのような説明がなされていました。
クヌギの樹齢が100年近くなり、
大径木となっていて
株が古くなりすぎていたから、と。
そこで起きていることを
具体的に見てみると
こういうことだと理解しています。
きっちり説明すると、
だいぶ長くなりそう、
だから要点だけ、にいたします。
最初は、地上部の幹を、
薪とするために切る。
すると、後に切り株となって
残る部分の幹から
枝が伸び出してきます。
そんなふうに枝が伸びてくるには、
残された切り株の樹皮の内側に、
眠ってはいたけど、
ちゃんと生きている芽が、
ひかえている必要があります。
でも、バックアップの芽が
準備されているだけでは
枝は再生してこないんですね。
何が足りないか?
それは、芽を開いて
枝葉に変えるには、
エネルギーとなる
糖が必要だからです。
必要十分な糖の蓄積が、
根株に蓄えてあれば、
そのときは、その蓄えを使って
眠っている芽を起こし、
枝葉として伸ばすことができます。
だから、ボウガコウシンを
成功させようと思ったら、
まずは、地上で暮らす枝葉が
根を養えるだけ十分に
稼げている必要があります、
幹や枝が切られるまでに。
木には、時として、
結構、過酷な状況が
やってくることがある、
ボウガコウシンというような。
だからそれを想定して、
その困難を乗り越えるために、
根は、太い部分の生きた細胞に
糖をためることにしたようです。
だから、元気で稼ぎのよい木は
太い根の細胞にたくさんの蓄えがある。
で、根元近くで幹を切っても
枝が伸びてきます。
一方、ボウガコウシンをするたびに
何が起きるかというと。
枝をみな切ると、一時的に、
根は枝の稼いだ糖を
まったくもらえなくなります。
でも、地下で暮らす根は、
自分では光合成できません…
そうすると、先端近くにある
細い根から、徐々に死んでいきます。
ですが、時間が経って
枝が再生して
順調に稼げるようになると、
根は、また糖の分け前に
あずかれるようになる。
だけど、薪炭林(里山林)では、
15年~25年くらい経って、
枝がいい感じに太くなってきたら、
繰り返し、またそれを切るのです。
人間は自分には根がないので、
想像するのがむずかしいけれど。
が、地上部の枝を切るたびごとに、
糖をもらえず、
エネルギー不足に陥った根は、
死んでは腐り、を繰り返して、
だんだん、根ばりの範囲が
小さくなっていきます。
その結果、糖を蓄積できる
生きた細胞の数が、
着々と減少しているのでした。
そうして、25年間隔で4回ほど
枝を切っては伸びるを繰り返すと、
木のお年は100歳くらいになっている。
地上部は、切っても再生しているから、
何度でもいけそう、と感じます。
が、根は死んで腐った部分が
かなりの体積を占めていて、
切り株の芽にエネルギーを
与えたくても、すでに、
貯蓄は底をつきてしまっていて…
だから、高齢化したから
枝が出てこなくなると言われるとき、
木の体内で起きていることを
地上部と地下部とあわせて
追っていくと、上に書いたような
現象が起きている、と考えられます。
地上部で起きることは、
実は地下が支配している…
で、もう一つ重要なことは、
萌芽更新がうまくいくかどうかは、
年齢だけでは決まらないこと。
芽を開くのに必要なものは?
そうです、
地下で暮らす根が
貯めているエネルギー。
だから、株が古くならなくても、
若木だって、元気のない木は
稼ぎが少なくて
根に蓄積があまりないから、
萌芽更新はうまくいきません。
どうでしょう?
人間も、老化とか加齢、
と言われると、
手も足も出ない感覚になりそう。
が、生理学的な現象を
具体的に一つ一つ追っていくと、
なるほどなあ、
できることが全くないわけではない、
という感じになりませんか?
生きものの健全性や再生力は、
全体がつながって、
支えられているのだなあ、
と感心してしまいます。
そう思うと、
ボウガコウシンってのは、
木の話ばかりでなく、
人間の生活、生き方にもヒントを
与えてくれているのかも?