一つの結婚のかたち
早百合は悠介と一緒に新婚向けの料理教室を受講していた。最近流行りだそうだ。男女の共同参画はここまで来たのかと、早百合は感じ入っていた。
この教室はごく小規模で、若い夫婦がやっている。若いと言ったって、早百合が見るからそう見える。大方の受講者はこの夫婦より年下だから、そうは思わないだろう。要は、それだけ早百合達が新婚にしては歳を取っているということだ。
ところで、「この作業は何だかママゴトみたいだ」、と早百合は思っている。でも、実際はママゴトでも何でもない。これは本物だ。じゃあ、なぜ自分にはママゴトに見えるのだろう。もっと言えば、なぜ若い人達にはママゴトに見えないのだろう。
どうも、早百合は自分達の結婚を客観的に、一歩引いて見ているらしい。「結婚というものは若い者がやること」という先入観があるのだ。だから、結婚に関してやることなすこと、全てがママゴトに見えるのだ。だとしたら悲しい。ただ歳が外れているだけなのに。
早百合は既に40を超えている。数年前からこの東北の一都市に住んでいるが、そもそもはここが生まれ故郷だ。高校を出てからしばらくの間東京で暮らしていた。
早百合には結婚経験がない。別にそれが嫌なわけでもないが、一方で敢えてそうありたいという熱意もなかった。去年までは。
あれは何の用事があったのか、今となっては思い出せない。早百合の父親である省吾が珍しく早百合の元を訪ねてきた。
よもやま話の種も尽きたその夜、省吾がさも言いにくそうなフリを満載にして早百合に言った。
「20年後に君はどうしているのかね」
早百合は妹の茜程反抗的ではないが、かと言って、いつも素直に親の言う事を聞く訳でもない。でも、その時は柄にもなく20年後の自分を想像した。そして、ゾッとするほどの孤独を垣間見てしまった。そこには、まもなく定年を迎える白髪の自分がいて・・それ以外には誰もいなかった。
そこから、早百合の苦難と矛盾に満ちた道行きが始まった。相手探しを始めたということだ。
と言っても、何か特別なことをしたわけではない。婚活サイトに申し込んだだけだ。
今の時代、個人がこの案件でできることなぞたかが知れている。
「結婚相手を探す」
早百合はこういういかにも私的な行為を、万座の前で展開するのが苦手だ。でも、そうも言っていられない。若ければ相手の方から寄ってきて、自分から積極的に探す必要はないのだけれど、この歳ではそれはとんでもない高望みだ。
だから婚活サイト、つまり外注のお世話になる。出来ないことは人にまかせるのだ。同じ外注でも、昔は仲人とか色々あった。でも、人の関係が薄れた今の時代に、そんなものは化石だ。せっかく恋愛自由になったのに、行き遅れの結婚環境は江戸時代にも及ばないのだ。
その点婚活サイトは、やれ安直とか危ないとか、尻込みする人が多くいるけれど、スマホ一本の操作で事が足りる。
「スマホが人の一生を決める。自分は何てシュールな時代を生きているのか」
早百合はつくづく感嘆した。
それで、今料理教室を受講している。
ここまでは気抜けするほど簡単だった。自炊していたのが外食になったのだから、することは殆どない。メニューがあてがわれて選ぶだけ。あとは変なものを掴んで腹を壊さないように気をつければ良い。めでたく相手が見つかり、ゴール真近というわけだ。
早百合は手を止めて講師夫婦の方に目をやった。彼らもきっとやりにくいだろう。年上の生徒を教える先生みたいだ。自分達は彼らのビジネスモデルに入っていない。
それは早百合だって、こんなことをして何か白々しいとは思う。ゴッコをしているような感じだ。こう感じるのは、婚活サイト経由だからかしら。出だしが愛じゃないからかしら。心の隅で引っかかりがある。相手は無事に見つかったが、それでゴールではないのだ。まだ、大事な何かが残されている。
早百合は今度は隣を覗く。
悠介は早百合の眼鏡にかなった貴重な人だ。ちょっと痩せ気味だけど、そして、ぎこちない笑顔の裏に何かが隠れているみたいだけれど、総じてこの人はいい人だ。
でも分からないことも沢山ある。地元の人間だけど、らしくない。一つ年上で、公の団体に勤めていて、その仕事をそつなくこなす。こうなると、なぜこの人はこれまで独り身だったのか、それは考えあってのことなのか。疑問がいくらでも湧いてくる。
田舎には宝の原石がいくらでも転がっているものなのか、それとも私は何かを見逃しているのか。はたまた、歳のせいで自然とハードルが下がっていたのか。それにしても、もし自分が若くて、相手を選ぶ理由が「赤い糸で結び合っていた」、その一点だけだとしたら、その人がどう考えているかなどと疑わないのに。「ただ一緒にいたい」、動機はそれで十分なのに。けだし、行き遅れは疑い深い。
早百合は悠介が優しいと思う。それは早百合にとって嬉しいことだ。でも、相手の良い面を取り上げてみてホッとするのは、いかにも冷めたやり方だ。愛で結ばれた結婚が、相手の良い所をわざわざ確認したりするだろうか。
早百合についてだって、同じようなことが考えられる。
悠介は早百合が料理上手という。私は優しくないということか。でも、こればかりはしょうがない。自分は生来優しくないのだ。早百合の母親の正子は優しいから、この性質は遺伝しなかったと言える。何かちょっと忸怩たる思いだ。直せるものなら直したい。でも、
「これではいけない」
と早百合は思う。それはあるがままの自分ではない。嫁としてのあるべき姿を相手に見せようとしているのだ。そのやり方が晩婚ぽい。
また母親のことを考える。彼女は、「女の子だから」というのが大嫌いだ。大変な平等論者だ。ところが意外なことに、女の子ゆえの可愛らしさみたいなものを持っている。例えば、ラッコと狼のどちらを助けると言ったら、何も考えないでラッコを選んで見せる。そこに可愛いらしさがにじみ出る。早百合はこういう芸当が出来ない。早百合は女権にはこだわらないが、女の子らしい愛らしさも持っていない。悠介はこれをどう思うだろう。一緒になって満足できるだろうか。でも、「これもだめだ」と早百合は思う。
「自分はまた理屈で相手から気に入られようとしている」
と早百合は気付く。これも行き遅れのやり方だ。
料理教室の帰り道、北国の冬なのに今年は雪がなくて、街は柔らかな陽に包まれている。公園があった。小さな、早百合の膝くらいしかない子供を遊ばせているお母さん達がいる。
その子達を見るでもなく佇んで、もう考える必要はないのに考えてしまう。
我が身の結婚を思う。そこには生物的な適齢期を逃したゆえの苦悩がある。野放図に時を送ってきた間に、自分はなにか大きなものを失ったのだ。
行き遅れとは何か。字面より遥かにその意味は深いし複雑だ。早百合はこのことを思い知った。
自分と悠介は出会いの壁を克服した。でも、このままうまく行くのだろうか。この先の自分の心持ちに自信が持てない。ついつい冷めた目で生活を見る自分がいる。
このまま自分たちが首尾よく結婚したとして、若い夫婦のような新婚の日々を送れるだろうか。一緒に何かを建設する、ある種戦友のようになれるだろうか。
若い頃の未成熟が今となっては羨ましい。互いが未成熟ならば、一緒に生活してもすぐ溶け合える。そこに何の問題もない。では、下手にキャリアを積んだ自分たちは、だてに確立してしまった主張を曲げてまで、手を繋いだ生活ができるだろうか。「互いを尊重する」などといううそ寒い言葉を放ちながら、よそよそしく日常を送るのではないか。
自分たちには問題がある。ついマニュアルを見てしまう。経験に頼るということだ。これでは安全は手に入るが若さを手放す。成功に危うさが伴うのが若さの象徴だ。若くない我々には失敗が許されないから、マニュアルを参考にして付き合ったり、マニュアルの導き通りに結婚後の生活をする。
自分たちが今してきた料理教室の受講も、結婚のマニュアルが導く段取りの一つかもしれない、と苦笑いする。もしかしてこの先に控える結婚式だってそうかもしれない。これは愛だけによらない、勢いで成し遂げるのではない結婚の冷たい現実だ。自分達はこの先何十年も、マニュアルに沿ってよそよそしく暮らして行くのだ。
公園で遊ぶ子供達を目で追いながら、早百合は将来を考える。
これまで早百合は分かってなかった。
行き遅れは出会いがないから、結婚に至れないと勘違いした。だから、婚活サイトさえ上手く行けば、結果は後からついてくると思い込んだ。でも、それは間違いだった。要はその先があるということだ。
婚活サイトは出会いを保証するだけだから、そこで成就した結婚は、強い動機を備えていない。愛に基づいていないから、本能に基づいていないから、出会った後、更には結婚した後で、何をしていいか分からない。
でも、いくら歳取ってからの結婚だと言っても、その生活は十分長い。その生活の中で、自分は何をすれば良いのか。どうすれば血の通った生活を続けられるのか。その答えは婚活サイトにはないし、マニュアルを紐解くものでもない。自分で考えなければならないのだ。
この局面をのうまく乗り越える人を想像する。その人は、天賦の才能と幸運に恵まれているのだろう。自分にそんなものがあったら、とっくの昔に既婚者だ。と言うより、自分には人にごく普通な何かが足りないのだろう。
これは苦しみだと早百合は思う。遅すぎた結婚故の苦しみだ。自分たちは無事にこの障害を乗り越えられるだろうか。若い夫婦が当然のように持っている、ちゃんしたと愛が生まれるのかしら。それとも、このままどこかよそよそしい、ある意味相手を尊重する、世の推奨する夫婦像に沿った生活を、何十年も続けるのかしら。
早百合は悠介を見る。ちょっと聞いてみようかと思ったが、すぐにその言葉を飲み込んだ。
「結婚したら、次はどうしたらいいの?」
などと、結婚前に聞けるものか。少なくとも若いカップルならそうしないだろう。言わずもがなというものだ。
聞けない。でも気にはなる。
悠介は子供を眺めている。この人は何も感じないのか。それとも思うところを隠しているのか。
少し悲しくなる。でも気を取り直す。もう我を忘れる歳ではないのだ。我を張れる歳でもない。
折り合いをつければいい。それは少し寂しいけれど、柔軟に暮らすことが必要なのだ。
「少なくとも今、自分は孤独じゃない」
早百合はその言葉を噛みしめる。大事にしたいと心に誓う。
悠介がこちらを振り返る。二人はゆっくりと公園を離れた。