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集合体恐怖症は時と場合による

足踏みをしてみた。
普段はあまりしない行為。
右左右左右左…途中で左右逆らう事はできない。
同じ数だけ均等に踏み鳴らしたい。
だが、左右という言葉は逆になっている。
とても気持ちが悪い。

そんなことはどうでもいい。

あまり頭を使わず話そうか。
焼き鳥屋で豚骨ラーメン屋を30mほど過ぎた地点ような匂いがする。
圧倒的にいま不足している。
達成感というものが足りないように感じる。
ただ、それは何を達成したら満たされるのかもわからない。
運動?絵?音楽?制作?人間関係?
ドラムパターンで言うと常に頭打ちのような忙しなく焦りながら進んでいるような毎日だ。
タットンタトット/タットンタトット…
一生締まらない、フェードアウトもしないような曲調だ。

だからきっと、冒頭で足踏みをしていたんだと思う。
けれど、ひとつだけ左右を裏切る行動があったことを思い出した。

救急車のピーポーピーポーに合わせ歩くとするならば、ピー(右足)ポー(左足)というルールがある。
逆の足が合ってしまうとポーピーポーピーとなってしまう。それはとても気持ちが悪い。
なので揃えるためにポー(左)ピー(右)ピー(右)ポー(左)ピー(右)ポー(左)となる。

均等さは失われるが音とリズムがはまるしっくりする行為である。

どっちを取るかなんていうのは結局その時の気分で、自分ルールの傲慢さによって変わる。

日々それだ。
いまなににモヤモヤしているかというと着地点は考えず書き進めてしまったこの文章だ。

A型寄りのO型のような、大雑把だけどある部分では几帳面なんですよ、を表すような適当なニュアンスで伝えようとし、それでなんとなく伝わってしまうつまらない会話のようで呆れる。

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