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きしぉう博士のアジア研究ノート

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きしぉう博士が書いたアジア研究や歴史学関連の2020年10月から2021年1月までの有料記事の全てが読めるマガジンです。
アジア研究、特に東南アジア研究の前線の話がかじれます。 それから、大手の出版局・大学出版局から本を…
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2020年10月の記事一覧

歴史家のお仕事

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自己紹介(国連、東南アジア研究、趣味など)

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ミンダナオフィールドノート 2019年8月

2019年8月18日 オーラルヒストリープロジェクトの一環でミンダナオ島北部、カガヤンデオロシティーの東端、プエルトに来ている。カガヤンデオロは、妻が生まれ育った土地として、ここ10年来親しんでいる場所でもあるが、ビサヤ語の勉強をしながら、義理の家族のネットワークを利用してインタビューを集めている。インタビューの中でさまざまなテーマが出てくるが、私がこの土地について持っている印象が変わったこととして、カガヤーノたちの「暴力と正当性」に関する認識について書きとめておく。

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アラタス講義録(1)自律的社会科学伝統、囚われた思考、模倣型の研究

内容エドワード・サイードが絶賛したマレーシアの社会学者、サイド・フセイン・アラタスのシンガポール国立大学での晩年の講義録の日本語訳です。 問題提起 囚われた思考1950年代初頭、つまり私がアムステルダム大学の学生であった頃から、私は直感的に世界中のたくさんの地域における自律的社会科学伝統の必要性について考えてきた。ちょうどその頃、イブン・ハルドゥン(Ibn Khaldun)の著作を読み、芸術家なくして芸術が発展することはできないということを教わった。同様に、自律的伝統も、そ

アラタス講義録(2)「怠惰な原住民の神話」と学知の普遍性について

アラタス先生のこと第一回目((https://note.com/kishotsuchiya/n/ne52daa22dc9e)の続きです。 故サイド・フセイン・アラタス教授は、私がシンガポール国立大(NUS)の修士課程に入る少し前にマレー研究の教授を務めておられました。マレー半島では怖いもの知らずの知識人として畏敬されている人で、NUSで勉強し始めた頃に出会って最も衝撃を受けた思想のひとつがこの人物でした。生前最後に行われた講演では、ご自身のことを「社会の余計者」と呼んでおら

アラタス講義録(3):研究の重要性の基準、自律的社会科学、ごますり性の社会学

第一回(https://note.com/kishotsuchiya/n/ne52daa22dc9e) 第二回(https://note.com/kishotsuchiya/n/n883eab4dbf7f) に続く最終回です。以下が講義録です。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 研究の「重要性」について 虚無主義的な潮流の影響力は過小評価するべきではない。社会科学において、それはさまざまな形をとってきたが、その一つは「重要性(significance)」の無視である。

米澤穂信「いまさら翼といわれても」を読んで

米澤作品と出会ったのは、10年ほど前のことだったと思う。図書館で「秋季限定栗きんとん事件」という浮いたタイトルを見つけてしまった。ペラペラと数ページ読んでみると面白くて止まらなくなり、結局そのまま上下巻借りて徹夜して読み切った。次の日にこれが米澤穂信の「小市民シリーズ」の第3巻だと知って、「春季限定いちごタルト事件」「夏季限定トロピカルフルーツ事件」を読み終えた。その後、長編は「ベルーフシリーズ」以外ほぼ全て読んでいる。先日、古典部シリーズの第6巻「いまさら翼といわれても」が

複数の場所から書く歴史:ティモール、ポルトガル、東京

<写真はリスボンの国立図書館で> フィールドワークについての書評の依頼昨年のことだけれど、ケンブリッジ大学の東南アジア研究ジャーナルからティモール島でのフィールドワークに関する本の書評を頼まれてて書評を書いた。書評のリンクは貼っておく。 https://www.cambridge.org/core/journals/journal-of-southeast-asian-studies/article/timorleste-fieldwork-in-timorleste-u

小学生の私がプロレタリア文学に出会った話

私は、「左翼の牙城」と呼ばれる高校に通い、「中央委員」さえやり、学生運動で有名な大学に行き、結局今でも半歩くらいは左派の思想伝統に乗っかって書いている。 初めてプロレタリア文学に出会ったのは小学生の頃だ。しかし、あれが「オルグ」だとすれば、それはボーイ・ミーツ・ガール的なオルグだった。

場所と空間について

場所の意味?誰でも「場所」という言葉は知っている。でも、「場所の意味を説明できますか」と聞かれたら大多数の人は困ると思う。 私は歴史を書く上で「場所」と「空間」という概念にかかずらっているやや少数派の研究者なのだけど、日本語の辞書で「場所」を調べてみると、コトバンクでは (1)位置。 また、特定の地域。 区域。 (2)いるところ。 ウェブリオでは (1)何かが存在したり行われたりする所。ある広がりをもった土地、(2)人がいる所。また、物が占めるために要する広さ」となっ

企業の知的財産とハッカーの知る権利

今朝の朝日新聞の見出しは、「落ちたPS3違法改造の沼 小遣い足りないと妻に言えず」だった。新聞記者が、「知的財産」みたいな観念やそれを守る法律を、ここまで自分の道徳として内面化してしまっているのかと改めて驚いた。 初期のインターネットのアナーキーを経験していたり、歴史家として20世紀のハッカーたちの活動について多少の興奮を持って読んでいたりすれば、「落ちたPS3違法改造の沼」とはタイトリングしないだろう。むしろ、大企業側の言説から独立して考えられる人なら、「なんで法律もメデ

講義用ノート コミュニティ形成の東南アジア史(1)シリーズ概論

本業です。シンガポール国立大で教えている大学2・3年生向けの「東南アジア史入門」の授業をコミュニティ形成史として作り直し、日本語の講義用ノートを作る計画です。ちびちびやります。域内の研究もできるだけピックアップしていきますが、東南アジア研究の系譜的には、ビクトール・リバーマン → マイトリ・アウントゥイン → 土屋、あるいはD.G.Eホール → オリバー・ウォルターズ → レイナルド・イレート → 土屋です。なので、基本的にはミシガン大及びコーネル大系列の伝統に基づいて(多少