💬コラム｜院長の頭のなか。「臨床８：経営２」は正しいか？

動物病院の院長という立場は、いわば「経営者」であるはずです。しかし、実際には多くの院長はほとんど経営を学んだ経験がないまま、日々の臨床業務に追われています。
これは私自身が身をもって痛感したことでもありますが、業界全体を見渡しても、同じ課題を抱えている病院が非常に多いのではないでしょうか。

　「臨床が8割、それ以外が2割程度だ」という錯覚が起こる理由や気持ちは、よく分かります。

私たちは動物の命を救うことに情熱を注いできた動物医療技術者であり、病気の診断や治療が日常の中心にあるからです。

しかし、いざ組織の運営となれば、経営、バックオフィス、スタッフ教育、人事評価、財務管理など、いわゆる“病院を回す仕組み”づくりが不可欠になってきます。

にもかかわらず、そこへの投資や学習が圧倒的に不足している――私がこの業界を俯瞰するなかで感じてきた現実は、まさにその一言に尽きます。

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プロスポーツチームから学べること

　私は時折、プロスポーツチームの例を引き合いに出して考えてみることがあります。たとえば野球やサッカーの強豪チームを想像してください。選手たちは高度なトレーニングや試合で成果を出す“臨床家”にあたります。一方で、チームを支えるコーチ、トレーナー、栄養士、アナリスト、そしてマネージャーや経営陣がいます。選手たちが試合に専念できるのは、こうした裏方のサポートが充実しているからこそです。

　しかし、動物病院ではどうでしょう。私たち獣医師は日々の診療に追われ、いわゆる“バックオフィス”の機能を軽視したり、あるいは何とか院長が片手間でこなしたりしてしまいがちです。

プロスポーツチームで例えるなら、コーチやトレーナーがほとんどいない状態で試合に臨み、疲弊しながらも選手がすべてを抱え込んでいる――そんな構造になっている病院が少なくありません。

これではスタッフも長く働き続けられませんし、患者や飼い主さんに対して最良の医療を提供し続けることも難しくなってしまうでしょう。

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ドラッカーの「知的傲慢」

　ここで引用したいのが、経営学の巨人ピーター・ドラッカーの言葉です。彼は「知的傲慢」という表現を使っています。これは、自分の専門分野において高い知識やスキルを持つ人が、他分野の知識を軽視したり、自分が知らない領域の重要性を見逃してしまうことを指しています。言い換えれば、「獣医師としての臨床能力に絶対的な自信があるからこそ、経営については学ぶ必要がない」と思い込むような状態です。

　私たち臨床家は、どうしても医療技術の向上に情熱を注ぎがちです。もちろん、それ自体は素晴らしいことですし、その努力が動物たちを救ってきたのも事実です。しかし、動物病院という組織が長期的に存続し、スタッフが充実感をもって働き続けるためには、経営的な視点がどうしても欠かせません。いくらプロスポーツ選手として卓越した技術を持っていても、チームマネジメントがおろそかになれば、結果を残すことは難しいのと同じ理屈です。

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PAWSにはなぜ“すごいメンバー”が集まるのか

　私が代表を務めるPAWS有限会社（MHVC，らしくら、EKINONEKI…）では、業界内外を問わず、「こんなにすごいメンバーが集まってくるのですか？」と聞かれる機会が増えてきました。たしかに獣医師や看護師だけでなく、経営戦略や人事、マーケティングなど、多様なバックグラウンドを持つ人材が集まり、チームとして協力し合っています。

　その背景には、臨床と同じくらい、経営・マネジメントの育成に投資してきたという事実があります。私自身、2010年に動物医療業界を改めて分析したとき、以下の二つを大きな課題として感じました。

1. 臨床における教育の標準化の課題

   • 動物病院によって臨床技術の格差が大きく、教育体制にばらつきがある。

2. 経営が「ない」

   • 病院経営を学ぶ機会や知見がほとんどなく、個々人の経験に依存している。

　私はもともと臨床が大好きで、外科手術や診断に熱中してきました。しかし、上記の2つの課題を深く考えていくうちに、「自分自身がまずは臨床から一歩離れ、経営・マネジメントの分野を学ぶ必要がある」と痛感したのです。
院長という立場でありながら経営を学ばずに走り続ければ、いつか必ず大きな壁にぶつかる。それならば、いっそ自分が“経営の専門家”を目指したほうが、病院とスタッフ、ひいては動物医療業界にとっての価値が高いと判断しました。

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経営に本気で投資するということ

　そこで私は、大好きだった臨床から一時的に離れるという決断をしました。現場に立つ機会を減らし、経営塾やMBA的なプログラムなどマネジメント手法を学ぶことにかなりの時間とコストを費やしたのです。「なんで獣医師なのに経営勉強してるんですか？」と怪訝な顔をされることも多々ありました。しかし、そのときの学びがあったからこそ、現在のMHVCの基盤を築けたと感じています。

　そして、自分一人が経営を学んでも、病院全体が変わるわけではありません。いかにしてマネジメント人材を育成し、組織全体で機能させるかが重要になります。「社内に経営者を育成する」というテーマを設け、私自身だけではなく、外部での経営の学びを提供しています。

　一方で、臨床への投資も疎かにしているわけではありません。むしろ、高度医療機器の導入や専門性の高い獣医師の育成、各種学会やセミナーへの参加など、多くの投資してきました。スタッフがセミナーや研修に参加する際の費用はすべて会社が負担しています。

臨床と経営の両方に真摯に向き合い、両立を図るという姿勢が、結果的に「この病院には面白い挑戦がある」「キャリアを伸ばせる環境がある」と感じる人材を引きつけているのではないかと思います。

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業界として「臨床8：経営2」からの脱却

　私がこれまでさまざまな動物病院を見てきた限り、業界全体には「臨床8、経営2。いや、それ以下」という傾向がまだまだ根強く残っていると感じます。もちろん、臨床の質を高める努力は大切ですが、そこばかりに投資を集中させてしまうと、組織運営が不透明になり、患者や飼い主さんの満足度を長期的に維持できなくなる可能性が大いにあるのです。

　プロスポーツチームが総合力で勝ち進むように、私たち動物病院も「臨床力」と「経営力」の要素が総合的にバランスよく機能してこそ、理想とする医療を長く続けられます。

ドラッカーが警鐘を鳴らした“知的傲慢”から抜け出し、獣医師自身が学びを深めるとともに、チーム全体が“経営・マネジメント”の視点を身につけていくことが、これからの動物医療を飛躍させる鍵になると私は信じています。

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結果として得られる好循環

　経営やマネジメントへの投資には、確かに時間もお金もかかります。それでも、そこから得られるリターンは想像以上に大きいと実感しています。

スタッフが組織のビジョンや仕組みを理解すれば、主体的に改善点を見つけ、実行してくれるようになります。給与体系や評価制度が整備されれば、優秀な人材が集まりやすくなり、定着率も向上します。

経営が安定すれば、さらに臨床や研究への投資を進められ、病院としての専門性やサービスの幅が広がります。

　結局のところ、「臨床」と「経営・マネジメント」は対立するものではなく、一体となって組織の力を最大化するための両輪なのです。

私が「院長の頭のなか」というテーマでお伝えしたいのは、獣医師としての専門技術への熱意を持ち続けながら、同時に“経営者”あるいは“組織のリーダー”としての視点を積極的に学び、取り入れてほしいということです。

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これからの動物医療のために

　私たちが日々目の前で向き合うのは、言うまでもなく動物の命です。その命を守るためには、高い臨床能力が必要であることは疑いようがありません。
しかし、病院を長く、安定的に運営していくには、組織としての“マネジメント力”もまた不可欠です。そして、どちらか一方だけに突出するのではなく、どちらにも惜しみない投資を行うことで初めて、強いチームと持続可能な医療体制が築けるのだと私は確信しています。

　「院長が経営を学ぶなんて…」と昔の私が思ったように、違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれません。しかし、プロスポーツチームに例えれば、トッププレイヤーが自らマネジメントを学び、周囲を巻き込みながらチームを強くしていくことは特に珍しい話ではありません。ドラッカーが提唱した“知的傲慢”を乗り越えるためにも、獣医師自身が経営を学ぶ意味を再認識し、業界全体でその必要性を共有していければ、動物医療はさらに大きく進化していくでしょう。

　私たちがMHVCでささやかながら実証してきたように、臨床もマネジメントも真剣に学び、投資を惜しまないという姿勢が、結局はスタッフにも患者にも飼い主さんにも恩恵をもたらします。「なぜそんなに良いメンバーが集まるのか？」と聞かれ、私は「臨床と同じくらい、経営やマネジメントの育成を大切にしているからです」と答えています。それは決して特別なことではなく、本来は動物病院という組織にとって“当たり前”になるべき姿ではないでしょうか。

　いまだに業界全体としては「臨床8：経営2」、あるいは「経営への投資はほぼゼロ」という状態が続いているように感じます。本当に標準的医療を提供し続けることは難しくなるでしょう。

だからこそ、今こそ私たちが意識を転換し、臨床と経営の両方を大事にしていく必要があるのです。私も皆さんとともにこのチャレンジを続けたいと思っています。