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中学2年「泣きすぎてはいけない」【生命の尊さ】の指導案はこうする!

こんにちは。
今日は
中学2年「泣きすぎてはいけない」【生命の尊さ】の指導案はこうする!
このテーマで教材解説をします。

『生命の尊さ』は、今回の指導要領改定の目玉の1つで、
重点項目として扱われている教科書が多いです。
背景には道徳の教科化のもとになった
「いじめの問題」があります。

この『生命の尊さ』をとおして、
自分だけでなく、
身近な人や自然の命の尊さについて
深く考える経験をさせたいですね。

では、解説です!

1 教材について
2 内容項目と教材
3 導入
4 発問
5 まとめ

順番に解説します。


1 教材について

D 主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること
「生命の尊さ」
目標・・・・・生命の尊さについて、その連続性や有限性なども含めて理解し、かけがえのない生命を尊重すること。

「泣きすぎてはいけない」(光村図書)
「泣きすぎてはいけない」を通して、生きることの尊さを考える。

孫より先におじいちゃんは逝ってしまう。

おじいちゃんだ大好きだったおまえは、おじいちゃんが逝ったことを知れば、泣くだろう。

成長を見守り続けたい。

見守り続けたいと願う祖父の孫への愛が、四季を通して、年月を重ねて描かれる。

泣いてもいいけど、泣きすぎてはいけない。
私が好きだったのは 笑っているおまえだったのだから

2 内容項目と教材

「生命の尊さ」はDの視点です。
Dの視点は、生命、感動、自然愛護など抽象的なものが多いです。
ですから、他の視点に比べて、言葉にしにくいことが多いです。

まとめの段階では無理に言葉にしようとせず、
子どもの考えた内容や余韻を大切にしてください。

「命は大事」という、すでに知っていることを
「だから大事なのか!」と理解を深めるイメージです。

「私」は、「お前」との思い出がたくさんあります。
その思い出を思い出し、「お前」への思いを綴っています。

ここで気になることがあります。

☆悲しいのは、「お前」だけでしょうか?

文脈から想像する限り、「私」は「お前」おお父さんのようです。

小さいころからかわいがってもらって、
長い時間を共に過ごしているのは、
お母さんなんだから、お母さんの方が悲しいのではないでしょうか?

そんな屁理屈を言って、子どもの思考を揺さぶると
「当たり前をひっくり返す」ことになるので思考が活性化されそうですね。

ここで大事なのは、命の重さの受け止め方は人それぞれ、と言うことです。

☆のような屁理屈を書きましたが、
「私」から「お前」(子ども)の命に対する思いと
「お母さん」から「お前」(子ども)の命に対する思いは
どちらが大きい、どちらがいい、という話ではなく
それぞれが深く「お前」(子ども)の命について受け止めているのです。

そのことにたどり着くために、あえて☆のような発問をすることは、
いじわるですが展開としてはアリです。

関係図を書いて、お母さんから「お前」(子ども)への矢印と、
「私」から「お前」(子ども)への矢印、
どちらが太い?などと聞いてみると、比較して考えられるので、
活発な議論になることでしょう。

命に対する考え方は人それぞれです。
祖父母と同居している子もいれば、核家族の子もいます。

それぞれが体験を通して、この教材の土俵の上で命について語ります。

どれも否定せず、受け止めたいですね。

また、Dの視点は特に言葉にすることが難しいですので、
言語化は強要しない方がいいです。
「命ってどうして大切なの?」
「命はどうやって大切にしていくの?」
などと聞いても、満足いく答えは期待できないでしょう。

しかし、言語化できないから考えがない、というわけではありません。

命については理解をしているけど、うまく言葉にできない状態なのです。

ではどうすればいいのか?

☆のように屁理屈でいじわるな発問をすると、「それは違う気がする」と反論をします。
その反論の中に、命に対するキーワードが入っていることがあります。
また、その反論から新たな気づきが生まれるのです。

ストレートに命について考える発問ではなく、変化球が有効です。

ぜひ、下記の発問も参考に屁理屈発問にチャレンジしてみてください!


3 導入

T:教師 C:子ども

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