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ドールズ 《11》

 目が覚めると、見慣れた天井が見えた。昨日は帰宅すると、キワが調子がイマイチなのですぐに寝ると言って寝室に行ってしまったため、レイチェルも用意されていた夕飯を食べたあとわりあい早く寝てしまったのだ。

 寝返りを打つと窓の外を見た。まだ薄暗かったが、珍しく早寝したためか充足した気分だった。

 起き上がると、特殊レンズをつけていないのを忘れて時計を呼び出した。当然のことながら、視界には何も現れなかった。そこでようやく、過去のことを思い出しすぎて頭痛がひどくなってしまったため、装備をほとんど外して寝ることにしたのを思い出す。ゴーグル代わりの眼鏡型簡易モニタをかけると、キッチンに向かう。流しで水を汲んで飲んだ。コップをキッチンに置くと、念のため仕事の連絡が来ていないかどうかだけを確認する。

 デリックから、メッセージが来ていた。

『発売間近の新商品』

 たったそれだけのメッセージだったが、レイチェルは「何か新しい情報が出たのか」と思った。警察からの通信は全て暗号化されてはいたが、デリックはいつもどうにでも取れるような単語に偽装して送ってくる。傍受されることを真剣に心配していると言うよりは、楽しんでいるようにも見えるため、真剣みがないと反発する隊員もいた。

 しかし、レイチェルは二年前の事件の時に、作戦が漏洩したのかもしれないことにかなりのショックを受けていたデリックを知っている。

 隊員の損害はレイチェルの怪我と、あとは軽傷が数名だったが、民間人を巻き込んで大勢を死傷させたこと、そこに妻のドナが含まれていたことは、彼に大きな傷を残した。レイチェルが入院している間に訪れたデリックは、一言「僕のせいだな」と言って笑った。それは違う、というレイチェルの声は、病室に空しく響いた。

 実際、作戦が本当に漏洩したのかどうかは分からなかった。レイチェルも含めて隊員はつぶさに調べられたが、隊員や関係者に犯人が見つからなかったことと、そのテロの計画が二ヶ月以上も前から準備されていたことがわかり、関連がない可能性の方が高くなった。レイチェル達が追っていたターゲットが取引日を決めたのはわずか二週間前で、組織側がテロ決行日を知っていて取引の情報をわざと流したのではないかという見方が優性になり、作戦が漏洩したのでは、という意見は下火になった。

 それでも、部隊だけでなく大きく民間人を巻き込むテロに発展したことは警察組織に大きな衝撃を与えた。社会的にも大きな問題になり、電子麻薬への意識も多少変わったようだった。捜査との関連は公にはされなかったので、レイチェルはたまたま居合わせて受傷した警察官として少しだけ注目を浴びたが、すぐに他の話題で忘れられていった。

 レイチェルは高旋回弾を受けたことで筋組織の損傷が激しく、骨と筋肉の復元に時間を要した。動けないわけではなかったが、きちんと治してから復職しないと落ち着かないだろうと理屈をつけられて三ヶ月休職することになった。おそらく怪我の経過を見て異動先が決まるのだろうと、デリックはレイチェルに告げた。同じ職場に復帰したところで役に立たないことは分かっていたのと、キワの容態も不安定で気持ちも落ち着かなかったため、レイチェルも休職を受け入れた。

 キワは、生命維持装置と繋げられてかろうじて生きている状態が続いていた。脳波の状態で意識があることだけは分かっていたが、体の損傷が激しく身体を動かすことは困難なようだった。

 レイチェルは、キワの脳と、あまり損傷していなかった心臓や肝臓の一部を残して、他を全て器官保護装置と代替臓器に置き換えることを選択した。キワの細胞を使って復元した臓器も試されたが、置き換えの臓器が多すぎて、脳死に陥る可能性が大きく、サム博士は推奨しないと話した。

 人工器官保護装置はサム博士が開発し作り出した技術で、遺伝的にどうしても特定の臓器に異常が出るなどの人たちの代替器官として歓迎された。ただし、人の臓器ほどの機能はやはりなく、定期的に浄化機器と呼ばれる専用ベッドに入る必要があった。キワの場合はほとんどの器官が差し替わることになるため、寝る代わりに浄化機器に入るくらい、長い時間の浄化が必要になる。

 当然、維持には高額のお金がかかった。人口血液は何度か浄化したあとは使い捨てで、しかもストックができない。保護装置は通常一年程度しか保たず、定期的な検診も必要だ。本人にも相当な負担が掛かるが、家族の負担も並大抵ではなかった。警察官、特に特殊課の人間は危険手当が付くためにそれほど安い給与というわけではない。それでも普通ならためらうレベルの金額だった。

 レイチェルはキワをどうするかと聞かれて、当然のように器官保護装置を選択した。博士はレイチェルの意思が固いことは分かりながらも、何度か金額についてそれとなく承知の上かを確かめた。しかしレイチェルにとって、キワの命、また意識を戻すための金額がいくらになろうが大した問題ではなかった。

 お金など、稼げば良い。先が見えなくても良い。キワがこのままいなくなってしまうことなど考えられなかった。受け入れられない。レイチェルは、自分が先に死ぬことは考えていても、キワが先に死ぬことなど考えていなかった。たった一人の家族と呼べる存在が、この世から消えてなくなることが震えるほど怖かった。

 人をして、修羅と呼ばれるほどの捜査官であっても。

 最初にキワが数値的に目を覚ましたのは、事件から二ヶ月後、人体型器官保護装置への移植が済んで十日後のことだった。

 レイチェルは動けるようになってから毎日ラボにあるキワの病室に通っていた。浄化装置の数値の見方を覚えて毎日チェックして整備することができれば、自宅にキワを連れ帰り、簡単な仕事であれば復職もできると説明されたため、資格取得試験を受けた。話を聞かされた移植決定直後の時点で、資格取得試験は僅か一ヶ月後に迫っていたが、幸い、キワの横たわる巨大な浄化装置がいつも目の前にあり、また見方を教えてくれるドクターは周りにたくさんいたので、人体型器官保護装置整備士の資格は無事に取れた。

 時期を同じくして、レイチェルは復職が決定していた。異動先は児童福祉部、ただし特殊管理課。麻薬組織ほどではないが、活発に行われている児童売買の強制捜査が主な仕事だ。レイチェルの右肩の傷は順調に回復が進み、また能力的にも何ら休職前と変わりないと認められたのだ。レイチェルはひどい痛みに耐えながら、精力的にリハビリを行った。キワの病室に来ても常に筋力トレーニングを行っていて、初めは意識数値の改善を知らせる音が何を表しているのかが分からなかった。

 その音が浄化装置のパネルから発せられていることに気づいたレイチェルは、何度か数値を確かめた。次いで、人を呼んだ。何人もが慌てて駆けつける。遅れて到着したサム博士が、意識数値やその他の値を確かめ、目を覚まさせることを決定した。

「膜を解除」

 ぶうん、という鈍い音のあとに、水がこぼれるような音がする。キワの開発していた人体型器官保護装置は、前のキワにどことなく似ていた。

 新しいキワは、水位が落ちた液体の中に身を半分つけたまま、うっすらと目を開ける。眠そうに何度か瞬きをしたあと、ようやく意識がはっきりしてきたように、まわりを見まわした。

 レイチェルが、博士に促されて話しかける。

「キワ。気分はどう」

 話そうとしたキワは、口の中に残っていた溶液を横向きになって咳き込みながら吐き出した。もう一度レイチェルに目を戻したあと、かすれた声で

「……レイチェル?」

 と話しかけた。

「うん……。おはよう」

 そう言ってキワの手を握り、レイチェルは泣いた。もう二度と、聞くことができないかもしれないと思った、キワの言葉だった。


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