ドールズ 《8》
真新しい白い扉を開き、ラボに入る。受付の色白の女性がレイチェルに向かって会釈した。
「レイチェル・ブラッドバーン。本日午前に博士に約束を」
レイチェルがそう言うと、女性はにこやかに立ち上がり、レイチェルにIDをかざすように促した。レイチェルは持っていたIDを機器にかざす。ピッと音がして認証が終わった。
「失礼しました。認証いたしましたので、どうぞ博士の部屋へお進みください」
ふたたび微笑んで女性は右手で廊下の奥を指した。
「ありがとう」
レイチェルは指し示された方向に向かって歩く。廊下はグレーの絨毯地で、足音は吸い込まれている。
まっすぐ歩いた先にあった扉をノックした。
「入りなさい」
声と同時に扉が開いた。
レイチェルは開く扉から一歩踏み込む。博士の研究室には、様々な大きさの研究用ドールと、ドールのパーツとが所狭しと並べられていた。あの、アベルに似たドールもある。レイチェルは中央の大きな机と椅子に座って熱心に何かを見ている博士に、ドールを見ながら近づいた。
「久しぶりだねレイチェル」
博士は、顔を上げた。ひょろりとした容貌はあまり変わっていない。髪はあまり手入れしていないのか、くせのある黄色みがかった白髪が、まだらに渦を巻くように頭に貼りついていた。
立てば背が高く、手足が長く、かなり細身のはずだった。顔からは、体型の変化は分からないが、そう変わっていなさそうに見えた。
「そうですね。たぶん……二年くらい」
キワを引き取りに来たとき以来。
「肩の調子はどうかね」
「良好ですね。一応、検診にはちゃんと行ってますよ」
レイチェルはこれみよがしに右腕を軽く回した。
「そうか、肩甲骨はかなり綺麗に再生できていたからな。傷の修復もしたかね」
「していません。別に見られて困る相手もいませんし、私は泳がないので」
博士は困ったようにそうかね、と言うと、苦い顔で笑った。
「今日はキワの件かな」
「ええ、もう一つ聞きたいことはありますが、主にキワの件です」
博士は立ち上がった。全体的にひょろ長く、長い手足が何かの動物を思わせる。博士は少し伸びをして腕を回してから、ゆっくりレイチェルの方に歩いてきた。
「コーヒーか何か?」
「結構です」
そう、と言うと、博士は自分のカップを探しながら研究室の奥にあるミニキッチンに向かった。水を出すとそれでカップをゆすぎ、水を汲んで一息に飲み干す。息をつくと、カップをそこに置いてまた戻ってきた。
「まあ、かけなさい」
片手でスツールを指差した。レイチェルは大人しく座る。博士は自分の肘掛椅子を引っ張ってきてレイチェルと向かい合った。おもむろに口を開く。
「キワの値を?」
「見てます。毎朝」
そう、と言いながら、博士は広くなりかけた額を撫で上げ、そのまま頭をかきむしった。何から話すかを考えているようにも見えた。レイチェルは博士が口を開くのを待てず、もどかしそうに話し始めた。
「値は、正常に見えるのです。血漿も、別に悪くなっていない。各臓器は正常です。なのに、脳はまるでその活動を止めたがっているように、唐突にエネルギー切れになる。どこか悪いのだと思うけれど、それがどこかが分からない」
博士は頷いている。
「先日、定期検診に来た時にもその傾向がわかった。私は彼女に、精密検査を勧めたのだが……」
博士は言い淀む。
「……キワが拒否した。そうですね」
レイチェルは確信したように言った。博士は目を見開く。
「彼女が言ったかね」
ホッとしたように言う博士に、レイチェルは首を横に振った。
「ワトキンソン博士」
「サムでいい」
博士は苦笑する。
「サム博士。彼女は最近、死にたがるのです。死と、いつも隣り合わせにいる。私も業務では常に死と隣り合わせですが、彼女の場合は私とは違っている。
常に危険に晒されているとか、死にたくないのに捉まってしまいそうな、そういう焦った感じではなくて……いつでも行き来ができる生と死の部屋を自分の意思で行ったり来たりしているような印象なのです。自ら仲良くしている」
博士は頷き、目を閉じると深くため息をついた。
「二年前、いや、正確には三年近く前か……。今度の十月で三年だからな。あの時には、まだほぼ全身の器官入れ替えについては実験段階だった。キワが主に研究していた分野で、私は彼女とは別の見解に立っていた」
「別の見解とは」
レイチェルは訝るように眉をひそめる。
博士はレイチェルを見ると、額に当てた指をトントンと動かして、言うかどうかを悩むように数秒黙り込み、ようやく口を開いた。
「レイチェル、きみは魂の存在を信じるかね」
思ってもみない言葉が出てきたレイチェルは面食らった。
「魂? 霊魂とか、魂魄とか言われるあれでしょうか」
「そうだ」
「私は……特定の宗教を信じてはいません」
「宗教ではない。概念の話だ」
レイチェルは口をつぐんだ。質問の意図がつかめなかった。
「そうだな、質問を変えようか」
博士は手を広げた。
「アベルに会ったかね」
「はい。今度の捜査で同行する……ドールですね」
躊躇いがちに言うレイチェルに、博士は重ねて聞いた。
「君はあれをドールと見たかね」
「今の法律ではドールです」
「君の見解を聞いているのだよ」
「私は……」
レイチェルは喘いだ。迷った挙句に、おずおずと切り出した。
「私は、彼を人だと……考えます」
「それは何故かね」
博士のオレンジに近い茶色の瞳がレイチェルを穏やかに見つめる。
何故かと言われたレイチェルは困惑する。直感に近く、特にこれといった理由があるわけではない。あの作戦室で不安げな様子を見せるドールが、正しく人の脳内をコピーされたものならば、それは人ではないのかとただ感じただけだ。
「それは……よく分かりません。感情らしき反応が見られて、かつ、それが人の子の脳内を丸ごと移したものだと説明されたから、でしょうか」
なるほど、と博士は頷いた。
「では精緻にプログラムされ、全く人と同じ感情らしき反応を示すドールは? それは人と言えるだろうか」
「それは……それはドールだと思います」
レイチェルの答えに、博士はさも意外そうな顔をした。
「何故かね。君の答えだと、感情らしき反応を示せば人ではないのかと言う話になると思うが」
「人の脳をコピーしたかしていないかの違いがあります」
レイチェルの苦し紛れのようなセリフに、博士はなるほど、と言うとしばらく黙りこんだ。
「なあ、レイチェル?」
「はい」
博士は立ち上がる。ひょろりとした体躯は、立ち上がったままゆらゆらと左右に揺れた。
「今から約二千年前には、人のすべての脳内回路は明らかになった。ニューロンに空いている穴の一つに至るまで解明され、個人差はあるものの全く瓜二つの人工脳を作り出すことは可能になった。その他の臓器もそうだ。万能細胞が見つかったあとの医学の進歩を見たまえ。今やどんな人でも自分の細胞がほんの少しあればすべての臓器が再生できる。しかし」
博士は言葉を区切ると両腕を広げた。レイチェルは博士の言葉がはかりきれずに、顔をしかめる。
「しかしだ。どんなに精密に器官を作り上げても、どれほど精巧な血液を作っても、いくら人そっくりに各パーツを作って繋ぎ合わせても、それだけでは『生きない』のだよ」
レイチェルは黙り込んだまま聞いている。
「分かるかね、それだけでは『屍体』と同じなのだ。何度心臓への電気刺激を繰り返そうが、どんなに全身の細胞が死なないように血液循環させようが、それだけでは起き上がり、考え、話し、美しいものに感動し、走り、辛い事に傷ついたりはしないのだよ」
博士はレイチェルの瞳を見つめた。
「ドールはプログラムされた命だ。彼らの小脳には、精密にプログラムされた『人体を動かすための基盤』が埋め込まれている。人にはそのプログラムが生まれた時から備わっている。母親のお腹に宿った時から、その命は心臓を動かし、人を人らしく作り上げ、人らしい感情を備えて生まれ出てくる。人の魂とも呼べる生命はいったいどこから来る? 魂がなければ人は動かない。その差はどこにある」
レイチェルは答えられない。
「彼女は、キワは、その命の境目とも言うべき部分を明らかにするべく研究を行っていた。彼女と研究のことについて話したことは?」
「いいえ」
レイチェルの言葉に、博士は大きくため息をつくと、腰掛けた。
「彼女は、先日来たときにも言っていたよ」
眼鏡を軽く押すと、話した。
「私は、何故生きているのか、と」
レイチェルは口を開いた。
「……彼女が今も生きているのは、私が、彼女に生きていて欲しいと願っているからです。私は、私のエゴで彼女を生かしているのかもしれません。彼女が喜んでくれるかもとか、そういう気持ちではなく、私が彼女を失いたくなかった」
博士は頷いた。
「私はね、レイチェル。彼女がもし既に『死んでいる』のであれば、今の彼女の器官保護装置では命をつなぎ止めてはいられないと思う。彼女の小脳には、生命維持のためのプログラムは仕込んでいない。彼女の脳は、いくらか欠損したとは言え、彼女が人間だったときのままだ。彼女の魂は、確かに彼女の中にある」
そして、と博士は言葉を継ぐ。
「それは彼女の魂が、彼女という器にまだ留まっていたいと願っているからだと、私は思う。もし、その願いがなくなれば、彼女の魂は彼女から離れて、今の体では生きていけなくなるだろう」
レイチェルは唇を噛んだ。
「彼女はきっと小脳への手術を望まない。私は彼女の意思を尊重したいと思っているが……君はどうかね」
レイチェルはそれには答えずに、博士を見返す。しばらくそのまま見据え、意を決したように口を開いた。
「……博士は、もしご子息のどちらかがあの二年前の事件に巻き込まれ、キワと同じような目に遭っていたとしたら、どうされましたか。そのまま、死なせましたか」
博士は虚を突かれたように黙り込む。
「私は、彼女をそのまま逝かせたくなかった。もし、博士やキワが言うように魂というものがあるのなら、彼女の体からそれが出ていくのをどうしても止めたかった。あのときには、それしか考えられなかったんです」
レイチェルはそう言うと、立ち上がった。博士は見上げる。レイチェルは昂ぶった感情を持てあますように手を何度か開いたり閉じたりすると、博士から目をそらした。
「座りたまえ」
博士は静かに言う。
「別に君を責めているわけではない。息子のことを言われると、私も耳が痛い。そうだな、きっと君と同じような選択をしただろう」
レイチェルは目をそらしたまま、また椅子に腰掛けた。
「大事な人を失いたくないという気持ちは分かるつもりだよ。あの時に、巻き込まれて死んだ人間は三百人余り、どの人の家族も同じように考えただろう。たまたま君は、彼女をこのラボに持ち込んだ。病院でなく、ここにね。持ち込まれた彼女を見た私も、また君と同じように考えたからこそ、彼女を生かそうと試みた」
レイチェルは目を閉じる。思い出したくない光景が目の前に広がった。
煙に巻かれる高速鉄道の駅。まさかという思いに突き動かされて足を動かした。爆発に巻き込まれたらしい人の肉片が壁にこびりついているのが見えた。煙が目を刺激する。目を細めて簡易ゴーグルとマスクを動作させた。
まさか。まさかまさか。
祈るような気持ちで、必死にサーチをかける。
「君がここにノミヤマ君を持ち込んだときに、彼女がちょうど実験をしていた人体型器官保護装置があったのは、運命の皮肉か、それとも幸運か」
博士の言葉に、思考が途切れた。
「まあただ、これだけは言えるよ。彼女は、ヒトだ。そして彼女の例が、他の人の症例に役立っている。結果的に、彼女の研究は多くの人を助けた」
レイチェルは目を開け、博士に向き直った。
「キワは、ヒトですか」
「そうだ。少なくとも私はそう思っている」
レイチェルは安堵したように息を吐いた。
「アベルは……彼はどちらなのでしょうか」
「彼はドールだと思う。私も彼を見ていると、時折迷うがね」
博士は自嘲気味に笑った。
「私はね、レイチェル。キワとは違って魂の存在などは信じていなかったのだよ。見解の違いというのは、そこだ」
そう言ってため息をつく。
「私は、脳のデータを移した基盤を埋め込んだものはね、ドールではなくヒトではないかと思っていたのだよ。今でも少しはそう思っている。ただ、ノミヤマ君を見ていると、それが揺らぐ」
「揺らぐ、とは」
重ねて聞くレイチェルに、博士は苦笑する。
「彼女が死を恐れないように見えるのは、彼女が死を十分に恐れているからだ。わかりにくいだろうがね、彼女は一度死とものすごく密接に過ごした。だから、死を受け入れている。
しかし、アベルを初めとして、プログラムされた命は違う。死を、知らないのだよ。何度でも蘇ることができることを本能的に知っているのか……それともドールには死の概念が理解できないのか、よく分からない。ただ、彼らは死ぬことを単なる現象のように受け止めているのだ」
レイチェルは曖昧な顔で頷いた。
「その死への態度の差が魂と呼ばれるものではないかと、私はそう思うのだよ。私は来年の全機能型器官保護装置……脳すらも置き換えたドールのことだが……の、ヒト認定法案についての意見書提出は、再度考え直したいと思っている」
博士は弱く笑った。真意が伝えきれるとは思っていない、あきらめを含んだ表情だった。
レイチェルは、その表情が、ノーマの最後の表情と重なって少し息苦しくなる。
「私には、たぶん、博士の言いたいことは全ては分かりません。ただ……」
博士は黙って先を促すように顎を引いた。
「彼女が今現在もドールではなくヒトで、彼女には魂があって、まだ私の側にいる。彼女が次に死を望むときに、それを受け入れられるかはその時になってみないと分かりませんが、ただ彼女が生きたこの二年が、生きたことにカウントできるということが、少し嬉しいと思います」
そう言うと、レイチェルは立ち上がった。
「彼女には手術を受けて欲しいと思いますが、たぶんそれは、彼女が決める事なのでしょう。彼女が自分の魂をつなぎ止める必要はないと考えるのであれば、このまま受けないでゆるやかに死を迎える。それだけです。
……今日、お話しできて良かった。そろそろお暇します」
博士も立ち上がる。
「分かりにくい話ばかりしてすまないね。もう一つ聞きたいこと、と初めに言っていたが、それは話さなくても良かったのかね」
「ええ、アベルの事だったので。そちらも解決しました」
そうか、というと博士は右手を差し出した。
「彼女には、来週また検診に来て欲しいと伝えてくれたまえ。もし、脳以外の器官保護装置の部分での不具合なら、それは私が直さなければならないことだ」
レイチェルは博士の右手を握りながら答えた。
「伝えます。では」
握手を交わしたあと、踵を返し、ラボを出た。受付の女性は、来たときと同じようににこやかにレイチェルを見送った。
ラボから伸びる連絡通路を歩いて渡る。憂鬱な気持ちがレイチェルの胸を埋める。来る前に抱えていた不安は、何ひとつ解決していなかった。キワは、緩やかだけど着実に死に向かっていて、それを彼女自身が止めようとしていないことがはっきりしただけだ。
レイチェルはため息をつく。通路の窓から空を見上げると、夏の日差しがコーラルシティ全体に降り注いでいる。まだ日は高かった。レイチェルは、家に帰るかそれともどこか別の場所に向かうか逡巡し、そのまま駅に向かった。
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