ドールズ 《14》
明け方、着替えをしに自宅に戻った。足音を忍ばせて部屋に入る。キワはまだ起きていないようだった。寝室を覗こうとキワの部屋に向かっている途中で、何かのビープ音が響いているのに気づいた。走ってキワの寝室に入り、浄化装置のモニタを見た。急激に血圧と心拍が低下していた。脳波も乱れている。急いで救急措置に入った。なんで私の端末に数値が入ってこなかったんだろう。レイチェルの脳裏に疑問がよぎったが、今は余計な事を考えている暇はなかった。
とりあえず心臓に維持のためのパルスを送り、心拍の維持をする。その上で、他の数値も調べた。血漿の値がひどく悪い。慌てて人工血液のタンクを調べると、うまく繋がっていない場所があるようだった。流れが悪かったために、外部に保存され常に浄化され続けているはずの人工血液が傷み、そのせいで浄化がうまくいかずにエラーが起きているのだ。
レイチェルは慌てて人工血液のタンクを外した。特殊スーツは着ていなかったため、ひどく重く感じる。こんなエラー、二年使ってきて初めてだった。力ずくでタンクを横に避け、近くに置いてあった予備のタンクを取り付けた。すぐに浄化が始まった。
モニタを見つめる。少しずつ、値は戻って来ているようだった。一体、何時からだったんだろう。ああ、どうして家を空けてしまったんだろう。私が家にいるときには、絶対に数値エラーはどの部屋にいても気づくようにセットしていたのに。どうして、どうして私がいないときにこんなことに。
レイチェルは泣きそうな気持ちだった。昨夜私が、本当は自分もキワのことを負担に思っているのではなんて、ちょっとでも自分を疑ったからだろうか。お願い、神様、いるかどうか知らないけれど神様、まだキワを取り上げないで。そう思いながら必死でログを追いかける。
ビープ音は消えた。数値は徐々に正常範囲内に戻って来ていた。ログを遡ると、レイチェルが帰宅する一時間くらい前から、数値が悪くなり始めたことが分かった。エラーにたどり着いて数分で自宅に戻ったことが分かり、脳に影響が出るほどの時間じゃないかもしれないと思って、ようやくホッとした。そのまま椅子にぐったりと座り込む。緊張と怖さのあまり、手が震えていた。手をこすり合わせて、キワの顔を見る。血漿はそれほど変わったようには見えなかった。薄黄色い液の中に沈んだキワは、いつも通りに見えた。
レイチェルは、その場から離れるのが怖かった。小一時間ほどもキワの顔を見つめ、ようやく安心してきた頃、椅子にもたれたまま寝てしまったようだった。
「レイチェル」
目を開けると、キワが驚いた様子でレイチェルを揺り起こしていた。レイチェルはハッとして起き上がる。時刻を確認すると、すでに二時間が経過していた。
「キワ、大丈夫?」
「どうしたの、それはこっちの台詞だよ。ダメだよこんなところで寝たら」
「どうもない? 気分は悪くない?」
レイチェルは答えずに、キワの様子を確かめる。ガウン姿のキワの目をのぞき込んだり、顔を撫でたり、脈をとろうとしたりした。
「大丈夫だよ。なんでそんなこと言うの」
怪訝そうに言うキワの両手を掴んで、レイチェルは良かった……といって床に膝をついた。かいつまんでエラーのことを話す。
「そうだったの……ごめんびっくりさせて」
キワは聞いてとても驚いた様子で、レイチェルに謝った。
「そんなこと今までなかったから大丈夫だと思ったの。なんか、寝たとか起きたとかの信号で、もし仮眠中のレイチェルを起こしたらやだなって思って、通信止めておいたんだよね」
申し訳なさそうに言う。レイチェルは口を開け、そのまま怒る気が失せて口を閉じた。大きくため息をつく。キワの顔を見つめて、強く言った。
「起こされるのなんて、全然構わない。もし私が不在の間にキワに何かあったら、自分を一生恨むことになるから、絶対止めないで。お願い」
キワは頷いた。その瞳には、いつもの困ったような光が宿っていたが、レイチェルはその光には気づかなかったことにした。
今後、泊まることになったら分かった時点でサム博士のところに一泊入院してもらうことにしよう、いや、でも急にだとあちらも困るから……やっぱり無理だな、あらかじめ分かっている作戦以外は泊まるのは極力避けないと……。
そんなことをいろいろ考えながら、身支度だけ調えて急いで作戦室に戻った。デリックには事の顛末をすぐに連絡しておいたが、うっかり二時間も寝てしまったのは失態だ。
「すみません、遅くなって」
そう小声で言いながら作戦室に入ると、隊員が一斉に口に指を当てた。デリックが通信を繋げようとしているようで、相手方を呼び出す呼び出し音が作戦室に響いている。レイチェルは頷きながら、音をさせないように部屋の隅に立ち、扉を閉めた。
接続音が鳴る。物静かそうな女性の声が作戦室に響いた。
『はい、お電話ありがとうございます。ロストチャイルド財団です』
レイチェルはほんの僅かに眉を寄せた。
「あの、ええと、ちょっと伺いたいのですが」
『はい、何でしょうか』
デリックはわざとつっかえながら言いにくそうに切り出した。
「えーと……実は家には、ちょっと……事故に遭った子どもがおりまして。そちらであの……費用を貸していただけると、聞いたものですから」
通信先の女性は、にこやかな声で応じた。笑顔でいることが見なくても分かるような声だった。
『ええ、当財団は援助事業を行っております』
「あの……では是非、お願いしたくて」
『分かりました、では、当施設に直接おいでいただけるでしょうか? 私どもの援助事業は非常に低金利で、審査を公正に行うため、詳しいお話をお伺いしてからの援助になっております』
デリックはレイチェルを目で確認する。
「ええ、あの、私はちょっと仕事がありますので、妻が先にお話を伺いに行くのでも構わないでしょうか」
『もちろん構いません。では奥様が本日いらっしゃるということで、良ければお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?』
「はい、ミラ・アンダーソンです」
そう言って、デリックはレイチェルにウィンクした。レイチェルは表情を変えずに軽く頷く。デリックは、財団の場所を確認すると、通話を切った。
「ごめんね、事後承諾で」
デリックはそう言いながら肩をすくめた。
「いえ、かまいません。捜査に入ることにしたのですか?」
レイチェルは淡々と応える。
「うん、ちょっとね、また一人行方が分からなくなった子がいるんだ。母親が半狂乱で探してる。警察に今朝、昨晩から姿が見えなくなったって駆け込んできたんだよ。もし、僕が想像しているとおりの事が行われているのであれば、あまり時間がなさそう。行かないとまずいなって」
レイチェルは隊員の一人が手を上げるのを見た。
「昨晩の話から、一応現在あの保育施設に良く預けられる子をリストアップしていましたが、その中の一人のようです。昨晩迎えに行ったのが父親だったのですが、父親がモールでその子にオモチャを買ってやるためにレジに並んでいる間にいなくなったという話でした。今、各所の防犯カメラの解析を行っています。店舗のカメラについては既に解析を完了したのですが、父親の話すとおりです」
他の隊員が話を引き継ぐ。
「今は一旦家に帰していますが、とにかく母親の取り乱し方がひどく、父親はなだめるのに手一杯な様子でした」
気の毒そうな様子で話すのを、レイチェルは黙って聞いていた。
「じゃあレイチェル、来た早々で申し訳ないんだけど、すぐに変装して財団に向かってくれるかな。作戦は追々、レンズに送るから」
レイチェルは頷く。すぐに作戦室をあとにした。
お金のかかる器官保護装置から、ドールに。脳内のデータを全部移せば、見た目はそのまま。ただ、成長しなくなる。
君は魂の存在を信じるかね。
ついこの間サム博士に問いかけられた言葉が、レイチェルの頭にこだまする。魂がもしあるのだとしたら、脳内データと一緒にドールに移ったりするのだろうか。もとの子と同じ反応を示すドールであれば、親はその存在に満足するんだろうか。本当に?
装備を済ませたレイチェルは急いだ。裏口から偽の自宅に入ると、息を整える。落ち着きすぎてはダメだ。かといって必死すぎてもいけないだろう。変装を軽くチェックすると、急ぎ足で部屋をあとにする。せわしなく周りを気にしながら、ビジネス特区にある財団を目指した。
瞳に装着した特殊レンズに、デリックから細々とした指示が飛んでくるのを、無表情で読み込みながら、レイチェルは共有ポッドに乗っていた。窓の外を、灯りが行きすぎていく。外をぼんやり見ているような表情で、その前に映し出されている子どもの情報を見ていた。
昨晩行方不明になった子どもは、あどけない表情の女の子。くるんとした巻き毛が肩で揺れていた。褐色の肌はその子によく似合っていて、保護装置を入れる前はとても活発だったのだろうと想像できた。名前はアイリーン。四歳になったばかりの頃にテロに遭った。半身に及ぶ器官保護装置。今は、六歳。
レイチェルは気持ちが沈んだ。事情が分かると、もはや何が正解か、よく分からなくなってきていた。
迷いながら、財団の扉の前に立つ。ビジネス特区の中でもひときわ大きな一角を占める、カロメイ・グローバル・インク。その中の一つの棟に、財団はあった。カロメイはロウ一族が一代で築いた大型企業で、セキュリティ機器の販売を行っている。
ロストチャイルド財団は、カロメイを設立したロウ夫妻が、子どもを失った家族の役に立ちたいと慈善事業の一環として立ち上げた財団で、夫妻が運営しているときには貸金業は営んでいなかった。この一年で新たに追加された新事業は、低金利であるにもかかわらず利用する人が増大。また、格安で浄化装置をリースしたり、代替臓器の研究開発に寄付を行ったり、新規の慈善事業にもいろいろと取り組んでいるという話だ。
レイチェルは、おずおずと扉を入った。高い天井のロビーは、ベージュ系の暖かみのある色調でまとめられている。受付の女性が、こちらへどうぞ、と微笑んだ。
レイチェルは当たりを不安そうに見回すふりで、状況を確認した。左右に大きな通路。受付の背後は、透明なパネル越しに中庭が見えた。太陽光か、疑似のLED光なのかは、光源が確認できないので判断がつかなかった。後ろを振り返る。自動扉はロックされると面倒な事になりそうだった。とはいえ、突破できなさそうな厚みではない。
「ご予約はされていますか?」
「……ええ、ミラ・アンダーソンです」
レイチェルは偽名を名乗った。三回目ともなると堂に入っている。IDの確認を、と言われ、当然のようにIDをかざした。
「確認できました。では、こちらにどうぞ」
右の通路に案内される。中庭沿いに四角いの通路になっているようで、通路の右手に扉が不規則に並んでいた。非常口のパネルが、進む方向の奥にちらと見えた。四つめの扉を女性はロック解除して開ける。使用中、の表示が扉横に出た。入る前に左右を確認すると、使用中の扉は非常口近くにもう一つ見えた。逆側は確認ができないが、いくつか商談中、ということだろう。
『マップを』
レイチェルはそれだけを念じた。あまり詳細に念じて傍受されてもあとで困る。マップに使用中のチェックをつけて欲しかったのだが、それだけでも通じるだろうと考えた。
扉を入ると、シンプルだが品の良いソファとミニテーブルがあった。レイチェルは奥に座るように言われ、しばらく待って欲しいと告げられる。
扉が閉まると、レイチェルは部屋の中をそれとなく見回した。部屋の隅に、目立たないがカメラがありそうだった。全部屋監視されている、ということか……。
『カメラ』
混線させて欲しい。この中のどこかに、攫われた子どもがいる可能性もある。いや、でもやはり別の階だろうか。
そう思った矢先、感度を上げていた聴覚に、どこかで女性のすすり泣く声が聞こえた。女の子ではない。大人の女性だ。商談中に感極まったのだろうか。レイチェルは音が聞こえる方向を探る。非常口近くの、奥の部屋のようだった。
まだ待たされるだろうか。一度見に行こうか……。立ち上がろうかとしたとき、部屋に近づいている足音に気づいた。レイチェルは座り直す。
開いた扉の向こうに立っている人物を見て、レイチェルは驚いた。自然に驚いたように見せるためもあったが、流石にここで会うとは思わなかった。
「……アレックス?」
レイチェルは開いた口から、ようやくその子の名前を呼んだ。後ろから入ってこようとする女性に、彼女に何か飲み物を、と告げる。女性は軽く会釈をして、下がっていった。
「アンダーソンさん、びっくりさせてごめんなさい。僕は、アレックスではなくてグレン・ロウ。このロストチャイルド財団の役員をしています」
「どうして?」
レイチェルはなるべく自然に聞こえるように、かすれた声で尋ねる。グレンはゆっくりとレイチェルの前にある、一人がけのソファに腰掛けた。何から話そうかな、と言いながら、視線をさまよわせる。そうして、語り始めた。
「僕は、十年前にひどい事故で体のほとんどを器官保護装置にゆだねることになったんです。僕の両親はある程度裕福な家庭でしたから、本当に僕を大事にし、可愛がってくれていました。けれど、僕を失いかけ、子どもを失った人たちの力に少しでもなれないかと、本業の他にこの財団を作ることを決めたのです。
しかし、両親は三年前にあの駅のテロで亡くなりました。普段は専用ポッドを使う人たちだったのですが、その日はたまたま、大聖堂に寄付に行った帰りで、たまには共有ポッドを使おうと思って歩いていたそうです。A街区まで共有ポッドを利用して、そのあと専用ポッドでS街区に上がるつもりだったのでしょう」
嘘だ、とレイチェルは瞬時に思った。サム博士が人体型器官保護装置を開発したのは、七年前。十一年前に器官保護装置自体は開発されていたが、十年前はまだ部分的な利用のみで、体系的な人体型保護装置はなかったはずだった。話の途中で、女性が入ってきて静かにレイチェルの前に飲み物を置いた。そのまま扉の近くに下がって立っている。
グレンは辛そうな様子で、目を伏せながら言葉を続ける。作り物の瞳に、涙は浮かばなかった。けれど、美しい顔はとても悲しそうに見えた。
「市民の目線に立たないと、細やかな援助はできない。そう、両親は僕に言っていました。僕は今年で十三歳になりますが、両親の意思を大事にするために、十歳の姿のまま、困っている人たちを実際に施設で見て自分で声をかけることにしているのです」
グレンは顔を上げた。訝しい顔をしているレイチェルに、安心させるように微笑みかける。
「僕は、アベル君を実際に見ています。彼は器官保護装置の中でも特に維持費がかかる、人体型器官保護装置ですよね。彼の維持費に困って、こちらにいらしたんでしょう? その日のうちにご主人と話し合いをされるなんて、やはりよほど悩んでいらしたんですね。僕が会えて本当に良かった」
レイチェルは表示された指示通りに話す。
「……本当に、援助していただけるんでしょうか」
「もちろんです。ああ、審査が心配ですか? 僕が実際にその子に会うことが審査なんですよ。彼の維持費を教えていただければ、その八割までは補助できます。もちろん、あとで返していただく必要はありますが、でもゆっくりでいいんです。あと、お子様が残念ながら亡くなったときは、契約から一年以上経っていれば半額免除になりますし、ご両親のどちらかが亡くなったときには、時期を問わずお見舞い金として三割免除になります」
レイチェルは驚いた。それでは、ほとんど利益がないようなものではないのか。
「それは……ありがたい話ですが、財団は大丈夫なんでしょうか?」
「ええ、事業に賛同してくださる方達からの寄付も集まりますし、またこちらの援助に感謝されて、それがまた寄付になって戻って来たりするんです。それに、母体はカロメイですから……その利益をほんの少し、こちらに回してもらっているだけですし、この財団が儲かっちゃうと……いろいろ問題もあるので」
そう言うと、グレンは照れくさそうに笑う。天使のような笑みだった。これで救われる、そう思う人は本当にたくさんいるだろう。レイチェルは、立ち上がると深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます……」
「いえ、あ、飲み物をどうぞ。どうか、頭を上げて腰かけてください」
「少し落ち着くまで、こちらにいても良いでしょうか」
「ええ、こちらとしても同意書などももらわないといけないですから、もう少しお時間をいただけると。事務手続きは彼女がやりますね」
そう言うと、グレンは女性を振り返った。女性は心得たように、壁に掛かっている小型モニタを壁から外した。端末になっているようだった。
「あ、本当にありがたいんですが、あの、一応主人にも確認したくて……あの……ちょっと連絡を取っても良いでしょうか?」
女性はグレンの方を見た。グレンは心得たように頷く。
「もちろんです。先日、ご主人だけで契約されたご家族がいらっしゃったんですが、少し後で問題になったようで。もし問題になりそうであれば日を改めても良いですが?」
利発そうな表情で、首を傾けた。レイチェルは首を振る。
「いえ、少し話せば大丈夫です。主人の方も、基本は借りるつもりになっていたようなので。本当に良いお話で、良いお話すぎて、私が落ち着きたいだけです。少しこの部屋をお借りしても?」
「ええ、大丈夫ですよ。では一人にして差し上げましょう。しばらくしたら彼女がノックしますね」
そう言うと、グレンは女性を誘って外に出て行った。女性は手に取った端末をまた壁に戻し、一礼して出て行く。
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