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2022_0321_本読み

<1631字>

植木鉢をどけたら、ミミズがいました。
しばらくしんと静かだったのは、驚きで「固まった」ため?

松葉でつつくと、にわかに、体軸でみごとにぐるぐる回転してから、口を延ばして探りながら、あらたな落ち着き場所を求めて、はっていきます。

紫色がかった微妙な透明感、体節の輝き、滑らかな動き。

すごいなーとしばらくみとれました。

ダーウィンの30年におよぶ観察によると、近所のミミズは、年に0.6センチの厚さで、土を作ったそうです。

前に読んでいただいた、この本にその辺りのことが触れられていました。
『NHKカルチャーラジオ 科学と人間「まど・みちおの詩で生命誌をよむ」』
(中村桂子 著、NHK出版)

さて、3月21日(月)は以下を読みました。


振仮名ふりがな歴史れきし

今野真二 著
集英社、2006年刊
第三章 江戸期の振仮名
第二節 江戸期に出版された辞書に見られる振仮名

『節用集』は、室町期に出版され、明治まで使われていたという辞書。前にも紹介されてました。 

それの江戸時代の版が二つ紹介されてました。室町時代のものとは様変わり、草書体が真ん中で、振仮名の位置に楷書があるという構成になっていました。真草二行しんそうにぎょうという様式の辞書。

草書が日常使いだったんでしょうね。

字がつながってるから、筆で書くのにも版を彫るのにも速かったんだろう、と想像しました。

一字づつ打ち込んで文を書いてる今とは、書くのも読むのも、相当違った感覚だったんだろうな、と思いました。

(音読した人:山崎)





『学問のすゝめ』

福沢諭吉 著、岩波文庫、
五編
明治7年1月1日の詞

この日がなんで特別に日付を書かれる日なのかな、と話していて、

そうか、グレゴリオ暦に改暦したんだった、

と思いあたりました。

福沢諭吉が改暦の張本人で、そのために一ヶ月分役人への給料をカットできた、暦を出版してる業者はすでに印刷済みの暦がクズになってしまい大損害、などなどの話を山崎はばーっとしゃべりました。

が、ちょっと待て。

あらためて調べると改暦は明治6年の1月1日。

改暦をしたのは福沢諭吉、と勝手に思い込んでいましたが、改暦をするのは明治政府ですよね。福沢諭吉は政府の人ではなく、私人?

どこかで山崎が間違えていますね。

事実関係を調べてみます。

※ 上のこと。福沢諭吉は1873(明治6)年に『改暦弁』という本を出して、政府のやった改暦(明治5年11月9日→明治6年1月1日)の正当性を説明した、とのことです。この本もすごく売れたみたいです。(2022_0324_追記)

(音読した人:めいさん)





『アンジェロ』

デビッド マコーレイ 作、千葉 茂樹  訳
ほるぷ出版

ハト愛に溢れた、イタリアの絵本でした。

こんなハトなら、本当にかわいく思ってしまうことでしょう。

意外と嫌いな人も多い、ハト。山崎もそれほど好きではないですね、ハト=ドバト=カワラバト。数日前のタイトル写真にも使った、キジバトは、好きです。ドバトはいつも結構な群れで活動してますが、キジバトは2羽のつがいです。(ところが先日6羽の群れを見たんです。非常に驚きました。何か生態が変わってきているのでしょうか。)

(音読した人:はやしさん)





「福沢諭吉と「西洋化」」

「日本文学史序説 下」加藤周一
第十章 第四の転換期 下
これの後半

著者の福沢諭吉の位置付けが、勉強になりました。『学問のすゝめ』を聞いていく時の、理解の助けになります。山崎の感じたことを以下に箇条書きします。

・封建社会の完全に固定された身分制度の中で育ち、その未来の無さをひしひしと感じていた。

・3度の渡欧米により、当時の政府の誰よりも欧米の社会を深く理解していた。

・以上の理由で、日本人の意識を「封建→欧米風」に変えることに力があった。漢文の素養からくる、心に火をつける文章の達人。

・ただしその「お手本」は、上層階級の人がそれ以下の層を支配する、という欧米19世紀中葉の現実の社会、だった。

「天は人の上に人を作らず・・・」と文章を始め、「自由」という語も作ったわけですが、それらのことばの与える印象は注意して受け取らなければならない、ということです。

(音読した人:きよもとさん)







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