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2022_0328_本読み

<1413字>

新宿御苑の旧大木戸門衛所(昭和2(1927)年築)。野見山暁治展を見た後、ジョギングで帰宅中に撮りました。

この柱とか方杖ほうずえ(というのかな、斜めの棒)の表面が、きっとちょうなでつけた模様なんじゃないかな、と思ったのです。

昭和7年築の実家にもこれに少し似た模様があります。

前に読んでいただいた、加古里子の本に載っていた、ちょうな




さて、3月28日(月)は以下を読みました。

振仮名ふりがな歴史れきし

今野真二 著
集英社、2006年刊
第四章 明治期の振仮名
第一節 新聞の振仮名

新聞と活字、という新時代の新しい道具立てについて、基礎知識。
振仮名を「ルビ」と呼ぶのはどうしてか、など。

江戸の、筆耕(書き文字)→整版(彫って版を作る)
という視覚的に自由度の高い印刷から、

活字というとても制約の多い印刷への変化。

そこに対して、残念な気持ちを持ってしまう、山崎でした。
(このもやもやの中に何か、未来へのきっかけが含まれている、とも感じます。)

(音読した人:山崎)





『学問のすゝめ』

福沢諭吉 著、岩波文庫、
五編

読み手のめいさんが、子供用の(?)福沢諭吉の本を読んでることを話してくれました。

生麦事件(1862年)のとき、福沢諭吉は滞フランス中。事件が起きたその時はモスクワに行っていて、フランスにもどると、フランス人の対応の変わりように愕然となったらしいです。

遠い文化の国からよくぞいらしてくださった、ちやほや

なんて野蛮な!許せん

こんな体験からも、法治国家を西洋基準で作る必要性をひしひしと感じたのでしょうね。(本文では立ち小便の例が書かれていました。)

(音読した人:めいさん)





『とこしえのお嬢さん』

野見山暁治 著、平凡社

風間完と居た時のこと、岡本太郎と居た時のこと。

こいでさん曰く「年をとって、より辛辣になっているね」

以前にも、野見山暁治の本を読んでいただき、似たような場面が書かれていたような気がします。時間を経て、繰り返し 「その場面」が描かれることで、変化が描きだされている、というのが面白いなぁ、と思いました。

(音読した人:こいでさん)





『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』

斎藤倫 著、高野文子 絵
福音館書店
5、くりかえし、くりかえし

おはなし中に引用された詩「ユウレイノウタ」(入沢康夫 作)に
感想が集中しました。

章題通り、繰り返しだけでできている、と言ってもいいような詩でした。

繰り返し部分をとりのぞいて読んだらどうなる? って、こいでさんが言ったので、きよもとさんが読んでみると、リズムがあって、普通に詩だな、と感じました。

おはなしの方は、

繰り返しによって、一度きりがあらわれる、

ということだったような気がします。

(音読した人:きよもとさん)





『芭蕉連句集』

岩波文庫、松尾芭蕉
三〇 さみだれを(芭蕉真蹟懐紙)102〜104ページ

〈きぬたうち〉〈ゑた村〉〈ねはむ涅槃〉とさまざまな物や情景が、瞬間にきらめくように、次々出てきます。

どうつながったのか、ちっともわからない。
が、こうして歌仙として成立しているということは、現場に居るこの人たちが、美しい繋がりを認めてる、ということなんだな、と思います。

まだ、断片のきらめきだけしか見えないけど、繋がりを見えるようになったら、すごく楽しいんだろうな、と想像しました。今日も。

(音読した人:山崎)

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