良心の仮借なしに怠ける
2023年10月26日
今日は夜講義。準備は済ませているが、落ち着かない。初回の講義はいつも緊張する。
昨日、最後に幸福が伝染すると書いたが、伝染するのは幸福だけではない。不機嫌も伝染する。気分が安定している人と一緒にいられるのはありがたい。いつも上機嫌でいるのは簡単なことではない。
私は気分が安定していて、不機嫌になることも、怒ることもないが、当然まったくないわけではない。自分の力ではいかんともしがたいことが起きると気分が落ち込み理不尽な出来事に怒りを感じる。
政治については日々理不尽で不条理なことが起こり、それなのに、自分ができることがなく絶望ばかりしているが、個人的なことでも穏やかでいられないことがよく起きる。もう何年も連載していた雑誌が突然休刊することになり連載が終了する旨告げられるとか、出版間近だった本が出版社が倒産して出せなくなるというようなことである。人事異動で担当の編集者が替わるという時も困惑する。どんな時も少々のことでは諦めず闘うが、いつも思うようになるわけではない。
「ガンの群れを連れてドナウの河岸を歩きまわってみたまえ。まったく良心の呵責なしに怠けていることができる。なぜなら一日の八分の七をひなたにねそべって過ごせるからだ」(コンラート・ローレンツ『ソロモンの指輪』)
動物たちはあくせく生きない。勤勉の象徴であるミツバチや蟻でさえ、一日の大部分を何もせずに過ごすと動物学者のローレンツはいう。しかし、人間はいつも何か意味のあることをしないと気がすまないように見える。
子どもたちは疲れ果てるまで遊ぶ。明日のためにエネルギーをセーブするというようなことはしない。疲れたらそのまま寝てしまう。私の孫たちは毎日のようにやってきて真剣に遊ぶ。帰りの車の中で寝てしまう。
大人もそのような生き方をしていけない理由はないが、何もしないで過ごすと怠けているように思うのだろうか。