【R18恋愛小説】ストリート・キス 第4話「告白したのに…」
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…頭いてぇ…飲みすぎたぁ…。
なんの名目なのかよくわからない職場の宴会の翌日、一人暮らしのアパートの部屋の、狭いベッドに寝転がったまま、ガンガン痛む頭で昨夜のことを考える。とは言っても彼女のこと以外は記憶から抜け落ちていた。
いつもよりもはしゃいだ感じの彼女は最初からハイペースで飛ばしていた。どこの席にいても、宴会の途中で、いつものように気づいたらいつのまにか僕のすぐ隣にしどけない風情で座り、僕とおしゃべりしながら、初々しいピンク色に染まった顔で酒を飲んでいる。時々、上目づかいで僕を見る。ものすごく色っぽい。昨夜もそうだった。そんな彼女につられた僕は浴びるほど酒を飲んだ。
昼間の仕事中の彼女と、僕の隣ではにかんだように笑う彼女はぜんぜん違う。まるで別人だ。クールにテキパキと仕事をこなし、
「江田さん。これをお願い。夕方までに仕上げて」
「昨日のデータは上がっていますか?午後までに欲しいのだけど」
「江田さん。ここが間違っています。この前、教えたよね」
キリッとした表情で的確な指示をする大先輩で、国立大の法学部出身だけあってものすごく頭の回転が速い。語彙力も半端ない。だから僕は相変わらず頭が上がらない。たとえ僕が仕事をぜんぶ覚えて新人扱いから脱却できたとしても、どれほど努力したとしても彼女のレベルには到底及ばないだろう。それなのに…なんで彼女のような人が僕なんかと…。
過去に付き合った女の子たちから「カッコいい」とか「すてき」とか、外見に関して褒められた経験が無い。身長は高くも低くもなく体型も普通。太ってもおらずマッチョでも痩せてもいない。学生の頃から何かに、たとえばスポーツとか、単一の事に打ち込んだ経験も無い。だからといって無気力な人間でもないし自分ではいわゆる草食系でもないと思っている。ごく普通のどこにでもいそうな23歳の男。それが僕だ。
僕を好きになってくれた女の子たちへ、僕のどこをどんな風に好きなってくれたのかなんて聞いたことがないから、自分にどのような魅力があるのか不明だ。少なくとも九つも歳上の仕事ができる魅力的な女性(しかも人妻)から好かれるような魅力のある男じゃない…と思う。
にもかかわらず、道の真ん中で抱き合ったりキスしたり、この前なんかホテル…いや。それは考えない。考えてはいけない…のに、考えちゃうよ僕だって男なんだ!ああ…もう!すごく好きだ香奈美さん…。
昔に付き合っていた女の子とのキスがどんな感じだったのか思い出せない。彼女とのストリートキスの記憶でぜんぶ上書きされてしまったから。
二次会のカラオケのあと、いつものように集団から抜け出した僕たちは、いつものように二人だけでチェーンの居酒屋へ行った。案内されたカウンター席で、周囲の客の目も気にせずにいつものように火のついたタバコを交換しながらの間接キス。酒もいっぱい飲んだ。馬鹿みたいに楽しかった。多分、はしゃぎすぎたのだろう。彼女の向こう側にいた中年の男性が、僕たちの会話にいきなり割り込んできた。
「ずいぶん楽しそうだな」
そいつの目が据わっていた。酔っ払いだ。彼女はそいつを無視した。するとそいつが呂律の回らない口で「いい女だな」と言った。男としてこいつと対決すべきかどうか、一瞬、迷った。
「江田くん。あっちの席に移ろうか」
手を挙げた彼女が店のスタッフを呼んだ。とろんとした目でこっちを見ている酔っ払いに構わずに、逆サイドのテーブル席に移動する。
「なんだよ。ちょっと話しかけただけじゃん」
酔っ払いのつぶやきが聞こえた。
…いい女か。うん。なるほど。
「なにあのおじさん。酔っ払いってイヤよね」
「そうですね」
あらためて彼女と乾杯をした僕はさっきの酔っ払いの言葉を考える。いい女。大人の…すてきな女。ぴったりだ。彼女がいわゆる美人なのかそうじゃないのか、すでにぞっこんになっている僕にはそんなものはわからない。どうでも良かった。大好きになってしまった人の外見の客観的な評価なんて下せるはずがないからだ。でも、いい女という評価にはグッときた。酔っ払いのおじさん、ありがとう。
「香奈美さん」
「なあに」
「好きです。僕は香奈美さんが好きです」
ずっと言いたかったその言葉を彼女に。すると僕の告白を聞いた彼女がそれまで見たことのない表情を浮かべた。冷めたとか困惑でもない。
「私なんかより…もっと若い…かわいい女の子が…いるでしょう」
途切れ途切れに言う彼女の伏せた目は僕を見ていない。
「香奈美さんが好きなんです」
「嘘だぁ」
食い下がった僕へ意外な返事があった。
…嘘って…なんだ?どういう意味なんだ?
ごめんなさいとか、たとえば"好きにならないで"とかの拒絶の言葉なら理解できる。というか何度も彼女の方からストリートキスまで迫っておいて、混んでいる居酒屋で間接キスまで…だから拒絶されるとは思えなかったけれど。
「嘘じゃないです」
「ふうん」
嘘だと言われたのを打ち消してみても彼女の反応はよくわからない。
…これ以上、この件を深掘りするべきじゃない。
僕の直観がささやく。
「あと一杯飲んだら出ようか。外の空気を吸いたいわ」
微妙な表情からパッと明るい顔に戻った彼女が、かすかな上目づかいで僕を見て、かわいらしく笑う。覗いた真っ白な歯がかわいい。
「お散歩しようよ。ちょっと酔っ払っちゃった」
「あ、そうですね。行きましょう」
居酒屋から出て、仲良く腕を組んで並んでゆっくり歩く。ちょっと歩いて立ち止まったら抱き合ってキスをするからなかなか進まない。そうやって駅まで二人で歩き、一緒に登り電車に乗った。僕の住まいとは反対方向だったが、まだ一緒にいたい、家の近くまで送って欲しいと甘えられてしまい、僕は喜んで彼女の希望どおりにした。
降りた駅から「もうここでいい」と彼女に言われるまで、腕を組み、時々キスをしながらゆっくり歩いた。別れる前にもう一度、抱き合ってキス。
「じゃあ、おやすみなさい」
「香奈美さんも。気をつけて」
彼女と別れてから、ふわふわした夢見心地状態の僕が、どうやって自宅まで帰ったのか覚えていない。
僕の頭は彼女のことで一杯だった。彼女を抱きしめたこと、そしてキス、キス、キス…。
ねえ…と甘える声。彼女のことしか考えられない。まさに「恋は盲目」だ。
ベッドに転がっていた僕の二日酔いの耳が、聞き覚えのあるメロディを捉えた。どこかでスマホが鳴っている。床に落ちていたそれを拾う。彼女からの電話だった。
「もしもし」
「もしもし、江田くん?」
「香奈美さん。おはようございます」
「おはよう…ってもうすぐお昼だよ」
「あ、そうですね」
電話をくれたのは嬉しかった。時刻を確認するとあと数分で正午だ。
「良い天気ですね」
「そうね」
「僕はすごい二日酔いなんですが香奈美さんは大丈夫?」
「ぜんぜん大丈夫じゃない」
電話の向こうで彼女が笑う。僕も釣られて笑う。
「私もすごい二日酔いなの」
「ですよね」
「うん。あのね。声が聞きたくなってね。電話したの」
「…僕も…です。香奈美さんの声が聞きたいと思っていました」
「えー?本当に?」
「ええ。マジで」
「じゃあなんで電話くれなかったの?」
「それは…さっき起きたばかりなんで」
「ふうん。ねえ、頭がガンガンするわ。なんでかな」
「奇遇ですね。実は僕もなんです」
あはは、と彼女が楽しそうに笑う。ベッドに転がっている僕も笑う。そんな生産性のない話を30分ほどしてから「じゃあね」「ええ。また」と二人で同時に電話を切った。
特に用はなかったらしい。本当で僕の声が聞きたいと思ってくれたようだ。
彼女の「ねえ」はヤバいなと思った。あの声で「ねえ」なんて言われると、下半身が痺れるというか、僕の中の雄がいつもズクンと疼くのだ。
そんな土曜日の残りの時間を彼女のことを考えながらダラダラ過ごした。一夜明けて日曜日。今度は僕から彼女へ電話をかけてみようと思い立った。だが、小学生のお子さんがいる主婦のスマホへ日曜日に電話をするにあたり、いったいどの時間帯に電話したら失礼にならないか見当もつかない。それに、昨日の電話では彼女はあんな言い方をしていたけれど、そもそも僕の方から電話しても大丈夫なのかわからない。
…あ、でも僕は彼女の同僚だしな。仕事の件で電話するのは別におかしくはないか。しかし電話する実際の理由はぜんぜん仕事とは関係ないしな。それに僕たちの仕事の内容は、わざわざ日曜日に電話しなきゃならないほどの緊急性はないよな。それは彼女のご主人も知っているんじゃないかな。だったら僕が彼女に電話してその場にご主人がいたりしたら怪しまれるんじゃないかな。
こんなことなら彼女のメアドとかLINEのIDも聞いておくべきだった。
電話しようか、やっぱりやめようか。いくら考えても答えが出ない。
ええいままよと、昨日、僕が電話をもらった時刻まで待ち、彼女へ電話してみる。数回のコールで繋がった。
「もしもし」
「はい。もしもし」
「あの。江田です」
「ああ、こんにちは。あのう、あと10分ほどしたらこちらからかけますから」
「あ、はい。わかりました」
一方的に電話が切れた。やはり僕から電話したのはまずかったか。「こんにちは」の声がよそよそしかった。それから10分後。彼女からのコールが。
「もしもし。さっきはごめんなさいね。夫が近くにいたものだから」
「僕こそ電話してすみません」
「そんなことない。江田くんから電話もらって嬉しいよ」
「それなら…いいですけど」
「何をしているの」
「えっ。僕ですか?」
「日曜日はいつも何をして過ごすのかなって思って」
「ええと」
日曜日はいつもこんなことをしていますなんて言えるほど大したことはやっていない。でもそういえば。
「あ、そうだ。午後に池袋へ行こうと思って。サンシャインの…」
「いいなあ。私も行きたい」
「えっ!」
好きになってしまった人に"私も行きたい"なんて言われたら返事は決まっている。
「来ますか?」
誘っておきながら、僕は彼女がまさか「うん。行く」と即答するなんて思ってもいなかった。だからとても驚いた、と同時に彼女に会えるのが嬉しかった。待ち合わせの時刻を合わせる。
「じゃあ、あとで」
「はい。先に行って待ってます」
浮かれつつも、本当に来るのかなと半信半疑だった。
この日が僕と彼女初の昼間のデートだった。その後も土曜日か日曜日の午後に、僕が彼女を誘うかそれとも彼女から誘うかして何度もデートをした。デートと言っても、いつも池袋のデパートや繁華街をぶらぶらしてウインドウショッピングしたりするだけ。時間があれば、どこかのカフェでコーヒーを飲みながら雑談する。それだけだ。それでも僕は楽しかった。彼女も楽しそうだった。
ちょっとだけオシャレな装いの彼女は、僕が普段見ている仕事モードの彼女とはちょっとだけ違って見えて、何だかちょっとだけ特別な感じがした。
デートの終わりは現地解散だったり、一緒に電車に乗って彼女が降りる駅で一緒に降りたり。後者のパターンでは僕だけがホームに残り、駅の外へ出た彼女が線路の向こうのロータリーから僕に手を振って、僕は彼女に見送られながらやってきた電車に乗るのだ。
やがて電車が動き出し、ドア際に立った僕は、手を振っている彼女を見ていた。その姿が遠ざかり、小さくなって見えなくなるまで。
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