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左手の魔「平川探偵事務所ミステリーファイル」File1逆さま少女と人形使い②
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地下鉄の亡霊
夜は不夜城のように活気づくこの辺りも、昼間のこの時間はくたびれた飲み屋が並んでいるだけの薄汚れた街だ。下ろされたシャッターと積み上がったビールの空き箱。ところどころにできた水溜り。その表面には薄っすらと油膜が張っている。水溜りを避けつつ、足早に地下鉄の駅に向かう。
頬をかすめる冷たい風にコートの襟を立てた。
……今日はやけに冷えるぜ。
狭く急な階段を降りると風が途絶えた。人気のない改札を通過し、薄暗い通路をホームへ向かう。ホームの手前付近で妙なやつがふらふらしているのが見えた。白く薄らぼんやりしたそれは、かろうじて人の形をしている。
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それに近寄る前に、左手の手袋を脱ぎ捨てた。軽く気を込める。歩みはそのまま、開いた左手をすれ違いざまにそれに押し当てた。
「キン」
かすかだが鋭い音が鳴った。カップルの女が振り向く。しかしその前に、白いそれは跡形もなく消え失せた。女の瞳が俺をとらえ、見開いた目に疑問が浮かぶ。だが、知らん顔を決めこんだ俺に、気のせいだったと判断した女は、目を逸らし、前を向いた。
男より女の方が感受性が強い。無論、個人差はある。この若い娘は、普通の人間なら聞こえないはずの音が聞こえた。だから振り向いたのだ。
そこへ電車が到着した。ゴーっとドアが開いて、俺はカップルのあとから電車に乗り込んだ。
つり革に掴まり、モニターに流れる映像を何となく眺める。車内広告がこんなスタイルになったのはいつからだろうか。ずらっと並んだポスター広告の雑多な感じのほうが俺は好きだ。
そんなことをつらつらと考えていると、急にモニターにノイズが入り、同時に左手がズキッと疼いた。
素早く周囲を観察する。混み具合は五割ほど。特に怪しいものは見当たらない……と、右足が痺れた。
見下ろしたら、床から生えた青白い手が俺の足首を掴んでいる。
靴紐を直す振りでしゃがみ、左手で軽く払う。そいつはすぐに形が崩れて消えた。
立ち上がろうとしたタイミングでコートの裾をグイッと引かれ、危うく転びそうになる。そちらを見もせずにやはり左手で後ろを払ってから立ち上がる。
目を落とせばそこいら中に青白い手が生えており、力なくゆらゆら揺れている。
今日はなぜかやけに多い。いくらこいつらが溜まりやすい地下鉄であっても、いつもはこれほど酷くはない。
……面倒くせえな。
乗客たちはまだ気づいた風はないが、これほど多いなら、さっきのカップルの女のようにいずれ異変を感じる者が出るだろう。その証拠に、まさにそのカップルの若い女が、奇妙な表情でこちらを見ている。
そこではたと気がついた。
こいつらは俺に引き寄せられているんだ。
普段はこんなことはないのだが……。
左手を前に。指を広げて胸の前に突き出し軽く気を込める。周囲の瘴気がザワッと揺らいだ。そいつらが近づいてくる。
俺の左手には、魔を祓う効果と引き寄せて吸収する作用の二面性がある。数の多い雑魚をいちいち相手にするのは効率が悪いから、俺は自分を餌にすることにした。
死人の手は俺の足元に群がり、やがて這い登ってきた。ザワザワ、可聴域を超えて何かが聞こえる気がする。それに耳を傾けてはいけないと先生が言っていたのを思い出した。
車両中のそいつらが俺の体に登り切ったのを確認し、腰の辺りでひとかたまりになって蠢いているそれに左手を突っ込んだ。
空気が鋭くキンと鳴る。何人かの女が振り向き、カップルの女の背中がビクッと硬直したのが見えた。
それからは、降りる駅に到着するまで何も起きなかった。地下鉄の怪異に唯一気づいたその若い女のねっとりした視線をずうっと感じながら、俺は列車を降りた。
「おい、瑠衣(るい)! 待てよ! なんで降りるんだ」
背後で男の声。振り向いた途端に首に抱きつかれてよろけてしまう。女の柔らかな唇が俺の口に押し付けられ、小さな舌がヌメっと入ってくる。うっとりしたようなため息。その後ろの驚愕した男の顔。
振り解こうと思ったが、強い力でホールドされている。だから怪我をさせてはいけないと諦めた。温かい体の、その肉の薄い背中を左手で抱いて気を込める。
「うくっ!」
女の甘い唇が離れた。俺の首に腕を回したまま、我に返ったように大きく目を見開いた。
「大丈夫か」
「えっ? え、ええ。あれ。わたし何を…-」
そっと体を離し、そこに馬鹿みたいに突っ立っている男に呼びかける。
「彼女を介抱してやれ。具合が悪いようだぞ」
男が口を開く前に、その場を急いで立ち去る。難癖をつけられたら面倒だ。
まあ、無理もないが。自分の女が見知らぬオヤジにいきなり抱きついてキスしたら誰だって驚くに決まってる。
「ねえ、待って!」
はるか後ろから俺を呼び止める声が聞こえる。それが男ではなく女の声だったのは少々意外だったが、構わず改札を走り抜け、壁の"→B12"という表示に従って走る。
人気の途絶えた狭く薄暗い階段を駆け上がり地上に出る。
下されたシャッターが居並ぶ前を足早に過ぎ、角を曲がる。そこは新宿の繁華街から外れた裏通りだった。
立ち並んでいる幅の狭い高いビルが空を覆い隠し、その空もどんより曇っているせいで、地上はまだ昼間だというのに薄暗い。
そっと振り向いた。誰も追って来ないのを確認し、ペースを緩めて上がっていた息を整えながら歩く。
目的の場所が見えてきた。薄汚れた灰色のビルとビルの間に、身体を横にした大人が入れるかどうかの狭い隙間がある。
周囲に誰もいないのを確かめてから、その隙間の前に立った。
幅は狭いが奥行きは長い。優に二十メートル以上はあるだろう。そして狭いのは入り口から二、三メートルまでで、それより奥には、どういうわけか不自然に広い空間があった。
そしてその広い空間の地上から高いところに、頭を下に、逆さまになった少女が浮かんでいた。
蒼井冴夜
「DarkCastle」レーベル(ホラー小説)
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