自己紹介
はじめまして。
不動産鑑定士の岸間紅樹と申します。
営業をする機会が多く、時に怖がられることもあるので、私個人の経歴などを僭越(せんえつ)ながらダラダラと書かせていただきます。
他の人がどんな人生を歩んできたか興味ありませんか?
私は高校時代バスケ部だったのですが、顧問の先生がそれはそれは大嫌いで、、、(笑)。それでもその先生が自分の経歴やエピソードトークをしていたときは興味津々で聞いていました。
興味を持っていただける方は、是非お付き合いください。
岸間紅樹の経歴
ざっくり僕の経歴の概要をまとめてみました。
・1996年 9月生まれ、鹿児島生まれ熊本育ち
・2000年 4歳くらいで熊本県に引っ越す
・2015年 地元の高校を卒業後、工場の溶接工として働く
・2017年 同企業を退職。その後、鹿児島県へ農業出稼ぎ
・2018年 こしらえたお金で上京・勉強漬けの生活が始まる
・2021年 試験に合格し不動産鑑定事務所に就職
・2024年 同事務所を退職し独立
・2025年 現在は個人事業主(鑑定・買取)として開業
全体としてはこんな感じです。適当に振り返ってみたいと思います。
地元学生編(1996~2015)
1996年に母親の実家である鹿児島県で生まれました。
幼少期はとても活発だったと聞いております。母親の目を盗み、三輪車で国道を爆走。父親が飲んでいたビールを興味津々で飲み救急車搬送。下水管の下に秘密基地を設置。などなど。
今の自分自身と全く変わってないなと思います。興味があったらとりあえず行動しちゃう。後先考えないから、いつも色んな壁にぶつかって傷だらけになりながら前進しちゃう。
小学校時代は自由でとても楽しかったです。運動はそこそこ、勉強は平均くらいでした。
まぁ俺やればできるタイプだよな~、たぶんプロ野球選手とかなれるだととか勘違いしていたまま、割と無気力に学校生活を過ごします。
中学校では少しヤンチャな友人宮本君の勧め(脅し?)で生徒会長に立候補させられます。理由は僕が生徒会長になったら全校生徒の前で一発芸をやってくれそうだから。
結果は当選。なんと宮本君が学年みんなに根回しして、圧倒的な票数で当選したと聞きました。急遽立候補して特に選挙活動を行っていない僕が当選したせいで先生達からは冷たい目で見られました。
この時には社会の縮図を学びましたねぇ。
僕自身は至ってマジメなので結局一発芸を全校生徒の前でやることはなかったのですが、その経験があったおかげで人前で話すことに対する恐怖心はなくなりました。宮本君ありがとう(いまではすっかり丸くなってます)。
高校は熊本工業高校という、とんでもない軍隊高校に入学しました。
部活でもクラスでも、今では考えられないような洗礼を先輩からたくさん受けて、1年生のときは毎日辞めたいと思ってました。
この頃から、学校や社会に対して漠然とした疑問感を抱くようになります。
眉毛や髪型に対する校則、アルバイトや携帯の禁止。この規則があることで社会に対して何のメリットがあるのだろうか?
生徒や後輩を隷従させることで自己満足を得ているだけだろ?とかずっと考えてしまいます。
とにかく縛られるのが嫌いな僕は、反骨的にバイク通学を開始しバイトを始めました。
そんな軍隊学校も卒業するときは寂しかったですねぇ。
高校卒業してこれから社会人になる自分が全く想像できず、ひたすら怖かったことも覚えています。
社会人編(2015~2017)
高校卒業後は大学には進学せず。就職しました。
大学には行きたかったのですが、家庭の金銭的な事情で行けず、その際に母親を責めたことを今でも後悔しています。朝から深夜まで働き、女手一人で兄弟4人を育ててくれた母親には感謝しかありません。オカンありがとう。
さて、社会人となってからは溶接工として働きだしました。いわゆる3K現場(きつい・きたない・きけん)であり、真夏の暑い中、長袖・皮手袋・粉塵マスクの重装備でひたすら溶接しまくります。
当時のなごりというかクセで、いまでも自然と小指が薬指の上に乗っかっちゃいます。
半自動溶接の経験者の方、わかりますよね?(笑)
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車という移動手段と、ある程度のお金を得てからというものの、仕事終わりに友だちと遊んだり、趣味のバスケをしたりと自由気ままな生活を送ります。そんなこんなで2年半働いていたとき、何か本気で頑張らないといけないと思い始めます。
当時の上司には、適当な理由をつけて退社。
思い付きで、友達がいない鹿児島県の祖父母のところへ移住します。
まだこの頃には資格試験勉強に打ち込むなんて想像もしてませんでした。
農業出稼ぎ編(2017~2018)
ばあちゃん家に住み始めてから、ある日のこと、不動産鑑定士という資格試験に目が留まります。そして、その日の夜のテレビ番組で不動産鑑定士が芸能人の家を査定する企画をやっていました。
その時の僕は「神様が俺に鑑定士なれって言ってるんだわ。これは運命や。」とか思っちゃいました。
後先考えず即行動の僕は、次の日には参考書を購入し、ばあちゃんに「不動産鑑定士なるから予備校代貯めるために農業するわ!」とか言って困惑させていましたねぇ。
農業は外国人労働者の方々に囲まれながら、オクラとソラマメ、スナップエンドウを育てていました。
朝3時起きで、スズメバチやアブに追いかけられる日々。同時進行で勉強を行って、毎日めちゃくちゃシンどかったです。
2018年5月の短答式試験には何とか合格。ばあちゃんがとても喜んでくれたのは今でも覚えています。
上京受験時代(2018~2020)
さあ、1年間の重労働の末に得た200万円を握りしめ上京します。
初の一人暮らしは慶應の町である日吉。予備校は渋谷にあるTACに申し込み、華の都会生活を夢見ていました。
ですが、上京1年目は極度のニキビ肌に悩まされ、半引きこもりになってしまいます。もちろん初めての論文試験も落ちてしまいます。
絶望の中、2年目は肌が少し改善し中止していた勉強を再び開始しました。
朝7時に渋谷の予備校について11時まで勉強、11時~18時までは予備校近くのバイト先で生活費を稼ぎ、18時から23時までまた予備校で勉強するみたいな毎日を送っていました。
金銭的・精神的・肉体的にギリギリだった状態の中、2020年に挑んだ2回目の論文試験になんとか合格。
真っ先にばあちゃんに電話したら、思わず泣いちゃいましたね。
社会人編(2021~2024)
合格後、2021年春に株式会社中央不動産鑑定所へ就職します。
パソコンを触ったこともない僕を入社させてくれた中央の方々には頭が上がりません。
周りは高学歴でなんだか頭の良い話し方をする人ばかりで、毎日ついていくのに必死な毎日でした。それでも見放さずに色々な経験をさせてくれた当時の上司の方々には本当感謝しております。
色々と経験値不足だった僕は、通常2年程度で終わる修行時代(実務修習)を1年実務経験+実務修習2年コースの計3年間かけて行うことになります。
3次試験のときはめちゃめちゃ勉強した記憶がありますねぇ。
土日祝日、クリスマス、年末年始も返上で毎日マックにこもって勉強していました。
独立編(2024~)
2024年6月に中央不動産鑑定所を退職し、その後独立をいたしました。
本当はもっと長く勤めて、鑑定士として会社に恩返しをするべきだったかもしれませんが、思い立ったらいてもたってもいられない私には、待つという選択肢がなかったです。
それでも僕を応援してくれた上司や同僚の方々には、いつか恩返ししたいと思っています。
独立した今も、周りの方々に支えられながら、仕事ができております。
縛られるのが嫌いで自由を求めている僕ですが、結局人って自分ひとりでは生きていけないんだなあと痛感しました。
だからこそ今では多少の不自由があっても、人と人のつながりを大事にするべきだと思っております。
というわけで長くなりましたが僕の経歴書になります。
現在は営業活動に割く時間が多いため、新しい出会いもたくさんあり、名刺だけでは語れない私の中身を知ってもらいたいというのがキッカケでこのnoteを書きました。
このnote見たでも、不動産についてでも、ぜひお気軽にお電話下さい。