儚いレースが導く幸福
12月31日、私は決まって赤い下着を身につける。
それは「赤い下着で年を越して、新年を迎えると幸運が訪れる」という、イタリアでの言い伝えを知った時に、そのなんともキュートでポジティブな発想にキュンとしてしまったから。
そもそも新年だとか、言い伝えだとか。
そういうのを抜きにしても、下着は愛らしく、美しく、時には不思議なまでに私たちを魅了するし、くたびれた下着がチェストの中に入りっぱなしになっているだけで自分自身までみずぼらしい存在になってしまったかのような気持ちになる。
たかが下着、されど下着。そう思わずにはいられないのは、きっと下着は常に自分の肌から一番近い場所に在るからで、自分の鎧であり、お守りであり、パートナーであるから。
体調も気分も絶好調な時は色とりどり且つ芸術的なまでに麗しく織られたレースの中から一番ピンと来るものを選ぶ作業が最高に愉しいし、心も体も疲弊している日は肌あたりが良い綿の優しいショーツに手が伸びる。
何気無い日常の中、女友達と銭湯に出かけて「可愛いブラジャー!」と褒められるとすかさず情報を共有したくなるし、「そのディティールが可愛いね」とボーイフレンドに褒められれば、そうでしょう?となぜだか誇らしい気持ちになったりもする。
こんなにも日々を彩って、癒して、場合によってはモチベーションを上げたり背中を押してくれたりする存在を私は他に知らない。
それは儚く、それでいて力強く、幸福に導いてくれる小さな魔法。
私たちが下着を、そして下着を纏う自分自身を愛するかぎり。
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