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東京を作った男、ボロボロの漁村を、世界一の風水都市へ

①400年前の東京は、ボロボロ


そもそも家康が、江戸に幕府を開いた時、
江戸は湿地の多い、さびれた漁村。

ほとんど、廃墟に近い状態でした。

そんな江戸、徳川の世を、風水によって
安泰にした僧侶がいました。

その名は「天海僧正」、ボロボロだった
江戸を、世界一の風水都市にしました。

それは、今から遡ること約400年前。

はるか昔の江戸時代にあって、106歳もの
長命を誇った天海は、

高齢にもかかわらず、その活躍ぶりには
目を見張るものがありました。

家康から徳川将軍三代にわたって、
参謀を務めあげ、

265年にわたる、徳川幕府の礎を築いた、
とも言われています。

②家康を神にした男、天海!!


家康が、その遅すぎた出会いを悔やみ、
死後をも託した、と言われるほどの男。

家康を神にした男、大僧正、南光坊天海!!
天台宗の僧でした。

天海の生まれなど、はっきりとしたものがなく、
生まれた場所や家柄も、諸説があります。

はっきりしているのは、
比叡山延暦寺で天台宗を学んだこと。

そして、秀吉の小田原攻めに家康に同行し、
北条氏滅亡後に、家康と共に江戸に住んだこと。

風水によって、家康の天下取りを助けた
ことくらいです。

その後、大阪冬の陣のきっかけとなった、
「方広寺鐘銘事件」を画策。

家康の死後は、「東照大権現」として
神格化して、家康を日光に祀りました。

もちろん、その場所は風水によって
決められました。

風水や陰陽道によって、江戸を風水都市とし、
徳川の世を盤石にしたのです。

③世界最強と言われる風水都市


そもそも家康が、江戸に幕府を開いた時、
江戸は湿地の多い、さびれた漁村。

ほとんど、廃墟に近い状態でした。

この廃墟に風水を用いて、新しい武士の
を、作りあげました。

そして、世界最強と言われる風水都市
を完成させたのです。

天海は、東西南北に「青竜・白虎・玄武・朱雀」
の四つの守り神を配し、

宗教的曼荼羅の結界を、用意周到に張り巡らせ、
天台密教や陰陽道に基づいて、江戸を構築しました。

そして、江戸に流れ込んでくる、諸藩の取り潰し
によって、大量発生した浪人や、芸能漂泊民、

様々な宗教者などの危険分子たちを管理

江戸の結界の外側にある、特定の地域に囲い込み
厳しい監視下に置くようにしました。

また太陽の沈む西にある京都を、「死の国」
になぞらえることにより、朝廷の権力を、

封じ込めようとしました。

恐るべし、天海と江戸幕府。

④江戸を京都にする都市計画


具体的には、

江戸城から見て鬼門の丑寅、北東の方角に
あたる上野山に、東叡山寛永寺を建立。

東叡山とは、東の比叡山の意味。

比叡山が京都の鬼門の位置に置かれ、
都を守護しているのと同じ役割を、

寛永寺に 担わせたのです。

さらに、琵琶湖弁財天に見立てた不忍池弁天堂
清水寺を 意識した清水観音堂など、

江戸に京を中心とした、西の街が再現されて
いったのです。

これは比叡山の復興を願った、天海の宿願
でもありました。

天海はある意味で、自らの理想の為に徳川幕府を
利用したとも言えるのです。

しかし、いずれにせよ、天海の抱いた理想は、
現代までも庶民を楽しませる名所という形で、

東京のあちらこちらに、残されているのです。

⑤歴史のロマン、明智光秀


さて、戦国最大の謎とされる『本能寺の変』、
ある面白い説があります。

首謀者の明智光秀が生きていて、
天海僧正となり、徳川家康から家光まで、

三代の将軍に仕えた、とされる説です。

それが事実なら、ロマンですねえ。(笑)

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建築家・風水師    江口 希之

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