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【こんな映画でした】360.[尼僧物語]
2022年 4月 5日 (火曜) [尼僧物語](1959年 THE NUN'S STORY アメリカ 151分)
フレッド・ジンネマン監督作品。オードリー・ヘップバーンの映画とも言えるが、前半はもうこれはキリスト教の映画の趣き。夕べの祈りから翌朝の祈りの時間までは、沈黙を守らなくてはならないとのこと。それによって神との対話が可能になる、というようなことを言っている。人間が沈黙したら、神が語りかけてきてくれるということか。
後半はより人間的であろうとするシスター・ルークが、ついに尼僧であることを断念する。ここまで観てくると、監督はこのような修道院と尼僧のあり方に不自然さや非人間性を感じていたのかもしれない。
彼女がより自己に忠実であろうとすれば、尼僧としての「服従」は不可能になる。修道院は良き看護師・人間であるよりも、良き尼僧であることを絶対命令とするからだ。この点において彼女は、最初から道を間違えていたと言うことになる。宗教は、その宗教のためにあらゆる犠牲を要求してくるものだ。宗教第一なのだから、致し方ない。それを分かってて尼僧を志願したのだろう、ということだ。
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コンゴでの医療活動に携わるのだが、1930年代当時のコンゴはベルギーの植民地だったということだ。キリスト教の布教と、植民地政策は一体化しているということか。
修道院におけるキリスト教の儀式も、かなり描写されているが、一体何のためのにそのようなものが作り出されていったのかと、あらためて感じる。もちろんそれは仏教でもそうなのだが。
とまれ撮影当時30歳のオードリー・ヘップバーンが美しい。過労で目の下に隈ができている時でも美しい。コンゴでともに働く医師をピーター・フィンチ(撮影当時42歳)は[飛べ!フェニックス](1965)で観ているようだ。