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【こんな映画でした】982.[ぼくたちのムッシュ・ラザール]

2019年 2月 8日 (金曜) [ぼくたちのムッシュ・ラザール](2011年 MONSIEUR LAZHAR 95分 カナダ)

 フィリップ・ファラルドー監督作品。これはアリス役のソフィー・ネリッセ([やさしい本泥棒])の関連で調べだしたもの。当たりであった。私も教師だったせいもある。一般の方はそんなには思わないかもしれない。

 ネリッセは先の映画よりまだ二年前のものなので、幼さが残っている。しかしもう既に印象的な、目力のある女優であった。三日前に一度観て、今日は二度目。やはり気づいてないことがあった。まずはその設定・前提がすさまじい。カナダはモントリオールで、言語はフランス語。英語ではない。だから全編フランス語である。

 さてその小学校の教室で担任の女性教師が自殺し、その後任として外国人としてのラザール(モハメッド・フェラグ)がやって来る。彼のことは追々紹介されていくが、要するに難民申請をして亡命してきたアルジェリア国籍の男性である。

 さらに彼が故郷で政治的迫害を受け、ついに妻と二人の子どもたちがテロで殺害されてしまったことも分かってくる。故郷からのジャムの箱が送られてくるが、その中味は亡き妻の遺品であった。

 新聞で見たということで、ラザールは校長に会いに来る。経歴書と連絡先を置いていくシーンがあり、その次のシーンはもう教室で生徒たちに自己紹介している。テンポが早い。というか余計な説明はしない。

 生徒たちの名前を聞き、ちょっとしたユーモラスな場面も。特に彼らの名前のうち、複数の姓を持つ子どもたちのことで。日本と違い両親の姓を受け継ぐので長くなるのだ。

 ついで驚かされたのは、席のこと。それまで教師を取り囲むようにアーチ状に座っていたのを縦横きちんと整列させたのだ。生徒たちからも少しブーイングが出たが、意に介せず強要。これはやや意外であった。思うにラザールの教育観の古さを象徴させているのかもしれない。

 保護者との懇談のシーンは、ある意味結末の伏線となっていたようだ。マリーの両親とのことである。ラザールは彼女に「生徒や教師の批判はすべきではない」と言い、そして彼女には頑固な面がある、と指摘する。これに対し母親は、「強い子です、頑固ではない」、父親は「しつけではなく、勉強を教えてください」、と。ここにすれ違いが見られ、後の残念な結果をもたらす要因となっている。

 授業の一環の劇についてのやりとりもなかなか興味深かった。歴史の授業で生徒たちに役割を振って演じさせ、勉強とするやり方でのこと。女性教師から「感想は」と問われて、ラザールは「面白いし、無邪気でいい」「無邪気?」「勉強になるし、遊びもあり、植民地時代をロマンチックに学べる」。対して、「略奪や残虐行為の話も入れるべきね」。

 教室でまずシモンが発表している。授業ではこの「発表」が結構多いようだ。その後アリスが続く。ちょっかいを掛けるシモンにアリスが怒る。そしてその発表のお終いで問題を提起することに。「きれいな学校で、先生が死にました。先生は人生がイヤになりました。最後にしたことはイスを蹴ることです。先生のメッセージは暴力でしょうか」、と。

 このアリスの文章を全生徒に配りたいと、ラザールは校長に具申するが、当然のように(何を余計なことをしてくれるのか、と)不許可。教師の自殺が生徒たちにどのような影響を与えていることか。その深刻さから逃げているようだ。学校側はカウンセラー任せで、担任や他の教師は関わらないという姿勢で一貫している。いずこも同じである。臭い物には蓋、ということ。でもそれでは子どもたちのためにならない。

 やはり教室で問題として顕在化させ、それぞれの思いや考えを出し合うことが本当のあり方だろう。ラザールはそうすべきことに気が付くのだが、校長に阻まれたわけだ。この女性教師の自殺には、シモンが関わっているということがだんだん明らかになってくる。その切っ掛けのアイテムとしてはカメラであり、授業中に撮ったその女性教師の写真である。

 ラザールはアリスに問う。その写真を見たのか、と。アリスは「見なくても本物が頭から離れない」、「頭から離れないのは、その人を愛し、愛されていたからだ」。

 いよいよ終わりが近づく。マリーの両親が調べ上げ、ラザールが永住者ではない難民であることや、経歴詐称(アルジェリアで教師を19年していたというもの)がばれてしまい首になる。

 その最後の日、ラザールは校長に最後の一日授業をさせてくれと懇願する。もしこのまま「無言で去れば自殺と同じだ」と主張して。渋い顔の校長もこう言われて認めたようで、次のシーンは教室。

 ラザールは生徒たちに、私の書いた寓話を添削してほしいという課題を出す。題は「木とさなぎ」。そういえば「さなぎ」については教室の授業で二回、すでに出てきていた。

 さて中味は次の通り。時々、文法や綴りの間違いを含ませてあり、それを子どもたちに指摘させるという形で展開する。なお、その文章の終わりかけは、音声はラザールの朗読だが、映像は子どもたちが授業を終えてロッカーから荷物を出し、それぞれ帰って行くシーンである。

 そしてその読み終わるシーンは、一人教室の教師席に佇むラザールのもとへ、荷物を持ったアリスが入っていくというもの。アリスに気付いたラザールが立ち上がり、アリスの方へ。そしてしゃがんでアリスと同じ目線に。一瞬の間。そしてどちらからともなく、ハグ。(エンドロールへ。)

「木とさなぎ」
 不公平な死に何も言うことはない。そのわけを話そう。
 オリーブの木にエメラルド色の小さなさなぎがいた。明日、まゆから出てチョウになるだろう。木はさなぎの成長を喜んだが、もっと一緒にいたいと願っていた。木は不安だった。さなぎを風から守り、アリから守ってきた。だがチョウになれば敵や荒天にさらされる。
 その夜、森で火事が起き、さなぎはチョウにならなかった。明け方、冷めた灰の中に木は立っていた。心は黒焦げだった。火と悲しみで傷ついていた。
 それからは鳥が休みに来ると、木は目覚めぬさなぎの話をする。心に描くのは羽を広げ、空を飛び回り、蜜と自由に酔い、私たちの愛を知る大切な者の姿だ。

 この寓話の意味するところを何人の子どもたちが理解したろう。少なくともアリスは、その意味するところに気づき、ラザールに最後の別れを告げに来たのだ。名ラストシーンというべきだろう。

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