空の青さはぼくが決める
コンビニで売っているスタバを買うのが精いっぱい。
それがぼくの青春だった。
クリームが乗った新作を片手に友人と話しながら、スタバのある駅前のビルから出てくる同級生を見ると、少しだけ胸が痛くなる。コンビニで売っているスタバの商品にはフラペチーノなんてないから。
いつまでもスタバに行けなかったぼくの青春はキラキラとは程遠かった。「夏が青春なんてどうかしてる。春なのか夏なのかはっきりしてくれよ」なんて思いながらエアコンの効いた部屋で、クリームが乗っていないコンビニスタバを飲みながら、海外ドラマのレンタルDVDを観て夏を拒絶していた。
***
夏を青春と結びつける元凶は体育祭だ。ぼくは体育祭の存在価値が本当に分からなかった。「一軍」の「一軍」による「一軍」のためのイベント。「一軍」だけでやってくれればいいのに、めんどうなことに、ぼくたち「四軍」まで巻き込まれてしまう。
ぼくの周りには、運動が得意だけど、体育祭の空気感に否定的な友人たちがいたので、彼らに紛れて毎年体育祭をそつなくやり過ごしていた。(もちろんぼくは活躍していない)
しかし、高校最後の体育祭、ぼくはついに逃げ切ることに失敗して応援団に入ることになってしまった。学生生活を円滑にするために、「一軍」たちとも交流をしてきた弊害が、最後の最後に出てしまったのだ。
「一軍」の友人の一人に勧誘されて、彼の純粋な勧誘を断り切れなかった。
応援団に入ったものの、やはり住む世界が違うので、受験前最後の思い出作りに燃える同級生たちの熱にはついていけなかった。ぼくはどうしても冷めた目線でみんなを見てしまっていた。
応援団の「執行部」に絡まれたくなかったので、ダンスも演舞もすぐに覚えて出来るようにした。そして、全体練習で目を付けられない様にそつなくこなした。そんなひねくれた努力の成果もあって、特に何かを指摘されることはなかったけれど、具体的な目的もなく、何となく何度も繰り返される自主練が嫌いで、ぼくは参加をしなかった。
なので、学校内を歩いていて応援団のメンバーに目撃されると、「おい、うたたネ、今からやるから来いよ」と連行されることが間々あった。体育祭の期間中、僕は常に周りを警戒しながら学校内を歩くようになった。とても苦しかった。
***
応援団の一番の見せ場は言わずもがな「応援合戦」だ。お互いが自陣を応援し、相手にもエールを送る。「一軍」たちがほぼ全員参加していて、不参加なのは体育祭に懐疑的な四軍とひねくれた運動部たちしかいない。
「こんな素人のダンスで誰がやる気出るねん。」
「大声で叫んでも、その叫びが届くやつは全員参加してて、外から聴いている自チームは皆冷めたやつばっかやのにな。」
最初、炎天下で汗だくで演舞の練習をしながら、ずっとそんなことを考えていた。でも、練習に参加するにつれて、そんなことを考えないようになり始めた。
空の下で大声で叫んで感情を爆発させる機会なんて中々ない。ずっと自分の感情を表に出すのが怖かったぼくは、「応援団に入ってしまったこと」をスカしてきた自分への言い訳にして、少しずつ自分を主体に考えられるようになった。
***
体育祭本番。
人生最後の体育祭は、新しいことだらけだった。
「一緒に写真撮ろうや」と言われていろんな人たちと写真を撮った。
組の色のハチマキを可愛くリボンぽくアレンジして先生に怒られた女子と一緒になって、「これぐらいいいやろ別に」と悪態をついたりした。
「うたたネはせっかく色白なんやから日焼けしたらもったいないで」と言って、練習の時から毎回日焼け止めをくれる子もいた。
普段僕が見上げていた「一軍」の男子たちも、「うたたネさ、これ運ぶの手伝ってくれん?」「お前のクラスにも連絡頼むわ」「うたたネはこれどう思う?」などと対等に接してくれた。
全てが六年間の中高の生活で初めてのことだった。そうか、ぼくたちは最初から対等だったんだ。ぼくが彼らに感じていた上下の距離は、実はただの横の距離でしかなかった。ただ、ぼくが勝手に自分のことを卑下して負い目を感じて、彼らから見て「とっつにくい奴」になっていただけだったのだ。
みんな一軍でいいんだ。
そして、この体育祭で一つ気になる点があった。BGMだ。例年は最新の流行曲ばかり流れるのに、今年はやけにぼくのオタク心をくすぐる曲がちりばめられている。エヴァンゲリオンの曲なんて一体誰が流しているのか。
気になって放送委員のテントを見ると、そこには帰り道に駅前のスタバで何度か見かけたことある同級生がいた。あんなにキラキラした「一軍」なのにエヴァとか観るのかな。それとも、他の人が決めてあの人が流しているだけなのだろうか。
なぜか、「あの人が選んでいて欲しいな」だなんて思っている自分が居た。
そんな沢山の気づきがあった体育祭が楽しいのと同時に、ぼくはとても緊張していた。応援合戦のせいだ。ぼくは緊張を誤魔化すように、面識もない同じ色のハチマキをした後輩たちに声援を必死に送り続けた。
友人とだべりながら体育祭が終わるのを待っていた例年と違い、応援に熱中していると、プログラムはあっという間に過ぎ去って昼食の時間になった。急ぎ足で昼食を終えて、応援合戦の準備に入る。緊張が最高潮で、食べた昼食がひょっこりはんしそうになっていた。。。そんなぼくの緊張をよそにBGMが流れ始める。
まただ。
ヤシマ作戦なんて誰が流しているんだろう。ぼくはまた、放送テントに目をやる。「一軍さん」と目が合った気がして、慌てて目線を逸らした。こんなことして何か失敗したら恥をかいてしまう。ぼくは応援合戦に集中した。
そして、ついにぼくたちの番が始まった。
ダンスを踊り、演舞をする。
そこには、スカした理由も、コスパも、必要なかった。
踊る楽しさ、皆と協力することの一体感。
「一軍」たちの世界はとてもキラキラしていて楽しかった。
ダンスの二列目で、演舞は最後列の端っこ。
誰もぼくなんか見ていなかっただろうけれど、それでも楽しいと思った。
体育祭が終わってから、ぼくは勢いで放送テントに居た「一軍さん」に声をかけた。
夏だったから。
体育祭だったから。
応援団だったから。
***
その日帰宅すると、母が僕に言った。
「お疲れさん、あんた、応援団で出てた?」
「え?出てたで?」
「どこらへん?」
「一番右後ろの端」
「《そんな》とこにおったんか。三年やからてっきり前なんかと思ってたわ。」
清々しい気持ちだったぼくは一転、一瞬で胸がつまった。
「ごめん。。。」
「前もって言うてくれたらよかったのに~」
不器用な母は、珍しくぼくの気持ちを察したのか、慌てて声色を取り繕った。
「演舞で汚れた学ランをクリーニングに出してくるわ。」
自分がいたたまれなくなって、ぼくは家を飛び出した。
「クリーニング代あげるで」という母の言葉はわざと無視した。
ドロドロになった学ランを持って飛び出したぼくは半泣きだった。
涙がこぼれない様に見上げた空は、昼と夜の間で鮮やかな紫色だった。
確かにぼくは目立たない人間で、「四軍」だ。
一般的なキラキラほどあからさまじゃない。
でも、「四軍」だって関係ない。
どんなものであっても、それはぼくの青春だ。
空の青さはぼくが決める。
隅っこに埋もれて、母にすら見てもらえなかった演舞。
それだって、確かにぼくたちが疎んだ青春の形だった。