蝉 #月刊撚り糸
「やだ!ほんとやだ!もう、ほんとにやな季節になったね……」
「ん、蝉?」
飛んでくる黒い塊に驚いて僕の腕にしがみつく姿を見て、一年越しに彼女が蝉嫌いであることを思い出す。
「特に地面でひっくり返ってる蝉。生きてるか死んでるか分かんなくて怖いんだよ。びっくりしちゃう。」
「セミファイナルね。煙草買うだけだからついて来なくて良かったのに。」
「寂しいからやだよ。というかさ、セミファイナルって最初に名前つけた人センスあるよね。」
「別に5分もかかんないのに。ネーミングセンスに関しては……そうだね。」
「どうしてちょっと凹むの?」
おそらく、去年もしたであろう会話をしながら、心が、おろしたてのセーターを着たときのように、チクッとする。彼女が、自分が持っていないものを持っている誰かを褒めるのを聞くと少し自分を嫌いになる。
「やっぱり、俺はセンスとかユーモアとかそういうのさっぱりだからさぁ。」
「そっか。」
「うん。」
「あのさ、地面でひっくり返ってる蝉って、足が開いていたら生きていて、閉じていたら死んでるんだって。それを知ってから、随分とこの季節のお出かけが気楽になったんだよ。」
「あれ、それって俺が去年教えたんじゃなかったっけ?」
「そうだよ。だから、一昨年より去年、去年より今年、私はどんどん夏を少しずつ好きになれてる。あなたのおかげで。」
「そうだったんだ。どういたしまして。」
「ねえ、センスなんてどうでもいいよ。私の不安を和らげるためにその場ですぐに見分け方を調べてくれたじゃない。私からしたら、センスなんかよりそういうことの方が遥かに大事だよ。」
「ふふふ、ありがとう……あ…動かないで、肩に蝉止まってる。」
「いやあああああああ、取って取って取って、早く!」
「んふふ」
「…だましたな?うわぁ、ジョークのセンス無い!センスない!」
「どうせセンスなんかないですよ。」
精一杯嫌味ったらしい顔をする僕を見て、彼女は頬笑みを浮かべていた。来年もまた同じ話をするのだろう。
頂いたお金は美味しいカクテルに使います。美味しいカクテルを飲んで、また言葉を書きます。