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国別・移民に対する視点(『絶望を希望に変える経済学』読書メモ②)

どうも、キシバです。
今回は『絶望を希望に変える経済学』の読書メモ二回目。
第二章のテーマ、「移民」について。

と言っても、この章についてはそれほど強い印象は抱きませんでした。もちろん文章としては面白く、「そうなのか」という経済学的な知見は散りばめられていましたし、興味深く読み進めることはできましたが。

とはいえやはり、「移民」というテーマについての視点がアメリカと日本では大きく違うのだな、というのが一番の感想でした。

端的にまとめると、第二章の内容は以下のようになります。

・「低技能移民の流入は、同等技能の既存国民の賃金を下げない」
主な理由として、企業側は同等技能者であれば信用上ほぼ必然的に自国民を選ぶから。その結果低技能移民が就くのは既存国民がそもそもやろうとしない、常時空席の職業になる。競合は発生しない。
実際の事例として、突発的事件から十二万人がキューバを出て米マイアミに一挙移住した『マリエル難民事件』が紹介されている。マイアミの賃金はその前後で統計上、一切の影響を受けなかった。

・「高技能移民の流入は、低技能の既存国民の賃金を下げる」
前述の通り、同等技能者の場合企業は自国民を選ぶ。そのため、既存国民の低技能者が比較される対象は高技能の移民となる。ここには競合が発生するため、高技能移民の流入は既存国民にとって損になり得る。(ただし、国外の優秀な人材が入るため、企業は概ね得をする)

・「経済的理由で国を出る移民は非常に少ない」
移民が発生する最大の理由は紛争や災害など、やむにやまれぬ、移民となるか死ぬかというほどの状況ばかりである。「あの国に行けば経済的成功が見込める」という、いわゆるアメリカンドリームの為に移民を決行するのは全体の数%に過ぎない。

これらの他にも興味深い記述はありましたし、あるいは普遍的な――第一章の、「経済学者は政治家の次に信用されていない」というデータだとか、「一般人は経済学者よりも悲観的である(移民やAIに関する質問)」とか。後者はまさに『ファクトフルネス』のあの「恐怖本能」だなぁと思ったりもしました。

とはいえすべては挙げきれないので、とりあえずは移民について。そしてその上で。これ、日本人にとってはあまりピンと来ない話だな、と思いました。

何故って、日本で移民という話をする時に、「経済的なリスク」を考慮する事ってほとんど無いと思うんですよ。だって日本は人口減少で労働人口減少が危惧されていて、その為の特効薬候補が移民政策ですから。経済にはプラス、だけど他のデメリットが……という論であって。経済そのものにマイナスだとか、席を奪われるだとか(空席になるのが問題なのに!)そんな話はまず聞きません。

日本にとっての「移民の脅威」とは何か?
と言えば、やはり政治、文化、治安の不安でしょう。

政治なら? 例えばあるドイツの村では紛争難民が人口の過半数を占めてしまったそうで。そうなると民主主義に則って政治の舵取りを握るのは移民側になります。それはイヤだと。まぁわかりやすい理屈ですね。

文化なら? 日本文化が異国に塗り替えられてしまう――とか。「日本語の聞こえない地区」なんて話もあったでしょうか。

治安なら? アメリカは日本から見れば十分危険な国ですが、それでもメキシコからの移民に危険を感じるそうです。いわんや日本はベースの犯罪率が低いので、余計に、というヤツですね。

まぁこれらの大半は、率直に言えばあまり妥当性は高くはなく、「考えすぎ」もしくは「論理的でない」恐がり方だったりもします。本書で語られている中に「移民脅威論を聞かされ続けた、あるいは一度でも聞いた後に事実で訂正されても、誤ったデータの方に感情は固定されたままになる」という話があります。フェイクニュースは人心をわりと自由にコントロールできる、というトランプ大統領の選挙戦術的なアレですね。移民が怖い。先にその結論があって、理由や根拠なんて後付けで十分なわけです。

だからアメリカでは経済的理由が。日本ではそれ以外の理由が重視される。

興味深かったのは、「移民大国」であり、元を辿ればそもそも全国民が移民なんじゃないのかと千年来日本列島に住みついてる日本人からは感じられるのに、そんなアメリカでも「移民アレルギー」は存在するということ。

ムラ社会における外来者への危機意識というヤツは、どんな場所でも形成される物なのかもしれません。それこそ「恐怖本能」――原始時代、生き延びる為に脳が備えた鋭敏なリスク検知機構の為せる技、という所でしょうか。

では、また次回。

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