予見された贈与経済社会と「スーパーチャット」という概念の先行性
こんにちは、キシバです。
今回は経済学分野について。本格的な学術論文書けるような立場じゃないけれど、noteでぐらい誰かが触れておいていいテーマかなと思ったので。
以前から経済学分野において予見されていた贈与経済社会の到来と、「スーパーチャット」という概念の先行性についてです。
1.そもそも、贈与経済とは何か?
まず前提から。
『贈与経済』とは経済学や経営学分野で使われる用語で、「見返りを求めずに贈与することで回る経済」という意味があります。
従来のお金を支払ってモノを買う『貨幣経済』とは対義語的に扱われることも多いですが、実際には「貨幣経済の中で贈与経済が成り立つ」ということもあり得ます。
というか、その実例が現代の私達の身の周りには既にあふれています。
私達は普段、一体どれほど多くのサービスやコンテンツを無料で使い、触れることができているでしょうか?
そう、「無料であることが前提」のネット社会は既に半ば『贈与経済』的であったと言うことができます。最初は無料で提供して、そして従来は広告効果として、ユーザーからPVを稼いで収益は広告主から得ることが多かった。
しかしこれ以上に、今はさらなる『贈与経済』化が進んでいると思います。その実例の一つが「スーパーチャット」です。
2.「スーパーチャット」とは?
コロナ下でオンラインライブ配信に切り替えたアーティストさんが、一夜で『スパチャ一億』を集めたと話題になったことがありましたね。
このスーパーチャット、スパチャとはYoutubeのライブ配信向け機能名です。「コメント付きの投げ銭を投げられる」。ただの投げ銭ではなく金額で色が変わり、コメントが付けられるのが少し新しい。上限は五万円。
しかしそれ自体の機能が飛び抜けて新しかったというよりも、むしろそれを扱う文化、ユーザーの側が進化したと感じています。
これまで、「投げ銭」とはまさに大道芸人へ小銭を投げる行為の延長上であり、ぶっちゃけて言えば大した額が集まるイメージはありませんでした。
お小遣い程度であり、糊口は凌げるけれどそれ以上ではない。勿論、一部には例外的な方もいたのでしょうが。
しかし「スーパーチャット」は違います。
Youtubeという世界的プラットフォームを使うことで国際的にグローバルな資本流入が生まれる。『スパチャ一億』は流石に例外的なケースですが、それでも個人や一つのアーティスト団体が数千万円規模の利益を生み出せる、非常にスケールの大きなものです。
では、何故「スーパーチャット」はそれほど大きな文化に進化したのでしょうか?
3.贈与経済社会と「スーパーチャット」
『贈与経済』の本質とは何か。
これを「返報性の原理である」と一言で述べた記事がありました。
「贈与経済」について、勘違いされやすいこと『-reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)』
https://repon.hatenablog.jp/entry/20120426/p1
九年前の記事ですが、個人的にはこれはある意味でその通りなのではないかと思います。(やらなきゃならない、という『望郷太郎』の贈り物合戦みたいな展開になるかはともかく)
誰かに心からプレゼントを贈りたいと思うのはどんな時でしょうか。
祝福したい時。可哀想だと思った時。そして、感謝をした時です。
ではネット上の赤の他人に祝福や同情、そして感謝をするほど感情移入するのは何故か。それは、無料公開されたコンテンツで既に相手から多くのものを受け取り、相手を応援したいと思っているからであることが圧倒的に多い。
つまり『贈与経済』とは言うものの、その本質は「非貨幣的な交換経済」であると表現することができます。相手から既に支払われた労力や価値に対して、返報的に支払う行為。
それこそが予見されていた『贈与経済』の先駆けであり、「スーパーチャット」の時代の先行性ではないでしょうか。
4.「コト消費」の浸透とソーシャルゲーム文化
また、『贈与経済』化が日本や世界で進んできた前提として、「コト消費」の浸透があると思います。
「モノ」から「コト」へ。
最近よく耳にするフレーズですが、つまりは「物体」よりも「体験」を重視するようになったということです。
国際社会全体の進歩と生産されるモノや情報の発達によって、特に先進国ではモノをたくさん買いたい、という時代ではなくなりました。
自分のライフスタイルや価値観に合った、つまりは人生経験としてお金を使いたい。モノを買うのも、そのモノから得られる人生経験を買いたいという時代になってきたわけです。
そしてコト消費においては、決まった値札を付けるのがどんどん難しくなっていきます。モノは原材料や加工費で値段が決まりますが、コトは値段を決める基準があまりない。しかも個々人で評価基準が大きく変わります。
割れないお皿は誰にとっても便利だけれど、『世界最高の映画』が全人類で一致することはあり得ない。
そういうコト消費の世界になるに当たって、『贈与経済』は重要な役割を果たすようになってきました。
まず先に実現したのが『評価経済』でしょうか。
これはまさに「与えられた評価によって価値(値段)が変わる」というモノ。Youtuberさんは動画の再生数=評価で広告料の支払いが変わる、というのが黎明期でしたね。その通りだったと思います。
アフィリエイト収益は『評価経済』的。
そして『評価経済』によって「コイツは中々やるな」という段階から発展して、『贈与経済』が生まれました。
自分が評価した相手にはファンになっていきますから、既に評価ではなく彼ら彼女らから受け取ったものに恩返しをしたい、魅せられた相手を応援したい、自分にとってそれだけの価値があったと伝えたい、というような「返報性の原理」の段階に達しています。
そのためスーパーチャットは『贈与経済』的と言えます。
また、ソーシャルゲームの登場時には「ゲームソフトやカードゲームと違ってソシャゲは手元に何も残らない」なんて批判が多く見られましたが、既に過去のものですね。
これはコト消費が根付くまでの過程だったように思います。
旧来の「モノが大事、モノがないなら無駄」という価値観から、「自分がそれにお金を使いたいし、それで人生が楽しくなると思ったなら、好きに使っていいじゃん!」という価値観への転換期だったと。
これの後だったからこそ、スーパーチャットという『贈与経済』的な「応援したい相手への気持ち」を軸とした文化も成立したのだろうと思います。
推しキャラを引くために課金するガチャ。
推しを応援するために投げるスパチャ。
どちらも根はとても近いと言えるでしょうね。
クオリティ=評価を入り口として、それ以降は好意によって非貨幣的な交換を行う贈与経済社会。
その先駆けとしてのスーパーチャット市場の事例は、とても経済学的にも様々な視点でも興味深いものだなと思っています。
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