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西尾維新とは『誰』なのか? ー作家と主人公の相似性ー

どうも、キシバです。

お疲れ様でした、と同時に「何だったのだろうこれは」というのが、西尾維新著『伝説シリーズ』の最終巻『悲終伝』を読破した後の感想でした。

あとがき曰く、実に三百万字。いや逆になろうなんかだと何千万字単位の作品も少なくないので意外と少ないなと思ったりもしましたが、ともあれ大長編です。一巻が普通の小説三、四冊分くらいあります。いわゆる鈍器系小説でしょうか。川上稔氏の専売特許ではないというか、戯言シリーズの厚みを自ら超克した感じです。

で、この物語ーーかなり異例です。
異例というか異形。西尾維新という異端の天才、2017年には日本一売れた小説家ともなった頂点作家の一人にしても、奇抜さでは群を抜いています。

何がと言えば、まぁ敵が地球だったり登場人物が揃いも揃って狂人じみたのばっかりだったり、文章が異様に冗長だったりもありますが、一番は主人公でしょう。空々空(そらからくう)。何事にも感動しない少年。

あの京都の二十歳としてデビューしたばかりのキレキレの西尾維新でさえ、戯言シリーズの主人公、いーちゃんにさえさせなかった仲間殺しを続々とさせ、罪のない人が手にかかりまくるのが特徴です。一番たくさん死にましたし、最終巻ではーー一番たくさん生き返り、ぶっ壊しました。あんなオチの物語は、例えSFでも見た事はありません。離れ技というか、荒業もいい所です。

しかしそれらはともあれ、一番気になったのはどうやら稀代の天才、西尾維新氏は「この物語が書きたかったらしい」という点でした。そこはあとがきで何度も語られていて、どうやら氏は十三歳の少年、異端の空々空の血塗られた青春期をどうしても書き尽くしたかったそうです。そしてそれは、達成されたようでした。

読者の視点から見ればーー読めば、しかしかなりの迷走劇でした。ともすればわけのわからない、意味不明な物語を紡いでしまった言い訳なんじゃないかと思ってしまうほどに。なんせ地球から冥王星まで全部の太陽系惑星とそれに連なる連中がそれ自体としてキャラ化して出てきますし、それが死にますし、地球と人類は殺し合い続けてますしーーわけがわからない。

その『わけがわからなさ』が面白くて、西尾維新調の語り口をさらに限界まで冗長にしたような飛び抜けた描写の回りくどさに惹かれて最後まで読んでしまった身としては文句を言うのもお門違いなのですが。しかし買って、読んで後悔はしなかったけれども、書いて後悔はしなかったのだろうか。という勝手な心配を抱いてしまうほどに、これは無茶苦茶な物語で。

けれどそんな事は一切ないらしくーーだから、一見支離滅裂で何の一貫性もないかのように見えるこの話には、どうやら知られざる一貫性が、それもあの西尾維新がどうしても書きたかったほどの価値が隠されているらしいぞ、というのが興味を持ったポイントでした。

だとすればそれはきっと、主人公だろうと。

西尾維新という天才にはまさしく天才という罵倒が似合います。作中の左右左危(ひだりうさぎ)博士がそう呼ばれるのを嫌ったように、「お前がそんな多大な成果を挙げるに相応しいほどの努力をしているはずがない、むしろそこまでの成果に見合う努力など存在するはずがない」という、天才という忌まわしき称号を与えられてしまうほどに。デビュー以来、快進撃を続けに続け続けている西尾維新は誰よりも天才らしい天才です。

そしてだからこそ、人間関係だとか幼少期とか、そういう何かが順風満帆だったわけではないのだろうという推測も、邪推も、容易に成り立ちます。人格形成の困難。苦痛が、あったのだろうと。それは氏の作品を読んだ読者の多くが自然に感じることでしょう。あまりに歪み、奇抜で、常識に囚われなさすぎるキャラクター達の演じる異端の展開は、「幸福な凡人」に描ける世界とは到底思えません。
もっとも星新一御大などは「常識がなければ常識破りなことは描けない」という、身も蓋もない考え方の常識人だったそうですが。それはそれでしょう、たぶん。

そしてやはり。作者の人格を知る一番の近道は、主人公を考える事ではないかと思います。もちろんそうとは限らないですが、自分で物語を書く際に、少なくとも主人公に自分自身の要素がまったく入らないなんてことは一度もありませんでした。できませんでした、それは。

だから、と言うほど自分の経験を普遍化して考えられるとは思わないものの、膨大な著作のある西尾氏であれば法則性、規則性を見出せるのではないか、と考えての表題でしたーー。長い前置きでしたね。

では、西尾維新作品の歴代主人公。
もっとも私も寡聞にして氏の著作を全作読めているわけではないので、一部のより抜きにはなりますが。

・いーちゃん『戯言シリーズ』
・阿良々木暦『物語シリーズ』
・鑢七花『刀語』
・僕『少女不十分』
・僕『症年症女』
・空々空『伝説シリーズ』
・黒神めだか『めだかボックス』
・哀川潤『人類最強シリーズ』

パッ思いつくのはこんな所でしょうか。まぁ一部も一部と言ったところで、そもそも視点主が巻やシーンごとに変わることも珍しくないので誰が主人公というのも明確ではないものの。おおよそこんな感じでしょう。

誰よりも弱い少年、いーちゃん。半吸血鬼の高校生、阿良々木暦。刀の青年、七花。異常な病気に憧れた少年、『僕』。両親の死にも感動しない少年、空々空。化け物女、黒神めだか。

まず一見して言える共通項は、このどれもが「人間らしくない主人公が、人間性を手に入れていく物語である」ということです。人格的に人間らしくない主人公もいれば、能力的に人間らしくない主人公もいますが。ごく普通の人間だけは一人もいません。いるとすれば黒神めだかと対を成す、怪物に非凡な努力で追いつこうとした元凡人、人吉善吉だけ。

それもアンチテーゼとしての存在であることを考えれば、およそ一度として「人間らしくなさ」がテーマとなっていない物語はありませんでした。愚直なほどに、それは一貫したテーマと言えるでしょう。

『少女不十分』には「これを書くのに十年かかった」という作中のギミックと組み合わせた嘘か誠かわからないキャッチコピーがあり、作家志望の大学生である『僕』はいかにも西尾維新自身であるかのような導入で描かれています。何者にもなれず、人と関われず、そして異端の「人間らしくない」少女と出逢い、最後には彼女が「人間らしかった」ことを知って、「でも、なにも、幸せになっちゃいけないってほどじゃないんだぜ」と人間らしくない連中が、それでも生きる物語を語り聞かせる、という自作の過去作に触れるメタ構造になっています。

阿良々木暦は、逆方向に飛び抜けているほどに真っ当な少年で、普通にモテモテで、そして全部を救ってしまうような明確なヒーローです。作中では「勝手に救われるだけ」と忍野メメと共に謳いますが、しかし他作の主人公達に較べれば圧倒的なまでに阿良々木暦は王道のヒーローらしいヒーローでしょう。ついでにハーレム。

そんな彼は、むしろ「人間らしくない」少女達を救ってみせる立場にあります。西尾維新氏は女性キャラの方が個性を出しやすくて書きやすい、と語ったこともありますが、だとすればこれは女性キャラの方にむしろ自己を投影して、その相手としてのヒーロー役に阿良々木暦が抜擢されたのかも、なんて推測をしたくもなります。邪推。

いーちゃんと空々空は、そんな中で最もわかりやすい主人公とも言えるでしょう。天才らしい主人公像、人物造形。あらゆる弱さを抱えている為に誰からも共感され、拒絶される大学生、いーちゃん。何にも感動せず共感せず、心を持たないが故に英雄に祭り上げられた味方殺しの少年、空々空。

どちらも、イメージされる象徴的な西尾維新像でもあり、人間性を犠牲にして天才となったかのような『それらしさ』があります。

そしてーーこのどちらも、物語の終盤では「人間らしく」なる。

詳細は小説本編をお読み下さいというところですが、やはり明確かつ一貫したテーマとして、「人間らしくない主人公が人間らしくなることへの憧れ」はあるように思います。空々空が得た人間らしさはわずかなもので、世界は無茶苦茶でしたが、しかしどうやら望んだ凡人、『普通』にはなれたようでした。戯言シリーズなどは主人公もヒロインも、完全に人間らしくなって物語は集結し、彼らの平凡な人生につづく、という結末でした。ハッピーエンド。それが理想なのだと思います。

ただし、西尾維新氏に対して推測できるのは、「憧れだから実現できていないのだろう」という訳ではありません。むしろ経験済みだから描きやすい、というパターンもあります。

実際氏は講談社の集まりなんかでも旅行に参加して卓球をしたりと社交的な一面があるようですし、これだけの成功を収め続けながら、例えば「自分には何もない」とは思えないでしょう。何もない大学生のいーちゃんが、心ない英雄の空々空に変わったように。

だから私の推測としては、「西尾維新は人格形成の段階で『自分は人間らしくない』というコンプレックスを強く抱き、しかし『人間らしくなる』ことに憧れた経験を持つ、あるいは既に人間らしくなることに成功した人物である」というのが結論になります。

紛れもない邪推ではありますが、それなりの説得力だけはあるような。『少女不十分』のラストで作家になった僕だとか、化け物まみれの高校時代を乗り越えてどこにでもいる大学生になった阿良々木暦だとかを見ると、そう思います。実感が籠っている、と。

まぁこんな推測が、冗談のような推理が当たっていても外れていてもなんにもならない訳ですが、しかし天才に憧れる身分としては(一つ前の記事で語りましたが)それなりに意味のあることです。

二十歳でデビューし、今は四十近い天才作家の生涯と価値観というものはーーそこから生まれる主人公というものが。物語が、どんな形をしているのか。

『考えてみる』価値はあったなと、そんな風に思う次第です。

戯言でーーいえ、何でも。

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