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父親の転院先

主人は転院先でもしばらくは個室に入る事になった。
でもこれは『病院側の都合』という事で、個室料金は支払わなくて良いと言ってもらえた。

落ち着かず、相変わらず不機嫌だけど、いつか「無動無言状態」がやって来る。
そうなるのはつらいけど、その方が本人もまわりも楽なのかな、と思ってみたり。

結局主人はこの病院で最後まで過ごす事になる。
そして、この決断に後悔する事は無く、ただ感謝があるだけだ。


主人が転院先に落ち着いた数日後、実家近くの急性期病院に入院していた父親に転院の話が出ていた。
肺癌の末期で、特に治療する事も無くなったので、退院するか、療養型に転院するかして欲しいと言われたらしい。
母親の願いは今いる病院で最後まで診て欲しいというものだったが、そこは受け入れてはもらえなかった。

母親から、父親の転院先の相談を受けた。
やはり母親も療養型病院のリストをもらっていて、見せてもらった。
少し前に、どこかで見た事のあるリスト。
少し離れているとはいえ、実家とは同じ市内。同じような病院が並んでも不思議は無い。

違うのは、主人はこのリストに載っているような病院には入れなかった事。
末期癌の父親には、普通に開けている道が、主人には無かったという事。
100万分の1の難病を患うというのは、こういう事でもあるのだと、まじまじと思い知らされた。

母親はといえば、私の葛藤など知る由も無く、
「◯◯病院は不便」だの、「××病院は評判が悪い」だの、文句をつけるのに忙しい。

それでもいろいろ事情を擦り合わせて、条件が合う所に母親と二人で面談に行った。
そこそこの規模の、普通に綺麗な病院だった。
やはり看護師長さんが面談してくれた。

母親は、まだ「売店が無いのが不便」だの、「送迎バスの乗り場が分かりにくい」だの言ってたけど、私から見たら何の不満があるんだろうという感じだった。

一通り文句を言ったら気が済んだのか、母親もそこの病院に転院する事に納得したようだった。
父親の今いる病院に連絡して、転院先が決まった事を告げると、翌日、
「10日後に転院していただく事に決まりました。」と言われた。


「あ、10日後でええんや」
最初に浮かんだ感情。
やりきれない、腹立たしい、でもそれ以上に、切なくて、悲しい。

主人が入院してた急性期病院から追い立てられるように転院してから、たった3日後の事だった。


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