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「もうええわ」の嵐
デイとショートを出来るだけ詰め込んだケアプランを作ってもらって、しばらくこの感じで行けないかなと願いはあったけど、主人の状況はまた厳しい方に向かって行った。
あんなに好きだったお酒は、少し前に卒業していた。
かわりに甘いものをよく食べるようになり(認知症患者は甘味を好む傾向があるらしい)スプーンも使える時と、手づかみで食べ始める時とある。
コミニュケーションもどんどんとれにくくなって、ひとりでずっとぶつぶつ言っている。
この時よく口にしてたのが、
「あかんやん」「アホや」「ぺっぺー」それから「もうええわ」
反抗的で、子供じみたおじいちゃんになっていた。
時には大声を出して窓を叩いて騒ぐので、お向かいの人に見られないか心配だった。
足も随分弱って来てて、家の中で時折尻もちをついていた。
主人が自分で移動出来なくなったらどうしよう、という不安が芽生え始めた。
そんな時に、かかりつけ医の予約診療の日がやって来た。
ずっと飲み続けている血圧の薬とかをもらうのだけど、
「どこまで必要なんだろう」と思いつつ、それでも送迎サービスがあったので、利用させてもらった。
主人より年上だろうドライバーのおじさんが、主人を車に乗せるのを手伝ってくれた。
診療所のかかりつけ医は、主人の様子を見たあと、
「神経内科に通っている病院に頼んで、
療養型の病院探してもらった方がええんちゃうかなぁ?
大きい病院やったら、相談したら探してもらえるで」と言った。
次の神経内科の外来の予約まで20日ほどあって、その時に主治医に頼んでみようかどうか、この頃は毎日その事ばかり考えていた。
子供らとも相談して、もうそういうターンに入って来たのかなぁという話にもなった。
また、ややこしい事は続くもので、主人の神経内科の診察のほんの数日前に、実家の母親が家の階段から落ちて肋骨2本を骨折し、父親の具合が再び悪くなって入院になった。
この時は隣の市に住む母親の妹である叔母が手伝いに来てくれて何とかなった。
父親は入院した後安定してくれたし、母親はと言えば、肋骨の骨折というのは治るのを待つしか方法はないらしく、とりあえず家で安静にしてれば良しとなった。
いよいよ何とかしないと手が回らなくなって行く感じがひしひしとして来た。