季節、パリっ娘に嫌われる!?
さて、フランスに来て3ヶ月目に入った。私は先月同様、パリにセミネールのために来ていた。月に一回とはいえ、フランス語マスターレベルがかなり低い私にとっては生優しいものではない。
「ついていくのにやっと」というよりは、「ストーリーを追うのにやっと」と言った感じ。それも映画だったら2時間で終わるが、現実は終わらない。寝ても覚めてもフランス語。
そのようなレベルにおいては
全部をわかろうとしない、わかったところでどれだけわかってるかなんてわからないんだから!
という同じ言葉を何度も繰り返してうやむやにするくらいのスタンスが肝心だ。そもそも哲学と精神医学の両方を日本語で学ぶのでも簡単ではない。だから全部理解しようという姿勢自体が、おこがましいのだ。とそう自分に言い聞かせる。
そんな状況でも、パリ滞在での救いはある。それはパリでの居候先の主人フランクだ。フランクは私がとっている授業の担当教員の一人でもあって精神科医。パリの中心地に家族で住んでいて私の研究領域でずっと仕事をしていた人だ。そんな人の家に滞在できるのはかなりラッキーだった。彼はその名の通り相当に「フランク」でお調子者、しかし授業中の切れ味は抜群なので信頼できる。次回来るときは日本食を一緒に作ろうと誘ってくれた。
しかし、だ。一つ問題が発生している。いや、問題というほどで問題ではない、本当に小さな小さなこと、しかし「小骨が喉に刺さったような」というと大袈裟すぎるくらい、だからたまたま入った定食屋で割り箸のソゲが刺さってこねくり回していたら、指が血色良くなっちゃって取れたか取れてないかわからないときのような、そんな些細な問題がある。
それはフランクの娘、クラリスに嫌われていることだ。いや、嫌われているというよりは無視されている?いや、いないことになっている?
ん?避けられている。まぁとにかく、よく思われていないことが伝わる、という感じだ。クラリスは、年齢はわからないが見た目はフランクの娘にしては幼く見える。まだティーンかもしれない。想像するに、きっとたどたどしいフランス語しか話せない私は彼女にとってエイリアンのような存在なのだろう。クラリスのその真意は推し量ることはできないが、特に理由はないのだろう。ティーンでなくても、やたら人に嫌われてしまうのは、これまで身に覚えのないことではない。
とにかく、よく映画や漫画で
「おじさま〜」
とかいって娘みたいな年齢の女の子にむやみに好かれるという、作り手のファンタジーを具現化してしまったような創作物がある。それはあくまで創作物のなかの話だったようだ。
異性同士ではなくても
映画『君の名前で僕を呼んで』がその好例であるように思われる。
「ぼくはエリオとオリヴァーとはえらい違いやないかぁ・・・」
とか思いつつ、まぁ無垢なティーンをたぶらかすのはムキムキマッチョなアングロサクソン(=アーミーハマー)にお任せしようと、嫌われたことをきっかけに紆余曲折考えた後、もともとは考えてもいない考えを改めることを決意する私なのであった。
しかしこうしてフランスで生活していると、旅行以外で海外に来ることのなかった私にとって「西洋人」のなかで「アジアン」として生きることは、なかなか大変だなと感じる。渡仏前は、お気楽にもなんならずっとフランスがいいなと思ったが、今はまぁご縁があれば・・・という程度になった。
なぜ「アジアン」と書いたかと言うと「海外に住んでいると否応なしに自分のナショナリティを自覚する」というようなことをよく目にするが、正確には毎日私は「アジアン」なことを自覚させられる。私たちのほとんどにとってノルウェー人かスウェーデン人か、フランス人かドイツ人か、カメルーン人かブルキナファソ人か見分けがつかないのと一緒で、彼らにとって中国人か韓国人か日本人かは見分けがつくわけがないし、当事者以外にとっては大したことではない。
少し「大したこと」に感じるのは、それに加えてこの地球で圧倒的な既得権益を握って「しまっている」、いわゆる白人の方々の優位性をまざまざと見せつけられることだ。住むとすぐにわかるが、(私がみた)フランスにはいろんな人種や肌の色を見かけるが、職業と人種がほとんど対応している。私が交流するようなところで、私のようなアジアンはまだ出会っていない。アフリカ系の肌をもった人にも出会っていない。日本では「性別」が強く職業と結びついているのを感じるが、こちらは「人種」との結びつきの方が強い印象だ。もちろん言うまでもなく性別によるものもあるのだろうから、マイノリティの女性の生きてるだけでサヴァイヴァルさたるや・・・
イアン・マッケイがguilty of being whiteを歌ったのは、もう随分前だけど、このあたりは何重にも折り重なったミルフィーユのようなものがあるだろうからここでは何も書けないけど、とにかくフランスで一人のアジアンとして生きている。頭では「わかって」いたが、日本ではこんなふうに身に沁みることはなかった。こうしてフランスに来て初めて、毎日のように「突きつけられる」のが「マイノリティである」ことなんだな、とほんの少しだけ実感できる日々なのです。