残業する土地ブローカー
仕事を続けながら赤穂での物件探しを続けていた。たまたま入ってたまたま担当になってくれた不動産屋のアンちゃん(仮名)はおしゃべりな20代だった。小柄で少し軽薄そうだけどバリバリ働いているようでピンからキリまでたくさん物件を案内してくれた。
虫がものすごい巣を作っている山奥の小さなお家や海辺に立つ塩で焼けに焼けた家屋など、案内される物件はどこも古く薄暗い物件が多かった。
京都のように賃貸の物件は豊富ではなく、その他にはあるにはあっても「家族四人で暮らせます」みたいなファミリー向けの物件がほとんどだった。
しかし私たちとしては、せっかくせせこましい街から瀬戸内海に来たのだから風通しがよく日当たりもいい心地いいところに住みたかった。
そうしなければ転地療養にはならない。だからたくさんの物件を一緒に見て回った。
それでも退職の日は近づき、妻の精神状況の限界も近かったからのんびり探している余裕もない。それに探しにくる度に片道3時間ほど高速道路を走る必要がありお金も時間もかかってしまう。
なんとかアンちゃんのおかげで今の物件に出会うことができて非常にありがたかった。
思い返せば長い間「ホーム」レスな私たちは不動産屋にお世話になっている回数は非常に多い。京都では「いきつけ」の不動産屋ができるほどになっていた。京都の「行きつけ」の不動産屋職員の川崎さん(仮名)は私たちの好みや困りごとを熟知していて、難しい注文を特にいぶかしがることなくむしろ楽しんで対応してくれた。
知らない街を不動産屋とはいえ、現地の人に車で案内してもらえるというのは悪くない。
「ぼく、このお好み焼き屋で高校のころバイトしてたんですよー」
とか
「犬の散歩させてるんですけど、かわいいですよ〜」
とか
「このラーメン屋はゲ○の味がします、僕は好きですけど〜」
とか
アンちゃんは、こっちが聞きもしない情報までなんでも教えてくれた。それもまたよし。
(最後の情報は正直ちょっと恨んでいる)
アンちゃんの話から察するに赤穂と相生は隣の街だが、なんとなくライバル同士らしかった。
あとでわかったが赤穂は城下町でプライドが高い街らしい。逆に相生は造船の街だったから九州など移住してきた労働者が多く、さらに政治的には割と保守層の支持基盤も厚く新幹線の駅まである。そんなライバル関係を象徴するような
「相生、なんもないですよ」
というアンちゃんの一言は、今もたまに思い出す。
また彼は「赤穂は目の前が海、後ろに山で閉じ込められているように感じたこともあった」と話してくれた。
それは私たちからするとすごく意外だった。京都は山に取り囲まれた盆地で海もない。
そんな京都で息が詰まる思いをしていた私たちは赤穂の海の穏やかな風に癒されていたが、逆にそこで生まれ育った人のなかには、そんな風に感じるんだ、と少し考えさせられた。
彼は一度赤穂を離れ、結局また戻ってきたらしい。
一度離れて戻ってみると、やっぱり赤穂は暮らしやすいと話していた。
それぞれにあったところで、それぞれの暮らしやすい暮らしができたらどんなに素敵なことだろうかと思う。
次回は今の家を見つけた時の話を書こうと思う。
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