【小説】耳を傾ける 第3話
※一話完結ですので、お気軽にご覧ください。
聞く耳を持たない人と暮らし続けた人は、どうなってしまうと思いますか?
雪深い地方都市にある喫茶店『中継点CAFE』に、話を聞くことが得意な人がいるらしい。みんな自分が悪いんだと泣いてる人や誰も私を分かってくれないと怒り狂っている人を見つけたら、『中継点CAFE』を知る人たちは通りすがりに言います。「百坂さんのところに行ってみたら?」ーー。
今日は百坂さんに来客がある予定である。
「なんで成田さんがうきうきしてるんですか?」
と、テーブルを拭いていた甲斐くんが、鼻歌まじりに床を掃除する成田さんに訊ねた。甲斐くんはアルバイトで入ってきて数ヵ月しか経っていないので、まだ分からないところが多いのだ。
「だって、高坂さんってイケメンなんだもん」
と、成田さんは答えた。
「あー、百坂さん。まだ椅子、降ろさないでください。そっちまだ掃いてないですから」
甲斐くんに注意され、百坂さんはあたふたと椅子をテーブルの上に戻した。その百坂さんの様子を見て、成田さんは笑った。
「やーっぱ緊張してるの? 高坂さん、厳しい人? 怖い感じ?」
「いいえ、そんな」
百坂さんは訂正した。
「そんな、仕事ぶりを審査されるわけではないんです。その、様子を見に来るだけです」
「あー、無理してないかとかね」
「無理って、百坂さん、開店前と閉店後以外、ずっと座ってるだけじゃないですか」
と言う甲斐くんに成田さんは「こらっ」と叱った。
「百坂さんはね、お客さんの話を聞いてるのが仕事なの。たくさんの人が楽になって帰って行くでしょ」
「でも、それって給料が出る訳じゃないんでしょ? カウンセラーでもないんですよね? 雇用形態なぞ過ぎるんですけど。開店準備と閉店後の片づけや仕込みの給料だけで生活出来てるんですか? もしかして、百坂さんって店長の隠し子とかですか?」
「いー加減にせいっ」
成田さんは床を磨いていたモップで甲斐くんの足元を掃いて牽制した。
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調理場も少し色めき立っていた。
ホール担当の工藤さんはテーブルに備え付けるポットに角砂糖を補充しながら、調理担当の山田さんと雑談がてら、高坂さんなる人物の話をしていた。
「電子タバコっていいわよね、臭くなくて」
「ああ、吸う人なんですか? 高坂さん」
調理担当の夏坂さんは棚から新しいタバスコの箱を下ろして瓶を取り出していた。
それを見ていた山田さんはニヤッとした。
「今日もピザですかね」
「おそらくね」
と夏坂さんは続けた。
「毎度毎度、一番高いの注文してくれんだよね」
「今日もやるんですか?」
「今日もって?」
と、工藤さんが訪ねると山田さんが答えた。
「うちって、タバスコはピザやミートソースを注文したお客さんだけに出すじゃないですか、テーブルに置かないで。それで、夏坂さん、高坂さんに出したタバスコの減りがえげつないってことを発見したらしいんです」
「もし瓶が満タンだったら半分は減ってますよ」
「嘘」
「だから、確認のために、満タンの瓶を出すんです」
と、夏坂さんはタバスコの箱を畳んで捨てた。
「でも、ランチタイムで結局、他のお客さんの食器と混ざってわかんなくなってるんですよ。ホントは確かめたいんじゃなくて、そうやって企んでうきうきしたいだけなんですよ」
そう言って山田さんは工藤さんとくすくす笑い合った。
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いつも通りの時間に、高坂さんは来た。いつも通りの喫煙席に百坂さんと向かい合って座り、ピザを注文した。
最初のうちは店主の辺見さんも同席した。高坂さんは電子タバコを灰皿に置いて辺見さんに訊ねた。
「最近はどうですか?」
「おかげさまで、百坂さん、真面目に働いてくれています。耳を傾ける仕事にも、お給料をお渡ししたいくらいです」
「いえ、いりません。私、プロのカウンセラーってわけじゃないし」
そう言って百坂さんは首を振った。
「それなら大学入り直して国家試験受けてみたら、って言っても、『いえ』だよね?」
「お待たせしました。エビピザと紅茶です」
と、成田さんがやって来た。高坂さんは成田さんにも、百坂さんとの仕事について訊ねた。
「いかがですか? 百坂さんと働いて」
「助かってますよ。この前も、いろいろ、私たち従業員もお世話になりましたし」
「ホントですか?」
テーブルに料理を置き、成田さんが去ると、「じゃあ」と辺見さんも仕事へ戻った。
高坂さんは電子タバコを一度、くわえてから百坂さんに向き直った。
「調子はどうですか?」
「元気です。とても良いところにいさせてもらえています」
「ま、もう三年目か? さすがに、変な客も迷い込んで来てないでしょう?」
「まあ、最初よりは」
「あ、ごめんなさい。思い出しそう?」
「いえ、大丈夫です」
百坂さんは深呼吸をした。
高坂さんは食事を始めた。高坂さんが中継点CAFEに長居する理由は、百坂さんの話に耳を傾けるためである。だから、百坂さんが話し出すまで、ゆったりと待つ必要がある。
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「ジョブコーチって何ですか?」
という甲斐くんの質問に辺見さんは答えた。
「百坂さんのお仕事について相談にのってくれる仕事ですよ。百坂さんだけでなく私たちが百坂さんと一緒に働く上での相談にも。百坂さんや私たちが働きやすいようにね」
「それは、ソーシャルワーカーとは違うんですか?」
「うん。ジョブコーチは仕事についてが専門。ソーシャルワーカーだと、もっと広く相談にのるかな。生活や家族関係とか。社会福祉士とか精神保健福祉士とか、相談員とか、もっと細かく分かれてるらしいですけどね」
「あ、クラスの子でそんなの目指してる子いたかも。福祉関係」
「高坂さん、他にも資格持ってたかもなぁ。甲斐くんは興味があるんですか? 聞いてみたら?」
「いや、興味って言うと、百坂さんの方っすね。百坂さん、どこで耳を傾けることを覚えたんですか? 勉強してたわけではないんですよね?」
「はい」
辺見さんは続けた。
「耳を傾けることを覚えるにはね、カウンセリングを勉強するだけじゃなくて、自分の話に耳を傾けてもらうことを何度もしてもらうことも良いらしいんですよ」
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百坂さんは次々と溢れ出して来る記憶と戦っていた。
つらかったり苦しかった出来事や気持ちを、上手に下ろしていこうと、深呼吸を繰り返した。
いざ、高坂さんに耳を傾けてもらおうと口を開くと、嗚咽が漏れた。背筋に悪寒がして、冷汗が出て、座っているソファーに倒れそうになった。
ここで働かせてもらい始めたばかりの時は本当に大変だった。
私に話を聞かせようとして来たお客さんの中には、私がプロのカウンセラーではないと知ると、しつこく質問をした。仕事の内容、雇用形態、どうやって暮らしているのか、とか。馬鹿正直に答えていると、「ずるい」とか「税金泥棒」とか「楽して生きてるくせに」とか、急に罵った。
次からはじっと黙っていたら、「感じが悪い」「態度か悪い」「礼儀が成っていない」と鼻を鳴らしながら説教する人がいた。
当時は開店したてで、従業員が辺見さんしかいなかったので、本当に迷惑をかけた。
お客さん達の、余裕のない、悲鳴のような罵詈雑言で耳が痛くなった。
私の父は、きつい言い方をする人だった。放つ言葉が、私的な場ではデリカシーが無いものになってしまう。そして、他人の話を聞くより、他人に話すことが得意という自負を持っていた。会社の朝礼で社員に挨拶を話すような立場の人だった。
ある日、「頭を冷やせ」と父に言われた。とても痛い言葉だった。父は、私だけがおかしいのだと思っているのだ。私の話を何も聞いていないのだ。私の話は聞く意味もないものなのだ。そう打ちのめされた。
すると、昔、いろんな人が私に言ったことが頭の中にたくさん聴こえて来た。
みんな、私が悪いのだ。私が、みんなが耳を傾けようとしてくれることを言えないから。
『お前の方がおかしい』
みんながそう言った。私も、そうだな、と思った。
すると、『私』も、その『みんな』と一緒に喋り始めた。
私がおかしい、私がおかしい。おかしい私のために、みんながあれこれ喋ってくれているのに、応えられないばかりか、感謝が足りないのだと。
『私』が、悲鳴のような声で私に叫んだ。
『どの面下げて皆の前に出てきてんだよ!!』
耳から血が出そうなくらい痛かった。
鼻をすすり、涙を拭いながら、百坂さんはやっと話し出した。高坂さんは耳を傾けた。
「私は運がとても良いと思います。たくさん、いい縁があって、ここで働けています。もちろん、いろんなものにお世話りなりながら。だから、後ろめたいです。まだまだ新しい福祉サービスで、他のところだと、受けられる支援にバラつきがあるって聞いたことあるから」
「うん」
高坂さんは電子タバコを口から外した。
「でも、それまできついことたくさんあった。あれが普通だとも思いなくないし、思えないです。だから、なんか、気持ちがぐらぐらすることがあります」
「うん」
「運がいいと、もっと何かしないと、いけないのでしょうか?」
高坂さんは息をついて、百坂さんを見据えた。
「生きていけるかどうかが運の良し悪しで左右されたら堪らないですよ。運に関わらず良いところで生きていけるようにするのが私らの仕事ですから。いずれ、百坂さんの後ろめたい気持ちもほぐせるよう、精進します」
そう高坂さんは断言した。
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「高坂さんは、何でジョブコーチの仕事をしようと思ったんですか?」
と、高坂さんはを見送りがてら甲斐くんが訊ねた。
「まず、肉体的精神的に出来るから、今のところ。あと、センスがあるから」
「センス?」と甲斐くんが吹き出すと、高坂さんは補足した。
「センスってのは、ただの感覚。私も耳を傾ける感覚を他人から覚えたんです」
そう言って高坂さんは帰って行った。
「なーんかなぁ」
と、甲斐くんが呟いた。
「学校だとひたすら真面目に礼儀正しく、言われたとーりに働けみたいな空気なんで、いろんな働き方があると思うと、ほえーって感じで、どうしようかなぁーって感じになりました」
そうですねぇ、と百坂さんは相槌を打った。
店内の戻ろうと、ドアを開けたら紅茶の香りがした。暖かい落ち着く匂い。悲鳴のような苦し気な声が少し遠く聞こえる場所。このようなところにいるために働く。
私にとっては、とても充実した動機なのだ、と百坂さんは気持ち良さそうに深呼吸した。
了