【掌編小説】ある街の日常
~現在~
千葉県のとある住宅街で起こった、事実に基づいた話である。
ファンタジーな要素はないし、はっと驚かせるようなどんでん返しもない。
ただ日常の底流に流れる恐ろしさを実感しただけである。
今日のとある出来事をきっかけに、ある老人の死までの3日間を思い出したので書き記している。
~前段~
私には気になる家がある。
それは出勤するために駅に向かう道の途中にある一軒家だ。
家の大きさや駐車場に停まる二台の車を見るに割と裕福な家庭ではないかと想像する。
その家の道路に面した位置にあるリビングが妙に気になるのである。
いや、正確にはダイニングテーブルに座る老人男性が気になるのだ。
それと言うのも、住宅街の隘路だとはいえ、塀のような目隠しがなく、幼児の背丈ほどのローズマリーが申し訳程度に生えているばかりで、部屋の中が丸見えなのである。
また、普通ならカーテンを備え付けそうなものだが、隙間の多い縦向きのブラインドがあるだけでおよそプライバシーを守ろうという意識が感じられない。
しかも、テーブルが窓に対して正対しており、椅子は座ると窓を正面に見据える位置に一つしかない。
つまり、老人はいつも窓の外に視線が向く位置座っている。
数ヶ月前のある日、通りがかりに何の気もなくその家の方を見ると、窓際に立ってローズマリーの生えている辺りを眺めていた老人と目が合った。
険しい表情をしているわけでは無いが、視線だけはやけに鋭く感じられた。
それ以来、私はその家の前を通る時にリビングの様子を確認してしまうのだ。
食事をしてることもあれば、ただ座っているだけのこともある。
家の広さ、加えて車も二台あるので一人暮らしという感じではないと思うのだが、老人以外の姿を見たことは一度もない。
特別おかしなところがあるわけではないが、なんだか奇妙な感じがする。
そんな正体不明の違和感から、私の視線は自然と老人がいるリビングに向いてしまうのであった。
~死亡2日前~
今朝、窓際に立っていた老人と目があった。
念仏のような、聞き取れない何事かを怒鳴りつけるように言っているので、私は慌てた。
部屋を覗いていることを咎められたのかと思ったのだ。
だが、少ししてそれは私の杞憂だと気付いた。
老人の目は私を追っていないのだ。
私に向けられているかと思った視線はローズマリーが植えてある辺りに向かっていた。
だいぶ距離を取ってから、振り返ってみたが老人はやはり何事かを怒鳴り続けていた。
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仕事が長引き、22時ごろの帰宅になってしまった。
いつもとは違い、リビングの灯りがついていた。
普段ならば20時前後に通ると大概灯りは消えており、21時以降にも灯りがついていることは覚えている限り初めてだった。
老人はダイニングテーブルの席に座ったまま俯いていた。
~死亡1日前~
今日も老人は座ったまま俯いていた。
どことなく、元気がないように見えた。
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夜も電気はついたまま、ほとんど姿勢は変わっていないように見えた。
あくまでも歩みを止めることなく、老人を観察していると、ひどく肩をすぼめて、背を丸めているようだった。
私は家までの約3分間、老人の生活に想いを馳せた。
もしかすると、ものすごい頑固親父で家族がみんな出て行ってしまったのかもしれないとか。
奥さんは早くに亡くなってしまっているけれど、思い出の車を処分できずに2台維持しているのだとか。
そんな妄想をしながら家に着いた。
週末だったこともあり、家に着くと缶ビールに手をつけた。
~死亡当日~
午前11時、駅に向かうためにいつも通りの道を歩く。
大通りから隘路に入ったところで赤色灯の明滅に気付く。
ちょうど老人の家の辺りだ。
目の前まで行ってみると、救急車とパトカーがそれぞれ一台ずつ来ていた。
偶然目が合った野次馬の初老女性に聞いてみる。
「何かあったんですか?」
「この家に住んでいたおじいさんが机の下に倒れていたのよ。窓を叩いても反応がないから救急車を呼んだんだけど、もう死んでしまっていたらしいわ」
「え、そうなんですか!?」
「結構いい歳だったし、心筋梗塞とかかしらね。苦しんでないといいけど」
私は野次馬の初老女性としばらく話をした。
この家には以前、老人とその妻、娘夫婦が住んでいたそうだ。
ご近所付き合いはあまりなかったらしく、数年前から老人以外の姿を見なくなったという。
「そういえば、この家どうしてこんなに外から丸見えの作りなんでしょうね?」
「不思議よね。何年前だったかしら。5年かそこら前にはちゃんと塀があったのよ。気づいたら塀を壊して、このローズマリーの植わったこじんまりした庭ができたのよ。プライバシーも何もあったものじゃないわよね」
私は女性と少しして立ち去った。
あの不思議な部屋に住む老人が亡くなってしまったことは少し寂しく感じた。
~現在~
老人の死から半年以上が経過した。
どうやら老人には身寄りがなかったらしく、残った土地や建物は国が引き取り、再び誰かの手に渡ったらしい。
立て壊しの工事の最中、白骨化した3人分の遺体が発見されたのだ。
このセンセーショナルなニュースは一瞬で町内に駆け巡った。
私は近所の不動産会社に勤める友人からこのニュースを聞いた時、すぐにあの老人の家族だろうと思い当たった。
白骨化した遺体は全て庭から発見されたとのことだ。
そう、私が毎日通っていたあの道に、老人の家族3人の遺体が埋まっていたのだ。
私の視線は足元の見えない遺体ではなく、老人に向けられていたが、老人の視線は3体の遺体へ向けられていたのだろう。
私は聞き取れなかった老人の怒鳴り声を必死に思い出そうとした。
彼は一体何をあんなに大声で言っていたのだろう。
ピリリリリッ。
不動産会社の友人からだった。
「もしもし」
「もしもし、ライン見た?」
「うん、見たよ。めちゃくちゃ怖いね。私、あの家の前、毎日通ってたよ」
「だよね、私のよく通るからめちゃびびった。それでね、追加ニュースがあるの」
「え、まだ何かあるの?もう嫌なんだけど」
「あの家のブラインドあったじゃん?」
「ああ、部屋丸見えの縦のやつ?」
「そうそう、あれ全部、卒塔婆だったらしいよ」
「ソトバ?」
「あのお墓の後ろにある板みたいなやつ」
「ああ、あれか。あれって何書いてあるの?」
「色々だけど、その卒塔婆にはお経が書かれていたみたい」
その言葉を聞いた時、私は老人が怒鳴っていたのではなく必死でお経を唱えていたのだとわかった。
あの老人は一体どのくらいの期間、遺体が埋まる庭を見つめ続けてきたのだろうか。