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【掌編小説】星降る夜に
「わたしね、1年の中で今が一番好きかも」
ふとした拍子に彼女はそうつぶやいた。なんで? という疑問の言葉を僕が発する前にひゅう、と冷たい風が吹きぬける。僕は悪寒と共に言葉を飲み込み、ぶるりと震えて首元のマフラーを巻き直す。
「寒い?」
僕の隣を歩く女友達の芹沢悠香がこちらに目をやって気遣わしげに聞いてきた。いや大丈夫、と言おうとしてくしゅん、とくしゃみをしてしまう。強がる気持ちとは裏腹にどうやら身体はまだ本調子ではないらしい。
「智則、大丈夫? やっぱりまだ家で寝てた方が良かったんじゃないの」
眉根を寄せて心配そうに言ってくる悠香に対して、僕は今度こそ大丈夫と言いながら右手を振って彼女の心配を冬の冷たい空気に溶け込ませた。今日は12月22日。12月24日のクリスマスイブのイブのイブということになる。クリスマスイブイブイブ? 素直にクリスマスの3日前としたほうがいいか。クリスマスムード一色のこの景色には、個人的には複雑な気持ちもあるのだけど、まあそれはひとまず置いておくとして。
クリスマス直前ということもあって、僕たちが並んで歩く駅前の商店街も軒並みクリスマスの飾り付けに彩られている。僕が夕方まで自宅で横になっていたということもあって既に日は傾き始めていて、ぽつぽつと街路樹に巻き付けられたLED電球が灯り始めていた。商店街の各店舗が工夫を凝らして飾り付けたイルミネーションがあたりを彩り、さながらクリスマスツリーの中にいるようだった。僕はゆっくりと歩きながら周囲を見回す。カラフルな光の下を歩く人たちは一様に笑顔を浮かべていて幸せそうな様子だ。そんな人たちの中で唯一と言っていいくらい、隣の悠香はさっきからコートのポケットに手を突っ込んで不機嫌そうな様子だった。なんとなく僕がくしゃみをする度ごとに不機嫌さが増しているような気がする。
「だいたい、いくら金欠だからってさすがに36時間連続でアルバイトは詰め込みすぎだったんだよ。この寒い中で交通量調査に工事現場の警備員をぶっ続けでやったら、誰だって風邪をひいちゃうって。智則にとってもせっかくの日なのにさ」
いらだたしげに言ってくる悠香に僕は言い訳がましく返事をする。
「そりゃそうなんだけどね。でもそうでもしないと彼女へのクリスマスプレゼントが買えそうになかったんだよ」
「まあ智則と彼女さん二人のことだから私がとやかく言うことじゃないけどさ。そもそも明日に帰ってくるかも決まっていないんでしょ?」
それは悠香の言うとおりだった。バイト先の居酒屋で知り合った一つ年上の僕の彼女は現在所属する民俗学ゼミの調査旅行で遠方に出かけていて、しかもどうやら現地でのフィールドワークが長引いているらしく、明日帰ってこられる保証はないと連絡を受けていた。
「いいんだよ、これはあくまで僕の自己満足なんだから」
強がりも含めて言う僕に悠香は呆れたといった表情で大きく溜息を吐いて「ほら、もう着いたし」とポケットから手を出して道行く先を指し示した。彼女が指し示す先には今日の目的地のアクセサリーショップがあった。おしゃべりしているうちにいつの間にか到着していたらしい。
白雪のデコレーションがされたガラスドアをちょっと緊張気味に押し開けると、きっちりとスーツを身に纏った店員さんがにこやかに僕たちを出迎えた。大人な雰囲気に気圧されながら、一人で来なくてよかったと心底思う。慣れない雰囲気に僕の中の風邪の菌も萎縮したのか、さっきまで熱っぽかった頭もいつの間にかすっきりとしていた。
ずらりと並べられたガラス製のショーケースをひとつひとつ覗き込みながら、悠香がこちらにこっそりと聞いてくる。
「いまさらだけど、プレゼントのアクセサリーを選ぶのが私でいいの? 私、智則の彼女さんのことなんて正直あんまり知らないんだけど」
「もちろん構わないよ。僕、知っている人の中で悠香が一番センスがいいと思ってるし」
「……ありがと。……そういうとこなんだよねー……」
彼女のつぶやきの意味が分からずに疑問符を浮かべている僕に、悠香は「なんでもない」と言いながら首を振って、話題を打ちきった。じっくりとショーケースを見て回り、悠香が最終的に選んだアクアマリンのピアスはセンスが壊滅的な僕が見ても素敵なデザインだと思ったし、しかもきちんとこちらの懐具合を考えて手頃な値段のものだった。やっぱり悠香はこういうところが頼もしい。彼女とは高校の頃からの付き合いだけど、優柔不断気味の僕に対して何事もずばずばと決めていく彼女にいつも助けられているような気がする。
店員さんによって丁寧にラッピングされたプレゼントを鞄の奥にしまい込みながら、駅まで元来た道を引き返していく。
「悠香、ありがとう。あんなに種類があったらたぶん優柔不断な僕だと決められなかったよ。悠香はいつもバシッと決められて凄いな」
「ううん。そんなことない。私にだって決心できてないこともあるよ」
気軽な僕の言葉に意外なほど強い調子で悠香が否定の言葉を返してきた。僕は驚いてそれ以上話を続ける事が出来なかった。なんだか妙に気まずい空気が僕らを包み、二人とも無言で駅までの道のりを歩く。悠香は手が寒いのか帰り道でもポケットに手を突っ込んでいた。
いよいよ街はクリスマスのピークに向けて最高潮に上り詰めているように思えたけれど、隣を歩く悠香は街のテンションとは真逆になにか考え込んでいるように見えた。
ふと、僕は悠香が行きの道中で言っていたことを思い出す。
「そういえばさっき、今が一年で一番好きとか言ってなかったっけ、なんで?」
僕の問いかけに悠香はこちらをちらりと見る。それから帳を降ろしきった夜を彩るイルミネーションに視線を送り、顔を見上げ気味にしながら話し出す。
「えっとね、まあ色々理由はあるんだけど。冬は星が綺麗だとか、イルミネーションが綺麗で好きだとかね。それに……ほら、クリスマスって12月25日がピークで、それを過ぎると一気にお正月ムードになっちゃうでしょ」
「そうだね、いきなりがらりと変わっちゃうよね」
「だからクリスマス直前のこのクリスマスムードが最高に盛り上がっているタイミングが、一番心が躍るなって思うわけ。ほら、遠足とかも出発する前日の夜が一番わくわくするじゃない」
「あー、それは確かに分かるかも」
うんうんと頷く僕の横で、悠香が立ち止まる。ちょうど商店街の中央にある公園にさしかかったところで、公園の中央には大きなクリスマスツリーが据え付けられていた。ツリーの頂点からまるで星が流れ落ちるようにデザインされたイルミネーションが光をあたりに放っている。
「それにね」
悠香がこちらに体ごと向き直る。僕の目をまっすぐ見つめてくる彼女の瞳に、星が映り込んで煌めいている。
「それに、今日は世界で一番好きな人が生まれた日だしね。誕生日おめでとう、智則」
吹っ切れたように大きく笑い、ポケットから綺麗にラッピングされたプレゼントを取り出しながらこちらを見つめる悠香を僕は見つめながら、彼女の瞳の中で流れる星の数をただ数えていた。
<了>
本作は蜂賀 三月さんのアドベントカレンダー企画参加作品です。
参加クリエイターの皆様の素敵な作品もぜひご覧ください!
12月23日は いまい まり さんになります!
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