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Beehive


見上げた窓に明かりが灯る。そろそろ時刻は夜の7時。
集合住宅の明かりがぽつぽつと灯っていく様を僕は公園のブランコで缶コーヒーを片手に眺める。明かりの下で誰かの帰りを待っているのだろうか。

ランダムに灯っていく明かりはほとんどが意味のない幾何学模様だけど、ときおり何かの形を描くことがある。目の前の一棟は六角形の模様を描き出していた。

(ハチの巣みたいだな)

そんなことをぼんやりと考える。誰かが誰かの帰りを待っていたり、誰かと一緒に帰ってきたり。愛する人との生活が、きっとあそこにはあるのだろう。笑い声まで聞こえてくるような気がする。


別に珍しくもないのかもしれないけど、僕のようなアルコール中毒の父親と浮気性の母親を持つ子どもには、世界のどこにも自分の居場所を見つけることができなかった。
16歳になってそこを一人で出てきてからもそれは変わっていない。

だからだろうか。一人で暮らすアパートは、寝る場所ではあるものの、生活する場所とは感じられなかった。お金がないのもあるけれど、生活するのに最低限のものしか置いていないし、それで十分だと思っている。

コンビニバイトで日銭を稼ぎ、ただ何となく生きている。
死にたいと思うほどのエネルギーもなく、やりたいこともなかった。
高校に通っている子たちを見かけると、うらやましいと思うこともあったけど、なんだか薄い膜を隔てたような遠い世界の出来事のように感じていた。

バイトの新人でその女の子が入ってきた時も、特に何も感じることはなかった。高校生のアルバイトなんて珍しくもないし、たいてい半年もたたずに辞めてしまう。年が近いから、というだけで教育係はいつも僕の担当だ。

「新人の桜井美月です。よろしくお願いします!」
「あー、うん。斎藤陽介といいます。じゃ、まず品出しからやりますか」
「分かりました!」

はきはきとしゃべる子だな、と思った。いつもぼそぼそとしゃべる僕よりよっぽど接客業に向いている。ストックヤードからペットボトル飲料を補充しながら彼女はしきりに話かけてくる。

「斎藤さんはこのバイト長いんですか」
「まあ、1年くらいかな」
「凄いですね!シフトもがっつり入ってますし、ベテランじゃないですか」
「高校行ってないし、なんとなく続けてるだけだよ」
「いやいやいや、私と同じくらいの年で働いて一人で生活しているんですよね。尊敬します」

予想だにしなかった言葉に驚いてちらりと彼女をみると、その目に嘘偽りはなさそうだった。高校に行っていないことを馬鹿にすることもなく、惰性でやってるコンビニバイトをそこまで褒められることなんてなかったから、彼女の尊敬のまなざしはとてもまぶしく感じた。

彼女の勤務態度はいたって真面目で物覚えも早く、下手な成人男性よりもよっぽどしっかりしているように見えた。他のアルバイトのおばさん達にもすぐに懐いてかわいがられているようだった。


そんなある日。
予報外れの強い雨に見舞われるなか、裏口からゴミ捨てに出ると困った顔をして桜井さんが軒下に立っている。

「どうしたの、先に上がったんじゃなかったっけ」
「いやー、実は傘無くって…どうしよかなって」
「ああ、そうなんだ。そりゃ困ったね」

いったんゴミを片付けてから、従業員用のロッカーから自分の鞄を取り出し、入れっぱなしの折り畳み傘を彼女に渡す。

「はいこれ、使って」
「え、いいんですか?」
「いいよ別に。僕のアパートすぐそこだし」

彼女は思わず傘を手に取ったものの、おろおろと傘とこちらを見比べている。気にせず帰ればいいのに、彼女は僕のバイト上がりを待って駅まで一緒に行きます、と言ってきた。時計を見るとシフト上がりまであと20分弱。店長に声をかけて少し早めに上がらせてもらう。
駅まで向かう帰り道、少し小さめの傘からはみ出ないように、彼女はこちらに身を寄せてきた。

「あの、早めに上がってもらっちゃってすいません」
「いいよ別に。このバイト長いから、店長も少しは融通利かせてくれるんだ」

快活な彼女にしては珍しく、駅までの道中ではほとんど話かけてこなかった。女の子とこんな近くで接することなんて初めてで余裕もなかった僕にとっては助かった。でも無言で彼女と雨の中を歩くのはなんだか嬉しくて、駅までの時間がいつもよりずっと早く感じられた。

ほんとうにありがとうございました、とぺこりと頭を下げて改札を抜けていく彼女を見送った。駅を反対側まで抜けてから歩く道中、僕は初めてアパートまでの帰り道を寂しく感じていた。


そんなことがあってから、以前よりも彼女との距離が近くなったように思えた。毎月のシフト表をチェックしては、彼女と一緒のシフトを楽しみにするようになっていた。すぐにやめてしまうかな、と不安でもあったけど、半年たっても彼女の名前はシフト表に残っていた。


店の改装でバイトが休みとなってしまった日、用事なんて無かったけれど、たまには街をふらつきたくなった。駅前のハンバーガーショップで昼ご飯でも食べようかなと自動ドアをくぐると、奥のテーブル席に桜井さんが友達らしき数人と一緒にいるのを見つけた。一瞬店を出ようかとも思ったけど、彼女が友達と普段どうしてるのか気になってしまい、離れたカウンター席に座ろうと人影に隠れて通りすぎようとした。
ちらりと奥を見た時、偶然にも彼女と目が合ってしまった。思わず、一歩踏み出しかけた時、彼女が叫んだ。

「来ないで!」

足が止まった。僕のことに気が付いたのか、にやにや笑う周りの子たちに囲まれて、彼女は震えながら俯いている。そうだよな。当たり前に高校に通っている普通の子が、僕なんかと一緒にいちゃ、迷惑だよな。
分かっていたことだったのに。勘違いしていただけだったのに。

「ごめん」

届くかもわからないかすれ声でつぶやいて、店を出た。
無性に悔しくて、悲しかった。あふれそうになる涙をこらえながらもと来た道を戻る。みじめな気持ちでいっぱいだった。

「待ってください、斎藤さん!」

店を飛び出して彼女が追いかけてきた。嬉しいような悲しいようなぐちゃぐちゃとした感情のまま、僕は逃げるように走る。こんな情けない姿を彼女に見られたくはなかった。

「きゃあ!?」

彼女の悲鳴が聞こえて振り向くと、歩道に飛び出した勢いでぶつかりそうになったスクーターを慌ててよけたらしく、彼女は転んで地面にへたり込んでいた。
慌てて目元をぬぐって彼女に駆け寄る。

「大丈夫?」
「斎藤さん、ごめんなさい」
「いいんだ。僕が悪かった」
「違うんです」
「いいから。立てる?」

彼女の手を引き、立たせて膝の汚れを払おうとする。

「痛っ」

彼女が小さく悲鳴を上げる。
見ると転んだ際に歩道のコンクリートの角にぶつけた箇所が抉れて血が滲みだしている。思ったよりも痛々しい有様だった。

「ケガしてる、手当しないと」
「…大丈夫です」
「いや、消毒したほうがいいよ、僕のアパート近いから、絆創膏とってくるよ。ここで待ってて」
「知ってます。…斎藤さんのアパート、その先の角を曲がってすぐですよね」

…なんでそんなこと知っているんだ。彼女にはアパートの場所を話したことは無かったはずなのに。

彼女が俯いてぽつりぽつりと語りだす。

「前にシフトが一緒だった時に、私わざと遅めに上がって」
「どんなところに住んでるのかな、なんて思ってこっそり後をつけたりして、窓の明かりを見て嬉しくなって」
「それをクラスの友達にうっかり話しちゃって」
「そしたら斎藤さんのアパート見にいこうなんてみんなふざけ始めて、私、断らなきゃいけなかったのに断れなくて」

ぼろぼろと彼女が涙をこぼす。ごめんなさい、ごめんなさいと泣きじゃくる姿は子どもみたいだ。いや、僕だってただの子どもだけど。いつの間にか大人になったふりをしていただけだ。好きな女の子の気持ちひとつ気付やしない。

「いいんだよ、気にしないで」
「斎藤さん」彼女が顔を上げる。目の周りを真っ赤に腫らしていた。「…アパートに、絆創膏、置いてあるんですよね」
「…あるけど」
「私、見てみたいです。斎藤さんの住んでる部屋」
「なんにもないよ」
「それでも、見たいんです。…好きな人が住んでいるところを」
「―――うん。わかった」

おずおずと差し出された彼女の手をぎゅっと握りしめ、寄り添いながらアパートまでの道を歩きだす。
一人ぼっちで帰るだけだった僕が。
誰かと一緒に家まで帰っていく。

これからどうなっていくか、まだ全然わからないけど、この日二人で帰った帰り道をきっと僕は忘れない。

Beehive(ビーハイブ):英語で「蜂の巣」という意味。
転じて「にぎやかな場所」という意味もある。




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