鏡の国のお姫様
その手鏡はひいおばあさんの代から使われていたという。
この家の女性に代々受け継がれており、私も18歳になったときに母親から譲り受けた。
正円形をしており、大きさは直径10㎝くらいだろうか。鏡の裏面は黒い漆で仕上げられており、螺鈿で桜が象られている。長年に渡って使い込まれてきた手鏡は新品の物とは異なる独特の風合いを湛えていた。母親から譲り受ける際に一言、「ここにはね、お姫様が隠れているのよ」と教えられた。それは決して粗末に扱ってはいけない、という戒めのための文句だと思っていた。
「お母さん、この手鏡はどうしたの?」
娘が私にそう尋ねてきたのは、中学生になったある日、私の化粧道具を見せてほしいと言ってきた時だった。
バレー部に所属している彼女は夫に似て身長も高く、根っからの運動好きで、反面ファッションなどにはこれまであまり興味を示してこなかった。
意外な申し出に驚きながらも道具の使い方を説明しながら彼女の質問にひとつひとつ答えている時、彼女が指さしながら聞いてきたのだった。
これは私が母親から譲り受けたものなのよ、と説明する。あわせてそれ以前から我が家の女性に受け継がれてきたものなの、と教えた。
他にも少しお高めの化粧道具などもあったものの、彼女が一番興味を示したのがその手鏡だった。
「ちょっとだけこの鏡借りてもいいかな?落としたりしないように丁寧に使うから」
娘には少し早いかな、とも思ったけどあまりに熱心に頼み込んでくるので、毎日私の化粧道具入れに戻すことを条件に少しの間だけ貸与することにした。
「それにしても急にどうしたの、お化粧に興味を持つなんて。もしかして好きな男の子でも出来たの?」
「そういうんじゃないけど……」
そう言いながらも目を少し泳がせるようにして娘は答える。
目は口ほどに物を言う、という格言を思い出したのは言うまでもない。
娘が興奮した面持ちで夕飯の支度をしている台所に駆け込んできたのは翌日の夕方だった。
凄いことを見つけたの!と言いながら娘が手鏡を取りだす。手拭いでお米を研いだ手を拭きながら、いったいどうしたの、と問いかける。
「いいからちょっと見てみて」
娘は鞄からスマホを取り出して、背面のライトを点灯させる。ライトを手鏡に当て、反射した光が壁に当たるようにした後、両手の角度を調整する。壁には手鏡に反射した光の円が照らされていたが、良く見ると円の中にうすぼんやりと何かの形が見えた。
「もっと近くで見てみて」
言われるままに壁に近づき、その形に目を凝らす。気がついた瞬間、私は思わず、あ、と声を漏らしていた。手鏡で反射された光の円の中に浮かび上がったのは、十二単を纏った平安時代と思われる女性の姿だった。
「学校の昼休みに手鏡を見ていたら偶然見つけたの。これ、凄くない?」
そう話す娘の頬は興奮でほのかに上気していた。
「お母さん、このこと知ってた?」
「ううん、今初めて知ったわ」
お姫様、と言われて西洋のドレスを纏った女性を思い浮かべていたけれど、おそらく私の母親が言っていた「お姫様」とはおそらくこの像の事だろう。
手鏡を譲り受けてからすでに25年ほど経っているけれど、まさかこんな仕掛けが施されていたとは。
夜遅く返ってきた夫に向かっても、娘は得意げに手鏡の仕掛けを披露していた。夫の反応はほう、という驚きと感嘆が入り混じったものだった。
「凄いな、魔鏡になっているのか」
「魔鏡?」
夫の反応の小ささに若干不満そうな表情の娘が尋ねる。私も聞いたことがない言葉だった。夫が手鏡を娘から受け取り、矯めつ眇めつしながら解説を加える。
「そう、魔鏡。内部のわずかな凹凸で反射光の収束と拡散の加減が変化して、ある角度で像を結ぶようになっているんだよ」
私は感心しながら夫の持つ手鏡を見つめる。男性の手の中では手鏡は意外な程小さく見えた。
「そうだったんだ。私、お母さんの説明はてっきりお伽噺の類いかと思っていたわ」
「大事にした方がいい。作るのにはかなりの技術が必要なはずだよ」
そう言いながら夫は私に手鏡を渡してきた。
今まで大事にしつつも何の気なしに使っていた手鏡が、とても貴重なものに思えて、心なしか重みまで増したように思えた。
その日の夜、化粧を落とす際に、こっそり一人で手鏡にライトを当ててみる。壁に映されたお姫様は、なんだかありし日の母親の面影を纏っているようにも思える。
鏡の国のお姫様、おやすみなさい。よい夢を。
娘の想い人が分かったら、こっそり教えて頂戴ね。
ライトを消す直前、お姫様が少し微笑んだような気がした。
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