デジタルオフィスのお茶汲み業務
世の中を襲った伝染病の影響により、ごく小規模の商社である私の勤める会社にもリモートワークの波がやってきた。
各社員は家でそれぞれのパソコンから業務を進めることになったのだ。個人的にはこれで無意味なお茶汲み業務から解放される!という期待が私にあったのは確かだ。各自が自分の家から業務を行うので飲み物などはもちろん自分で用意するしかない。
しかしこの対応について一部の社員からは不満の声が漏れ聞こえてきた。
特に古参の社員から、「やっぱり社員同士が顔を合わせて仕事をしないとうまく進まない」という声が上がったのだ。古株の社員ほど発言力が大きく、その声に押されるようにして社長が決定したのが「オフィスの電子化」だった。電子化といってもパソコンの導入などではない。それは『オフィスを丸ごと電子化する』という荒業だった。
業務に滞りがあってはならないという理屈から、土日だけでそれをやれという無茶ぶりをされた業者は半泣きになりながらどうにか対応したと聞いている。
今日がそのデジタルオフィスへの出社の一日目だった。
「おー、凄い」
誰かが感嘆の声を漏らしていた。社員がそれぞれの自宅からアバターを用いてデジタルオフィスにアクセスすると、ネット空間上に会社のオフィスが再現されていた。各自の席が3Dモデルで用意され、壁にはずらりと書類の詰まったキングファイルが並べられている。確かにオフィスにいるのと近い感覚を感じられた。
棒人間のような簡素なアバターにはご丁寧に各社員の顔写真が張り付けられている。傍目から見れば顔面に写真を張り付けた案山子がオフィス内をうろうろしているようで滑稽ではあった。初日だけは不具合があった時の対応のため、業者の技術者が待機することになっていた。オフィスの中央に唯一顔写真のない案山子が立っているけれど、あれがそうなのだろうか。
朝礼の時間になると、デジタルオフィスに社長が現れた。
棒人間の並ぶ中、社長のアバターだけ本人を模して造られた精巧なモデルだった。こういうところで無駄にお金を使わなくてもいいのに。
「さて、どうかね皆、デジタルオフィスの居心地は?」
文句を言っていた古参の社員が社長におべんちゃらを述べ立てていた。
「素晴らしいです、社長!家に居ながらにしてまるで会社にいるようにコミュニケーションが取れる!これこそ次世代のオフィスです!」
「そうだろう、そうだろう」
社長は煽てあげられてすっかりご機嫌の様だった。
しかしやはり突貫で作ったこのオフィス、いざ業務を始めようとするも問題が発生した。取引の資料を取りだそうと壁のキングファイルに手を伸ばした社員が、どう頑張ってもファイルを取りだせないのだ。
中央に立っていた技術者のアバターに詰め寄る。
「おい、書類が取り出せないんだが、いったいどういうことなんだ?」
「あの、それは突貫でフォトグラメトリで作りましたから、壁は書き割りみたいなものなのです……」
「フォトグラメトリ?なんだねそれは」
「実際の現場の連続写真を組み合わせてモデルを作る手法のことです。写真から作るのでカラーにはできますが、写真を張り付けているだけだから、中身までは再現できてないんです」
「ということはここに並んでいる書類って」
「言ってしまえば全部ハリボテです」
「それは困るよ、きみ。書類は中身に意味がある。いったいどうするつもりなんだね」
「それは……その、実際の書類をスキャンして取り込むしかないかと……」
沈黙があたりを包む。見た目としては案山子がしょんぼりしているだけなのだが、事態は深刻だ。
そんな中、豪華アバターの社長がこちらを振り向いた。嫌な予感がする。
「というわけで、高島くん、頼むよ」
「……は?」
そんなわけで、翌日からの私の業務はたった一人でオフィスに出社をしつつ、それぞれの社員から頼まれた資料を延々とスキャンしてデジタルデータに変換をし続けることだった。究極的にはオフィスにある書類をすべてスキャンし終わればこの業務も終わるはずなのだけど、一つの書類をスキャンする間にも、業務が進むために新たな書類が次々と生まれてきて、いくらやっても終わる気配がない。
「……これもうデジタルなお茶汲みなんじゃないの?」
場所の制約から嫌が応にも引き離されて、自由になったはずなのに。
誰もいないオフィスでひとり溜息をついて、私はそう呟くのだった。