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【短編小説】腸詰奇譚 3話
銀巴里 その2
丸山は定子の様子を見て、果敢にも彼女の前に立ちはだかって告げる。
「定ちゃん、落ち着いて。大丈夫だから」
そう言う丸山の声も耳に入っていないのか、ぶるぶると震えたままで定子は乱歩に向かって話しかけた。
「ら、乱歩先生もそういう人なのですか」
「そういう人、とは何だね」
自分と定子との間に丸山がいるからなのか、それとも定子を刺激させまいとしてのことなのか、刃物を向けられているにしては随分と落ち着いた声で乱歩は定子に問いかける。定子は震える声で答えた。
「そういう人を見たんです。人をバラバラにして持ち去っていく米兵を」
「……ほう」
そう一言呟いた乱歩はまるきり作家の顔をしていた。
「それは一作家としてはずいぶんと興味をそそられる話だな。君、私が持ってこいと言ったのは謝るから、まずその物騒なのをしまいなさい。それから話を聞こうじゃないか」
「ほら定ちゃん、乱歩先生もこう言っているから、ね? その包丁は渡して頂戴な」
二人の呼び掛けでようやく多少は落ち着いたのか、定子はまるで今初めて自分が刃物を握りしめていた事に気がついたような顔をすると、おずおずと手に持っていた包丁の持ち手を丸山に差し出した。丸山はさっと包丁を受け取ると、近くにいた別の女給に渡して「すぐに戻してきて」と一言告げる。そして定子に「ほら、定ちゃんもお座りなさいな。そこで立ってちゃゆっくり話も出来ないでしょう」と言って、彼女に着席するように促す。
丸山がホットティーを人数分持ってこさせ、それを飲んでいる内にようやく定子は落ち着きを取り戻した。
その間に定子に代わって丸山が彼女の身の上を乱歩に説明する。東北から知り合いの伝手を頼って出てきたことを話した上で、知らない土地でおそらく心の糸が張り詰めていたために、さきほどのような暴挙に及んでしまったのだろう、どうぞご勘弁くださいまし、と口添えする。それに対して乱歩は鷹揚に頷くと、定子に米兵の話をするように促した。
そして定子が語り出したのが血塗れのバケツを抱えた米兵の話だった。
定子の話ぶりは決して流暢ではないものの、直に光景を目にした者ゆえのディテールの細かい描写を訥々とした語りで聞かせるもので、聞いている二人ともに騒がしいはずの店内がまるでしんとしてしまったかのように思えたのだった。
彼女の話を一通り聞き終わった乱歩が独り言のように呟く。
「ふむ。いや、こう言ってはなんだが大変に興味深いね」
隣で同じように聞いていた丸山も同様の面持ちで呟いていた。
「まるで乱歩先生の小説のようですね」
丸山の言葉に乱歩もまさに、といった体で頷いた。
「そうだね。定子くんといったかね? 結局その男が君と鉢合わせた後にどこへ向かったかまでは分からないということでいいかね」
「はい。私もうすっかり怖くなってしまって、なるべくその人の方を見ないようにして慌てて帰ったものですから」
「なるほど。それではその男の出てきた店はいったいどんな店なのか、知っているかね」
定子は地方出身で出てきたばかりということもありそもそも銀座の事情に詳しくはなかったが、横で話を聞いていた古株のボーイの一人がその店のことを知っていた。
「その店なら知っています。元は独逸料理の店でした。その……」
一瞬、言い澱んだあとに彼は続ける。
「その、腸詰料理が評判の店でした」
その言葉に嫌な想像をしてしまったのか、丸山がわずかに顔を顰めた。一度話し始めて気が楽になったのか、ボーイは話を続ける。
「戦時中は同盟国ということもあって軍部の贔屓もあったのか繁盛していたのですが、今は専ら米兵相手に軽食を売っているようです。それと、以前にうちで、その、銀巴里になる前の店ですが、そこで働いていた女給が何人かその店に引き抜かれてます」
そのボーイの言葉に、定子がびくりと反応した。それを見た乱歩があごをさすりながら告げる。
「なるほどなるほど。では一度その店を我が目で確かめる必要があるな。定子くん、君、明日にでもその店へ案内してくれるかな?」
でも、明日も女給の仕事がありますので……と急な話に困惑する定子に乱歩は「ならばその分の給金は私が立て替えようじゃないか」と言って、有無を言わせず約束を取り付けたのだった。
<続く>
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