酔いどれエレジー
えれえれえれと電柱の根元に独創的な芸術作品を作っている先輩を横目に、ペットボトルの水を一口飲んで一息つく。こういう時に僕のような下戸は損である。飲めないもんだから比較的シラフで、酔っ払いの面倒を見る羽目になる。
「……終わりました?」
「あー、だいじょぶだから。も、ぜんっぜんだいじょぶだから」
頭に巻いたネクタイを振り回しながら顔を上げた先輩は、こちらに威勢よく手を振ってくる。
「……それ、楽しいですか」
ネクタイを指さして聞いてみる。
「いやー、いっかいやってみたかったんだよ、これ。わははははは」
楽しいのは分かったけど頼むから頭を振り回さないでほしい。せっかく落ち着いてきたのにまた酔いが回ってしまう。
ああ、ほら言わんこっちゃない。
先輩は電柱と情熱的なハグを交わしながら再び戻しかけるが、もう胃が空っぽになったのか、今度は芸術作品は生まれそうになかった。
飲んでいたペットボトルを、「とりあえず水飲んどいてください」と手渡した。先輩はありがとう、ありがとうと言いながらこちらの背中に手を回し、ばんばんと勢いよく叩く。
全然加減が出来てないから痛いし、ほのかに吐瀉物の臭いがする。
「分かりましたから、いったん離れてください。ほら、さっさとこれ飲んでくださいよ」
僕が促すとペットボトルのふたを開けようとするが、まったく手に力が入っておらずボトルだけがくるくると滑るばかりだった。
……まだ駄目そうだなこりゃ。
だいじょうぶ、と言いながら何故か次の電柱へ突進していく先輩を引っ掴んで、「はい、おうちはこっちですよ」と誘導する。
なんで酔っ払いというものはわざわざ障害物へと向かおうとするのか。
「も、ぜんっぜんだいじょぶだから」
酔っ払いの「大丈夫」ほどあてにならないものはない。さっきからそればっか言ってるし。
「全然だめでしょ。先輩たぶんいま平仮名で喋ってますよ」
「まじでー?」
なにが面白いのかケタケタと笑いだす。
文字通りの千鳥足の先輩をどうにか誘導しながら先輩のアパートまでの道行きを歩く。
深夜の商店街のアーケードにはこんな時間でもぽつぽつと人がいた。
こちらと同じような酔っ払いの集団。
ギターをかき鳴らしながら弾き語りをしている青年と、正面に座ってそれをじっと見つめている女性。
スケートボードの練習をしている若者。
犬を散歩している人もいた。
ふらふらと犬に近づいていく先輩を必死で押しとどめる。
不審に思ったのか、こちらに向かって犬が吠えたてる。
それすら先輩にとっては面白い出来事のようだった。
「ワン、だって。ワン。うひゃひゃひゃひゃ」
「いや何が楽しいんですか、そりゃ犬はワンと鳴くでしょうよ」
「うひゃひゃひゃひゃ、ワンワン!」
もはや犬と同レベルじゃないか。
すいませんね、と散歩をしている人に会釈する。向こうも気を使って会釈を返してくれた。
どうにか先輩のアパートにたどり着き、鞄から勝手に鍵を取りだしてドアを開け、玄関に座らせてから靴を脱がす。そのまま寝はじめそうになる先輩をむりやり引きずって、床に散らばった洗濯物をかき分けてベッドに放り込んだ。
ベッドに倒れ込んだ先輩がようやく落ち着いたのか、うっすらと目を開けてこちらを見た。
「……あれ、ここは?」
「先輩のアパートですよ」
「え、うそ」
「嘘じゃないです」
「……見た?」
「何をです?」
「その……下着とか」
「そりゃ床に洗濯物が散らばってますからね。いやでも目に入りますよ」
「うあー……」
それをいうならさっき靴を脱がせるときに履いている下着が目に入ってしまったのだが、まあそれは言わないでおこう。
「あ、ネクタイ返してくださいね」
まだ頭に巻きっぱなしだった僕のネクタイを回収すると、「鍵はドアの郵便受けから入れておきますから」と言って、酔いではなく羞恥で赤くなった顔を両手で覆ったままの貴子先輩を置いて、僕は部屋を後にしたのだった。