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【ショートストーリー】釜揚げ師走

(出囃子の音)
どうもどうも、本日も一杯のお運びで、誠にありがとうございます。
今夜も随分と冷え込んでおりますね。すっかり年の瀬といったところで、あたしは財布の中身もすっかり冷え込んでおります。ええ、こういう日にはやはり熱々の蕎麦でも一杯、啜りたいもんですな。

そういった気持ちは江戸の時代も同じだったようでして、とある通りで留八、という男が蕎麦屋を営んでおりました。蕎麦にうるさい江戸っ子の間でも評判でしたが、この留八、江戸の出身ではないことをたいそう気にしておりまして、それを気づかれまいとする悪い癖がございました。
ちょうど今時分でしょうか、年の瀬も迫ってきたとある冬の日に留八は客に尋ねられます。
「あんたのとこも師走はどうなんだい」
留八は答えに詰まりました。なにしろこの留八、田舎から出てきたもんですから学が無い。なのでシワス、と言われてもなんのことだかさっぱり分からないわけです。そこで素直に聞けばいいのに妙なところで意地っ張りな留八は、なんとなくシラスに似ているからきっと食い物の事だろうと当たりをつけます。江戸でいっぱしの食い物屋をやっているのに知らないと言う訳にはいかない、なので遠回しに客に尋ねるわけです。
「その、しわす、ってんですかい。それの印象なんて教えちゃくれませんかね」
「師走の印象? なんだか変なこと聞くね、あんた。そりゃまあ、身を切るような冷たさってとこかね」
「へえへえ、なるほどなるほど……冷たいってことは、あっためりゃいいかもしれねえな。……他になんかございませんかね」
「他にったってなあ。そりゃ師走ってくらいなんだから坊さんも走り回るくらいなんだろうな」
「へえへえ、そうですか。……いつもしずしず歩いている坊さんが走るくらいなんだから、こりゃ相当熱々にしないといけねぇってことだな」
ふんふんと頷きながら納得した様子の留八に改めて客が尋ねました。
「で、あんたのところの師走はどうなんだい」

「それでしたら、釜揚げがいいかと存じます」

おあとがよろしいようで。


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