太宰治的自叙
僕という人間は、ありとあらゆるメディアやフィクションが歌う性善説たるものに対して、常に、不信の徒でありました。
皆、解っている筈なのです。人間という生き物は実のところ――醜く、悍ましく、憎悪すべき生き物であるということを。
しかし、それを認めてしまえば、自らもまた害悪な存在であると言うことを認めることとなってしまうから――それに気付かないふりをして、目一杯善人の顔をして、人間賛歌をし続けているのでしょう。
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僕は、誰にも本音を言ったことがありませんでした。親にも、友人にも、そして恋人にさえも。当たり前でしょう。僕は、幼い頃からずっと、それらの人々の前で、それぞれ違う道化を演じてきたのですから。喩えば、親の前では、大人しく、決して言いつけに背かない従順な子供を、友の前では、明るくひょうきんで居ながらも破滅願望を持った人間を、恋人の前では、真面目で明るくも、寂しがり屋な少女を、演じていました。だから、僕の周囲の人間は、本当の僕を知らないのです。日々、無力感と希死念慮、そして逃げ出したくなるほどの不安に襲われ、いつ自身の秘密が周囲に暴かれてしまうのかと恐れてばかり居るこの惨めな女を、僕以外の誰も、知りやしないのです。
見せることは、知らせることは簡単でしょう。けれども僕は、道化によって得たこの友情が、愛情が、道化を辞めることで離れてしまうことを――自身の秘密が暴かれること以上に恐れていました。
僕はいつまでこの生き地獄に身を焼き続けなければならないのでしょう。自業自得、と笑ってください。
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自死。その言葉を眼にする度、ポーチの中に入れた大量の錠剤と折りたたみナイフ、そしてカッターを思い出す。太宰治は愛人(アミ)と共に死んだ。けれども僕は――僕の死にあの人を巻き込むわけにはいかないから、一人で死ななければいけない。
遺書にはなんて書こう。あの人は、僕の死を悲しんでくれるだろうか。
――嗚呼、どうか悲しまないでください。僕は消失するのではありません。屹度また、再び会えます。どうか、本を読んでください。喩えば、僕に似た人物が描写してある文章。僕のそれと似た科白の綴ってある頁。そこに、僕は居ます。貴方が僕のことを、僕の言葉を覚えていてくださる限り、僕達は、いつまでも一緒です。けれど、貴方を置いてけぼりにして、本当に御免なさい――。
そう書いて、自分でも笑ってしまうくらい、気障なのが気に食わなくなって、辞めた。
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