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私が社会科学の沼にいる理由

大学を卒業しても社会科学を勉強し続ける理由と、社会科学の魅力。
変化する社会の中で「唯一無二の正解がない」からこそ、ベストな手段を模索する自由がある。
勉強も捨てたもんじゃない、という話。

10年間くらいずーーっと興味を持ち続けられることって貴重だなあと思っている。
これは、おそらく沼に落ちているのだと思っている。

その名も、「社会科学の沼」に。

私の中で沼というのは、自ら望んでおちるというよりも、気が付いたらいつのまにか後戻りできないところまでおちてしまったもの。
いわゆるオタクの方々が自虐的に使っているイメージがあったけど、良く考えてみたらほんとにうまいこと言っている。

そんなわけで、いつからこのぬかるみ(沼の一歩手前)に足を踏み入れたかはわからない。


◆唯一無二の正解がないからこそ、手段を選べる

まだ社会科学を勉強し続けているのは、「社会科学にも社会人生活にも、唯一無二の正解がないから。」

数学のように明確な答えがないことが、厄介な学問に分類される理由なのだと思うけれど、私はむしろ、明確な答えがないことも魅力的だと思う。

もちろん法律やら条例で制限があることはあるけど、上限を決められているイメージ。
何もかもがんじがらめじゃない。手段を選べる。


◆正解は与えられるものじゃない

社会人になって、判断や選択がそのまま会社の責任になるので、身構えていた。
入社したばかりの頃は全然わからないし、先輩に教わって「正解がほしくなる」

でも、社会情勢が変わるように、融通のきく対応をするには、やはり「1つのパターン」だけではだめなのだ。
臨機応変に、とよく言うけど、あれってめちゃくちゃ難しい。

まず、臨機応変に対応できるほど経験積んでないし、下っ端が常に正しい状況判断できるわけない。
せめて、数学の確率でいう場合分けをしておいてほしい。
このときにはこうしましょう、あのときはあれでよろしく、みたいな。
でもそんなサポートはない。


◆変化に対応する。追いかける。理解する。

社会情勢は刻一刻と変わるものだし、研究も常にアップデートされている。

実は1192(良い国)作ろう鎌倉幕府じゃなかったという話も聞くし、いつまでも自分が学校で習ったことがすべてじゃなくなる。

自分の正しいと思ってたことが正しくなかったり、新しい事実が続々と発表されていたりする。

そんなところが社会科学の魅力。全然最前線の研究を追いかけられないことが悔しい。

また一方で、世の中が変わると常識も変わるという難しさ。

これまでできていたことができなくなったり、その逆もあったり。
たとえば、小学校の連絡網や、ポケベルからスマホの流れなど。

私は社会科学を法学よりからみて勉強してきたので、本当にこの変化はキーポイント。

多く講義を受けていた公共政策というものは、端的にいうと「望ましくない社会状態から理想の状態へコントロールすること」と学んだ。(学問的に適切な表現かは微妙ですが。)

政策は目的でなくあくまで手段なので、その手段を使って社会状態を改善しようとする。
その手段を活用するのはあくまで国民であり市民。

市民の生活や選好を理解して、それに基づき策を組み立てないと、お金がかかっただけで本当に無駄な政策になってしまう。
考えること大好き人間の私は、こういうことを考えるのがめっちゃ好き。

もう少しかみ砕いて最少単位まで落とし込むと、
①今の市民(ターゲット層がいれば限定的に)の嗜好を捉えて、
②事業の目的を達成するための企画を、
③予算内で考える

仕事では、④実施、⑤事業振り返り、までが1つの流れだったりする。

ほとんどの事業が固定化しているため、滅多に新しく事業を考える機会も地位もない。(むしろ恒例事業となっているもののほうが形骸化している。)
けれど、こんなことが問題になってるならその対策は?と思考に没頭するのがとても好き。
99%誰からも理解されないですがw

これも、正解がないから考える余地がある
いろんな方法があって、それぞれどれくらいの効果が見込めるか。
最小のコストで最大の効果を、というのは良く聞くフレーズですが、コスパも含めて考える。


◆公開されているデータをフル活用する

今やオープンリソースが増えてきて、E-statsGISRESAS、いろんなものがネットで公開されている。
これぞデータの宝庫。…うまく使いこなす技量があれば。(私はまだない…)

都道府県や自治体でも、統計資料を情報公開しているし、資料はたくさん!

いざ対策を講じる時に、専門家のデータ分析結果を手元に置きながら「その時になってみないとわからない」というのは、半分正しいけど半分は間違っていると思う。

それはもちろん、現実問題どうなっていくかはわからない。
でも、集積されたデータをもとに、ベーシックな対策くらい講じてて良いのではなかろうか。

データをもとに思考するのは帰納法。必ずしも正しいわけではなく、確率が高いというだけだけだということは理解している。

何かを説得するときに根拠を求めるのに、いざってとき全くアテにしないのは、ちょっともったいない。


そんなこんなで、社会科学周辺のジャンルは語りたくなるネタがいっぱいある。

課題を解決するために、いろんな方法があって、その時の状況によって最善の選択肢が違う。
不確定要素が多すぎて、絶対コレが有効!なんていいきれないけど、資料をかきあつめてこれが最善だと考えた!
といえるような思考の鍛錬をするのが最高におもしろい。

大学のゼミ、もっと活動的なところに入っておけばよかったな…


働き始めて自分の時間が滅多にとれなくなって、やりたいことと言ったら勉強だった。
なので細々とでも良いので続けていきたい、という決意表明も含めた、
私にとっての沼のお話でした。

最後まで読んでくださりありがとうございます。 これからも、私の文章に会いに来てくれたら嬉しいです!